61. 母の部屋
まだ、朝ではない。
皇都の屋敷で目を覚ましたものの時間が早過ぎる事を訝しく思ったが、どうせなら試そうと決意した。いるのだろうと半ば諦め気味に声を掛ける。
「ダラルロートよ」
「控えておりますよ」
名を呼ぶまでは存在を感じさせなかった男が寝台の傍に姿を現す。鏡が反応しないのはダラルロートによる認識欺瞞であろう。寝台の上で身を起こす。
「母と話してみたいのだが、俺がやるとアステールに繋がってしまってな」
「ミラー様は私の手による調整をお望みですか」
黒い瞳が俺を無遠慮に凝視したと認識した途端、肉体に震えが走る。平静を保っている俺の精神とは別物のような反応だ。
「それも方法だとは思うがね。分体よ、ダラルロートではない姿も取れるな?」
「と、仰いますと」
ダラルロートの形が崩れる。黒髪と同じ色に全身が染まり、音もなく粘体の塊が俺に這い寄って来る。アステールの話からそうではないかと思っていた。
「このような?」
どこからどう声を発しているのか定かではないが、黒いスライムからはダラルロートの声がする。そいつは寝具の中へと潜り込み、俺の身体に夜着の上から張り付く。指めいて細い触手が形成されて俺の頬へと伸び、撫で触られた。気分は悪くなかった。
「本性を現しても意思を保っていられるのだな」
「ええ。ミラー様も堕落との接触を深めれば意思を保つ事も可能になるでしょう」
触手を生やす触腕を掴んで口付けをくれてやった。粘液全体が喜色を湛えて蠢き俺の胸から下までを包み込む。
「これはこれは……嬉しい事ですねえ」
「褒美をやっていなかろう? 死ぬまで戦わせておいて功に報いぬと言うのもな」
本心ではある。全てでもないが。
「褒美でしたら私の為に御身の右腕を頂きましたのに」
「あれは貴様の蘇生に必要だったからだ。正当な恩賞を与えたとは考えていない」
腕の一本や二本、治癒術で生やせば済む事だ。アガシアの契印を捧げ、アステールを一欠片も余さず啜り喰らった後。理力術で操ったダラルロートの直刀で腕を切り離した俺はそうした。鏡には随分と喚かれたがな。
着ていた夜着が消化されて消失し、右腕が肩から絡め取られる。じわりと分体が同化する感触が俺を蝕む。生命の危機を訴えて肉体がまた震える。
「御所や悪夢の中で終わりなく貪り続けられるよりかは良かろう。
朝までだ。それとも俺の肉体よりも欲しい恩賞があるのか、ダラルロート?」
「いいえ」
俺よりも堕落との接触が深い、と事も無げに言ったダラルロートは真の意味での化け物だとは思う。腐敗の邪神の注視を受けたとアステールが言っていた。
「そして貴様が父なる邪神から得た堕落を俺にも寄越せ」
「喜んで注ぎましょう、我が主よ」
頭まで這い上がって来た堕落の口付けを俺は受け入れてやった。
どこまでも愉しげな声が耳に響き、肉体の上げる悲鳴と引き換えに俺を今までは入れなかった部屋へと導いた。




