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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
ミラーソードの家族
60/502

60. 公爵の部屋

 ダラルロートに力の源泉についての話を聞いた夜、俺は皇都の屋敷で就寝したはずだった。

 本心を言えばお化けが怖いので自宅に帰りたくはあるのだが、ダラルロートに「私がお守りする以上、ミラー様が恐れるものなど近付けさせません」と魔物封じの指輪をちらつかせて言われては大人しく就寝せざるを得なかった。あの指輪には魔性を封じ込め、幽閉しておく力がある。何が幽閉されているのかは考えないようにしている。こうして思考の端で触れるだけでもキリキリと身が軋み、恐怖除去に術なり血の力を割かねばならなくなる。だが、公爵は外ではなく中にいる。



「卿が一つだけよくしてくれた事がある」


 気が付けば俺はアガソス風の調度を揃えた一室にいた。窓ははめ殺しのものしかない室内には公爵の趣味の盆栽の鉢が幾つもあり、少ない日照を鉢が受けている。食卓には鏡が茶を淹れるのに使っていたのと似たようなアガソス風の茶器。不自由を強いられているなりに、老人のお気に入りの品だけを集めて作られたような部屋。


「弟子だった者とは違い、儂は正体が不明になるほど掻き乱されてはいない」


 表情らしい表情はない。やかましく唾を飛ばしていたが快活そうだった“御老公”の名残はなく、敗北し幽閉に甘んじる亡国の公爵がいる。俺はアステールの全てを喰らった。こうして公爵の部屋にいるのは知識と経験について触れ易くする為の索引のようなものだ。……そのはずだ。


「奴は死ぬ前から化け物だったぞ」

「禁忌に触れる事を厭わなかった生前よりもなお一層、悪化している。

 腐敗と堕落との接触で悪しき力の扱い方を習得し、腐敗の邪神の注視を受けた為だ。

 あれは卿を弄り回す事に喜悦を隠そうともしていない。自らが腐敗と堕落の一部となる事を既に受け入れた魔性だ」


 正しく善なるアガシアを奉じていたアステールの属性もまた正しき善だ。法を尊び、善性を擁護する。俺の中にいる他の者にはない善性を公爵の部屋の住人は留めている。


「あれは卿が自我を崩壊させる度に都合よく造り替えるであろう」

「好きにさせるさ。ダラルロートは俺の一部だ。俺の中の腐敗と堕落に染まっていても驚く事じゃない」


 公爵は彼自身が淹れた茶に手を付けていない。表情のなかった顔に苦渋が滲む。


「儂が何を言うても卿には届かぬのかもしれぬ」

「俺が貴様に期待しているのはアステールの知識と経験ではあるが、善の者の親切がましい警告ではない。

 俺は貴様を幽閉し続けるし、隔離する価値を感じなくなったらこの境界そのものをなくして腐敗と堕落の奥底に沈めるまでだ」


 俺はこんな事を考えていたのか、と内心驚く。俺の一部との対峙でなければこんな事は言わない。ダラルロートを喜ばせれば嬉々として夜這いを掛けられそうなのが嫌だ。


「いつの日にかはこの幽閉が終わると思えば心愉しい事だ」

「気丈だな、アステール。俺を呼び込んだのはダラルロートの躾の説教だけか?」


 そうではあるまい。俺が公爵の部屋に来るのは容易い事だが、公爵が俺を呼べるのは俺に有益な思考なり情報を持っていて対峙する必要がある時だけだ。


「アガシアの事を話しておきたい」

「アディケオと(ねや)を共にして過ごしている女がどうした?」


 ああ、愉しいな。

 こうして苦悩を深める顔を眺められるのなら、部屋を隔離し続ける意義はある。かつて強者であったからこそ嗜虐心が満たされる。


「守り役だった者として身を案じている」

「貴様にとってはそうだろうな。俺は隠れる(きみ)の御所には当分戻らぬが、女神の上げる怨嗟の声はさぞ耳に心地良いであろう」


 お化けさえ怖くないなら俺とても愉しめたと思うのだ。アガシアのお化けが御所の霧の中を飛び回っている、などと言う想像は公爵の部屋の中でさえ俺の精神に痛みを走らせる。

 アディケオを受け入れないアガシアを憎んでいたアディケオの使徒らにとっては、アガシアの悲鳴が御所に響き渡っているのはいい娯楽だそうだ。ダラルロートなど御所に出向いて聞きに行くのが就寝前の愉しみだとまで言っていた。いずれアガシアが嬌声を上げるようになり、アディケオに屈服し合一すると疑っていない。


「絶え間なく悲鳴を上げているそうだ」

「……アガシアの拒絶は永遠に続くであろう」

「俺に幽閉された貴様の信仰はアガシアには届かぬ。いずれ神力が尽き、アディケオに呑まれるのではないのか?」


 訊ねれば、公爵がゆっくりと首を横に振った。


「アガシアはアディケオより分かたれた美であれば、アディケオが在る限りアガシアも滅びぬのだ。アディケオが在り続ける限り、アガシアは苦しみ続ける」

「ほう」

「それに」


 それは初耳だな。

 アステールが手元に箱を手繰り寄せる。アガシアの花をあしらった小さな箱だ。アステールの年老いた手が蓋を開けば、アガシアの声がした。


「助けて、じいや」

「まだアステールがいる、アガシアには感じられる」


 ぱたりと箱が閉じられる。瞑目し、苦痛に耐える表情に偽りは感じられない。


「儂は長くアガシアに接していた。今もこうして声が聞こえている。

 卿に幽閉されながらアガシアの声のみを聞き続けるのは耐え難い悲しみだ」


 くすんだ白銀の公爵が言う。俺に乞うように。


「まだ腐敗と堕落に沈めてはやらんぞ」

「それでも、いつかはアガシアよりも先に逝けるのなら心愉しい想像なのだよ。

 もしも叶うのなら、儂をアガシアに会わせて欲しい。もはやアガシアを救えずとも、苦痛を和らげる事だけはできるだろう」


 ―――それは魔法騎士としての力を引き出した状態でアガシアに会え、と言う事か?


「慈悲を乞う事しかできぬアステールだった者の願いだ」

「望みを叶えず嬲る事に喜びを見出すとは考えなかったのか」

「実際に卿はそうするであろうが、儂の言葉を思い出す時が来るのを早めたいなら今しかなかった。

 卿が堕ちた聖騎士に触れようと(たが)を緩めた今夜を逃せば、次の……」


 公爵の部屋にミーセオの鐘の音が遠く響く。面会時間の終わりを告げる鐘だ。

 次の機会は遠かろうから、と言おうとしたアステールの姿が部屋ごとぼやける。俺は現実の寝台の上で目を覚ました。

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