57. 皇都アディケイア滞在
アガソスを攻め滅ぼしたミーセオ悪国はミーセオ帝国と改称した為、首都アディケイアは皇都アディケイアとなった。元々ミーセオの王家は皇帝家を名乗っていたが、アディケオがアガシアの契印を奪うと言う悲願を達成する日までは帝国と名乗らずにいたのだと言う。俺にはよく解らぬが、呪いや願掛けの一種だと言われれば納得できない事はない。
秋の六週目の黒曜日が帝国の祝日と定められ、今後毎年祝うのだと言う。石材よりも木材の生産が盛んなミーセオの中心らしく、街並みには木造建築物が目立つ。三階や四階建てと言った背の高い建物が多いのも二階建てまでの石造建築が多いアガソスとの違いだろうか。ミーセオはアガソスよりも広大な平地が少なく、子沢山の人口を狭く高い住居に詰め込んで暮らしていた。アガソスを征服した事で、狭い家に詰め込まれていた子らは旧アガソス地方での官職を得るべく熱心に活動しているらしい。
俺達は皇帝にアディケイアでの滞在先として与えられた屋敷にいるのだが……
「だからと言って俺に食物が大量に届くのはどうなのだ。歳暮とは何だ?」
「年末に贈る上官や親族への付け届けです、ミラー様」
右を向けば、ミーセオの絹衣を着たダラルロートがミーセオの流儀で点てた茶を勧めて来る。
「いいんじゃないの。お土産を何にしようって困ってたでしょ、ミラー」
「そうなのだがな。ヤン・グァンには茶葉が良さそうだ」
左を見れば抜き身で宙に舞う鏡の剣は念動力の手を操り、アガソスの作法で淹れた茶を盆に乗せて俺の前で停めている。
「二人ともどうして茶を汲んでいる?」
「ミラー様に届けられた茶葉でしたらミーセオの茶道の方が適しています」
「鏡ね、アガソスの茶芸を覚えたの。ダラルロートにはもう負けない」
二杯の茶を用意された俺は嘆息し、鏡が淹れた茶に手を出した。
「二人ともそんなに茶を汲みたいなら茶菓子もくれ」
「おお、そうね。何がいいかしら」
「茶饅頭など如何でしょう」
「鏡はバターたっぷりなクッキーを焼かないといけない気がするの」
話題を振って注意を惹いた隙に熱い茶を飲み干す。鏡はアガソスの茶葉をどこからか調達して来て淹れたらしい。香り高く、茶葉の苦味は抑えられている。よく親しんだ味だ。……誰が? そもそも茶芸とやらは誰が覚えていた? アステールの知識と感性だ。
ダラルロートが点てた茶も一口飲んでおく。こちらは苦味が強い。茶の旨みが強いとも言える。甘い茶菓子が合うだろう。しかし、茶道の心得と言うのは俺の中にはないような……? 俺自身を詳細鑑定してみれば、ダラルロートが刀剣術に二刀流、舞踏の心得などと一緒に切り出して持ち出しているらしいと解る。
「用意のあるもので良いから甘いものをくれ。考え事が増えた」
「では羊羹に致しましょう」
希望を言えば手際よく黒い茶菓子を切り出して供された。ダラルロートが点てた茶には丁度いい甘さを感じられた。
「くっ……茶菓子の材料も調達しなきゃいけないのね」
「茶とは茶葉だけでも、茶道具だけでもないのですよ鏡殿」
ミーセオの皇都でアガソスの茶の支度をしようとしたのは鏡に不利だったのではないかね。リンミに帰ってもダラルロートの方が一枚上なのは変わるまいがな。
鏡にせよダラルロートにせよ俺の中にある知識や経験を共有して使っているはずなのだが、所々に違和感がある。俺と鏡なら鏡の方が得意なもの、俺とダラルロートなら持ち出されて俺の中には見当たらないもの。
苦味の強い茶をもう一口飲む。届いている食物はミーセオの民から俺への贈り物なのだそうだ。アガシアの花と第一使徒アステールをリンミの大君ダラルロートと共に打ち倒した、アディケオの第三使徒ミラーソードへの捧げ物。
ミーセオの皇帝とアディケオの第一使徒にさえ会ったら俺は帰りたかったが、リンミの独立を正式にミーセオ帝国から認められる関係でダラルロートに付き合っていた。ダラルロートはミーセオのリンミ守護から大君と呼ばれる一つ上の階級に登り、より大きな権限を認められた諸侯として封じられる。要は俺がリンミでダラルロートにやらせた事―――聖火教の公認、市民階級制度、法制度の改正―――のミーセオによる追認だ。俺はダラルロートからアディケオの第三使徒の位階を引き継いだ為、同席した方が周知が年単位で早く済むと言われては付き合うべきだと判断した。
「ダラルロートはシャンディに何をやるのだ?」
「彼女の要望通りの品ですよ。
皇都で手に入るものの方が美味な品を幾つか選んであります」
リンミの留守を任せていた腹心への土産、と言う難題に俺は空にしたアガソスの茶器を眺める。他の連中とは違う、新たに俺の中に加わった感性なら何がしかの良い知恵を持ってはいまいかと。
「なあ、ダラルロート。翡翠細工と言うのはどこで買える?」
「翡翠ですか。心当たりはございますので買い求めに参りましょう」
知らない事の方がなさそうだからな、ダラルロートは。
「鏡もちょっと興味があるな」
「でしたら柄に繋ぐ玉飾りなどがよろしいかと」
玉飾りか。ダラルロートの言葉に一つ思案が浮かぶ。鏡の剣は作成時に魔力回路として《非破壊》を刻んでしまっており、壊れない代わりに追加の魔力付与が難しい。飾り紐の類ならば飾りを付け替える事で対応できそうだ。
「よかろう、鏡にも何か選ぶとしよう」
「え、ほんと? 好きだよ、ミラー」
鏡の発した何気ない好意の言葉が誰かの記憶を引き摺り出す。
『好きだったから』
『じいやが大好き』
「……そうか。他に何かリンミに戻る前に調達するものはあるか?」
残っていた苦い茶を飲み干す。蘇った誰かの記憶諸共に茶を飲み干し、俺の奥底に仕舞い込んだ。




