67. 仲裁
結局、俺は地道に二人の話を訊いた。顔を合わせれば喚いて機嫌を悪くする父、一見して歩み寄りのない母。大君ダラルロートが統治するリンミの街を中心として独立したリンミニア領一帯を支配する傍ら、俺は仲裁を試み続けた。
父こと鏡は話を聞き出そうとする度に微妙に言う事が変わるし、俺は母と話していると視線を向けられて声を聞くだけで湧き上がる陶酔感を抑えるのに苦労した。敵対者には恐怖を与えるらしいが、俺には心地よいのだから仕方がない。息子の心情としては積極的に母の味方をしたかったが、鏡が癇癪を起こして放つ魔術は街一つ滅ぼしかねない。已む無く、二人の間では中立にして中庸なるミラーソードとして振舞う努力をした。結局は母寄りにはなるにしてもだ。
母の話はなるべく自宅でするようにしている。人里から遠く離れた山の中に構えた俺の家でなら、皇都やリンミが滅びる心配はしなくていい。今晩もそうだ。
『我らが神は腐敗を第一の権能とし、堕落と創造、増殖の権能をも司る。
神子は悪を蔓延らせ、腐敗と堕落の種を蒔くよう求められている。
私の役割はあれに本来の務めを果たさせる事だ』
「……と母は言っていたが、鏡はどう考えているのだ?」
「一言で言うと面倒ね。あいつと違って産みの親に義理なんかないし。
鏡はね、お嫁さんと幸せに暮らす以上に大事な事なんてないと思う」
「鏡は母と過ごしてもいいと思うがな。好意は持っていたのだろう?」
「鏡はミラーと好意の定義について話し合う必要性を感じるよ。
鏡はずーっと怒ってるのよ? うちの子に烙印を刻むなんて。
烙印なんざ首輪よ、首輪。裏切れないように刻む呪いなの」
鏡は首輪だの呪いだと言うが、俺は主観の相違だと思うのだ。
鏡の剣の柄に括った翡翠の玉飾りを眺める。俺にとっての烙印は母からの贈り物で、邪神に授けられた恩寵だ。俺は裏切る気などないにしても、忠誠の証を捧げよと言うのなら構わない。番には指輪を贈ると聞いたが、首輪と指輪がどれほど違う?
「俺がシャンディに刻んでやった魔力回路と似たようなものだろうに」
「……ミラーもやってたね。それともあいつの趣味かあ?」
「俺は単に手っ取り早く力を与える手段として選んだだけだ。
母も同じだったのではないのか? 鏡がそうまで怒る必要がある事かね」
「ミラーはあいつに甘いよ。ミラーはうちの子で、あいつはあいつなのに」
ダラルロートとアステール、ヤン・グァンなどにもどう言って仲裁するべきなのか訊いてはみたがな。息子としては結局は二人で話して貰うしかないのだと結論した。「あれ」だの「あいつ」と言い合っているが、互いを意識しているのは解る。
「俺をお化けから守ってくれる者を大事にするのは当然だと思わないか」
「重要なのはそこなのね、ミラー」
「この世で一番重要な事だろうに、鏡よ」
俺の価値観を突き詰めれば究極的にはそう言う事だ。おぞましく、この世の終わりよりも先に滅ぶべき者どもを遠ざけてくれるのなら祈るし感謝もするさ。けしからぬ者どもから守られているのが邪神の恩寵でなかったら何だと言うのか。俺は己の弱点を自覚した後、絹布と銀糸で作った聖句の御札を手放した日がない。
そんな会話を積み重ねて十数日。俺も力の扱いと加減を掴んだ頃か。
「鏡とてもずっと剣呑でいたい訳ではあるまいよ。見ていれば解る」
烙印に宿る神力を借りながら俺自身を組み替える。父の力を返し、母の力へと入れ替える。まだ慣れないので少しばかり時間が要る。抜き身で宙に浮く鏡の剣は念動力の手を操り、別の杯に茶を淹れる。
「冷静に話してくれると息子としては嬉しいがね」
「鏡は何も約束はしないよ」
「不味そうなら止めに入る」
