7. 試し
今日は本性を試す、と切り出した俺に鏡は冷淡な声を出した。
「いざ試すとなると鏡がどこまで役に立てるかは微妙だ」
地下水が静かに流れる暗く、湿った地下洞窟の奥。
彼女よりも前に連れて来られた知恵も力もない、非力な遠い親戚―――現住種族のスライムらが平穏に暮らしている。小さく、遠くとも親戚には違いないのでな。住まいとして快適になるよう水を引き込み、餌となる動植物や鉱物を持ち込んでいる。
「完全に本性を現せば暴走する可能性が高い。その点は理解しているね。
君にも可能性がある。正気をどこへやら吹っ飛ばし、手当たり次第に触れるものを腐らせて食い尽くす」
「見て来たように言うのだな、鏡よ」
「鏡はミラーの為になら補助陣法を使った占術でも大儀式を伴う結界でも何でもする」
なるほど、鏡は確かにそう言った細々とした事もしてくれている。
「気乗りしないように聞こえるが、嫌か?」
「鏡は鏡だ。ミラーの心情を反映し、時には欲しがっている言葉を与える鏡」
道化た調子を全く出さない鏡に嘆息する。鏡が今からそんな調子では、俺に止めろと言っているようなものではないか。俺は後押しをして欲しいのだがな。
「鏡は時折、俺の欲しくない言葉も投げてくれるがな」
「鏡を創った本人の言葉がそれかい、ミラー。
そもそも君は鏡を制御役として創ったんだ。今の君を君として支配している自我がまだ定まってはいなかった頃、狂気の中で剣を打った。
得意なのは槌なのにね。嬉しかったよ、こうして鏡を創ってくれたから鏡はミラーを映して愉しめる」
いつになく陰気な調子の鏡には不安を煽られている。だが鏡を相手に気持ちを萎れさせるようでは、俺は永遠に彼女と番にはなれまい。
鏡は常ならぬ冷たさを感じさせている。微かな違和感。いつもとは違う距離感。連日の狩りで研がれた感覚が違いを教えてくれた。
俺の間近に抜き身で宙に浮き、制止して佇む鏡の剣に言う。洞窟は暗く、灯りのない中で鏡に俺の顔は映らない。柄に嵌め込んだ銀の宝珠の仄かな輝きがちらつく。
「はっきり言え、鏡よ。
何が俺と彼女の結び付きを阻んでいるのだ?
俺の知らぬ問題があるだろう、言え。鏡は知っている、そうだな?」
ああ、と。嘆くような、安堵するような。懐かしがるような。
「ミラーはミラーなのだね。鏡とは違って……勘がいい」
ぽうっとした光を灯し、鏡面がゆるりと俺の周囲を一周した。
「俺の顔に何か?」
「お顔は別にどうもしないよ、ミラー。美丈夫さ、蛮族の中でならば」
「些か髪の染めが派手ではあっても不細工だとは思わん。本題を言え、本題を」
すい、と鏡が止まる。俺の正面で俺を映す。直視せよ、と言わんばかりに。
「まず、お嬢さんは小さ過ぎる。
一年以内ではミラーの蒔く種子を一つ抱く事すらできまい」
続けろ、と促せば鏡が告げる。
「ミラーが必要な力を注ぎ込んであげられるならまだ可能性は残る。
……頑張れる? ミラーはお嫁さんの為に必要だと認識していないようだけど」
「必要だと言うのならやる」
「ミラーの寿命とお嬢さんの寿命、どちらも厳しいとしても?」
「急げと言うのなら直ちに着手すべきだ」
「頑張っても二十年先になりそうだとしても?
お嬢さんには拘らずに力を注いだ妻を作るなら、来年には子供に囲まれているかもしれないよ。それでも愛せるのかな」
「……他には?」
「ミラーを狙って奪いに来る手合いがいるかもしれない。
弱くて小さなお嬢さんは格好の人質だ。守れるかな、ミラーは。それとも見捨てるのかな、ミラーは」
鏡が妙な事を言い出した。俺を、誰が?
「誰が俺を狙うと言うのだ」
「君が君であるが故に。鏡とは違ってミラーであるが為に、ミラーには価値がある」
「俺にそんな価値があるとは思えないが。“若くして隠遁した魔術師”だろう?」
「驚くべき過小評価だ。君を欲しがる者は幾らでもいる。
山奥に捨て置かれている今はいい。だがミラーの力の使い方のままでは危うい」
鏡には憮然とした俺が映る。
「俺が力不足だと言うのか」
「少なくとも栓をするのに手間取っているうちは危なくて仕方ないよ、ミラー。
戦槌で骨を砕くのも、元素術で攻撃をするのにも処理に時間を掛け過ぎている。
栓をしてしまえば抗える生者はとても少ない。臓器を見せぬよう防護しているものも殆どいない。餌の身体構造に対応して素早く栓をして殺し、喰らった命で術力を回復させて殺し続ける。一方的な虐殺には持って来いさ」
「鏡の趣味の問題ではないのか」
「そうであるならばまだいい……鏡も甘んじて非難を受けよう。
毒でも、元素でも、聖と邪も何を使ってもいいよ。でも今のミラーでは処理が遅い。
いざ君が脅された時、本性を現して暴れる以外の選択肢がないなんて事態は嫌だよ」
鏡に俺は言ってやる。
「いずれにせよ本性を試す必要はあるのであろう。鏡よ、手伝え」
「ミラーは強いね。好きだよ、ミラー。手伝おう。腐敗を見つめる時間を」
試すのは初めてではない。暴走の兆候を見せれば鏡が制止に入って来る。俺が正気を失えば変成術でも元素術でも手段を問わず止めると鏡は言う。
試す度に俺は向き合わされる。己の本性を。腐敗を。堕落を。増殖を。創造を。時に不快で、時に快い。血に潜む異能との対峙から戻る度に、俺の何かが変わっている感覚はある。何度やっても変えられ、失われる感覚は恐ろしい。何が変えられて失われたのか解らないのはもっと恐ろしい。自己鑑定の習慣は異能との対峙の中で定着していたのだと思い出した。
気が付いた時には何もかも腐らせて消失しているやも知れぬと思えば、己の奥底にある扉は開け放ち難い。だが、触れる事のできる最大の力の源だ。子を産んで貰う為の種子は掌の上で転がせる程度の黒い粒のようなもので、奥から持ち帰るのだと鏡に聞いた。俺はまだ持ち帰れた事がない。……今日は見つけられるだろうか。精神集中を深め、眠りこけている本性に手を伸ばした事は覚えている。