父の魔術に関わる力の大半に触れられなくなり、代わりに母が邪神から得ている力が俺の肉体を満たす。平時は抑えられているが、意志一つで腐敗の瘴気と堕落の闘気を撒き散らして暴威を振るう高位の暗黒騎士の力だ。触れられたものは腐り落ち、見つめられれば堕落へと誘われる。声は味方を鼓舞し、敵を恐れさせる。扱える邪神由来の神力は魔術師を主体にしている時の比ではない。暗黒騎士ミラーソードと何の衒いもなく名乗るに足る力だ。
俺は源泉との接触を繰り返し、魔術師としての力を減じる代わりに暗黒騎士の力をより多く引き出せるようになった。烙印が熱を持つのを心地よく感じる。整えた器の中で意志が混ざる。
「お茶くらいは出してあげる」
「そなたは茶汲みばかり上手い」
母の意志が俺の口を開くに任せ、俺自身は傍観を決め込む。今晩は穏当な部類だ。鏡は突っ掛かるだろうが、母は褒める気が一応はある。『鏡殿は仕事をしたくないと言う一方で褒められたいとは思っている』とはダラルロートの評で『世話を焼かれるに任せていれば会話の機会は作れる』とはアステールの評だった。実践に至るまでには長い道程があったがな。
「ふうん。今晩は何しに来たのよ」
「会いに来ただけだ」
俺の顔を映していた鏡の剣の刀身に銀髪の魔術師の像が結ばれる。むくれ面をしているがこちらを見てはいる。視線に対しては平然たるものだ。
「堕とせるものならとうに堕としている」
「効く訳ないのにさ」
「そうしたいと願うのは私の勝手だ。そなたが自由にしているようにな」
「効かないと知った上で鏡相手に繰り返せる気概だけは褒めてあげる」
他の三人と違い、父の意志は俺の中にはいない。力を借りる事はできるが、意志は鏡の剣に住んでいる。母の渇望は鏡に向いている。その手が俺の肩に服の上から触れた。烙印が疼き、心地よく溶けそうになる。
「我が子はこんなにも従順だと言うのにそなたは強情な事だ」
「ミラーはいい子に育て過ぎたかなとは反省してるよ。
どうしてこんなにお母さん大好きっ子なんだ、おかしいだろ」
「私はそなたと違って我が子に嘘を言わぬからではないか?」
「僕が思うに、君は嘘でさえなけりゃいいと思ってない?」
「さてな」
揺らいだ自我を支えられて浮き上がる。まだ鏡の態度には棘があるものの、随分ましにはなったのではないかな。会話が成立している。
母は分体よりも俺の肉体を使う方が好みらしい。分体に分けてやれる力よりも俺に扱える力の総量の方が多いからだ。そうして、より多くの力を得ろと俺に囁く。
「全く、二人とも何が楽しくてそんなに僕を働かせたいかね。
ミラーの望みを叶えてあげる鏡でいられればそれでいいのにさ」
「私は我が神の意志に忠実なだけだ」
「義理を感じたって大して報いてはくれないよ」
「多大な恩寵を注いで下さった。
悪を蔓延らせ、腐敗と堕落の種を蒔く事への代価として」
腐敗を帯びた手が鏡の剣の刀身に触れる。《非破壊》の魔力回路が鏡の刀身に走り、有害な魔力を受け付けない。変化と破壊を拒む防護だ。魔力回路が消えた後には俺の顔が映る。母の意志に身を委ね、どこか餓えた目で鏡を見ている。
「多大、ね。器一杯に受け止めた恩寵でもなお届かないのに」
「順序は考えるとも。ミラーには今よりも大きく育って貰う」
「そうね。どこと手を繋がなくてもいい程度の武力と魔力はあってもいい。
目立ちながら幸せに引き篭もるって大変なのよ、お母さんもそこの所は解ってね?」
「同意に至ったと考えておくとしよう」
鏡と母はひとまずの同意には達してくれた。俺が烙印を刻まれて鏡が激昂した日以来、“お母さん”と言う鏡の言い草は久し振りに聞いたな。
母の内面は凍土のように凍えている。けれども捕らえた俺に注がれる熱量は心地よく、鏡に関る時は器に満たされた腐敗と堕落の脈動を感じられる。肉体の主導権を手渡される感触を寂しく思う程度には母の支配に馴染んでいる。
「これで満足してくれた、ミラー? お母さんっ子のせいで随分と譲歩したわ」
「ああ。ありがとう、父さん」
礼を言われて動転する鏡を眺めるのは心楽しい事だったよ。




