F56. 絶密黒客! 焼椙山常秋院悪慧寺の怪僧を救え
今回の作戦立案はベイ・チャーリー・ソン公子。事前工作の多くも公子によるもの。
実働部隊は僕、公子、スライムくん、白腹井守のジアン、フロスヴァイルの迎楽寺一同。最も強力な後援者―――責任者はサイ大師だ。
七曜寺社用語で侵入任務全般を『黒客』と呼ぶのだけど。
昔話に、極めて高い任務成功率によって七曜寺社全てに畏れられた悪しき英雄がいてさ。生涯名を知られる事なく、遂にはいつ死んだのかさえも隠し通した侠客を元始黒客として祀ったのが始まりだ。
後世の研究によって、元始黒客は反抗者のクラスに到達していたと推定されている。技を極めるに至った反抗者は一個人の力で一国を滅亡に至らしめ、土着神から契印を盗み取る。侠客的な偉業の結果として半神や小神の域に手を掛けていたって事さ。そりゃ怖いから祀るし、歴史として教えるよね。
黒客叩斬と言うなかれ。他派閥の寺社に無許可で押し入るし今回の敵対派閥からすれば誘拐もするが、依頼者である選書派の大義としては要人の救出と保護。則ち絶密黒客に分類される。
第一、徒党を組んで狼藉に及ぶ黒客叩斬なら初手でチャーリー公子が容赦なく本山を焼きに掛かっただろうし、大きくなり過ぎる作戦規模をサイ大師がお許しにならなかっただろう。
一方で、絶密黒客は基本的に人を殺さない。隠れる君とも呼ばれるアディケオの恩寵の鮮かさを世に示し、事を成すまでは隠し通すのが高等な絶密黒客であるとされる。許可も下り易い。何しろ人が死なないしね、大事な事だから二回言っておこう。
そもそも黒客叩斬は暴力さえあるなら誰にでもできる下の下。絶密黒客こそは綿密な下調べと厳密な隠密行動と言う三密を求められる上の上。……と主張する人もいる。やる事はそんなに違わなくない? と僕は思う。
僕ことフュー・ダオが赤斑教の分派として観音派迎楽寺を建立した身であるからには、ミーセオ帝国西部旧領にある黄眼教の本山を私的に訪う機会はあまりない。
時と場合によっては、世の権勢と神々の恩寵を奪い合う坊主どもの巣窟だからね? 統治神にして不正神たるアディケオを崇めるミーセオニーズとは正しく悪しき者どもであれば、内輪の結束の固さと対外的な抗争の苛烈さはもはや宿命めいている。部外者が情勢を探りもせず、気軽に訪問すべき場所じゃないよ。
ましてや夜陰に乗じて訪れたのは、この世全ての叡智を求めて瞳を黄金に輝かせる智慧者の巣窟だ。石を数個も投げれば間違いなく妖怪『論文を読ませろ』の類に当たる。今日は要人保護と言う仕事の性質上、黄眼教徒の学僧に捕まりたくはない。
特に今回は絶密黒客だからね。隠れる君に隠密としての技量を披露し、任務をやり遂げると不正神が信奉を獲得する。神格の権能に関わる試練を定命の者が達成する事で発生する信奉はいつだって大きいのだ。祭品経にもそう書いてある。
黄眼教の本山の話をしよう。
山号が焼椙山。選書派が好んで名乗る一方、教導派は山号をすっとぼけがちだ。
かつてはアディケオの神血を色濃く受け継ぐ皇子だったオーシが昇神を遂げた聖地としての院号が常秋院。
賢人の招集に尽力した黄眼教の初代教主が掲げた寺号は悪慧寺。
三つとも正式名称だね。いわゆる山院寺の順なら焼椙山常秋院悪慧寺、と書く。
神格として秋を司る大神に至ったオーシに初めて祝福された覚えめでたき土地として、焼椙山一帯の季節は秋に固定されている。常秋院の院号とは尊称なのだ。七曜寺社の中でも特に古い寺社だから縄張りはでっかいぞ、五つの市と多数の邑を擁する焼椙郡が黄眼教の一大勢力圏だ。
ミーセオ帝国の版図内で最も高い識字率を誇るのは皇都ではない。焼椙郡だ。
……まあ、国勢調査をやっているのはミーセオ帝国大学で、帝国大学とは黄眼教の教導派であるからして。公開されている統計に不正はないのか? ほんとに~? とも僕は思うが。一応、そういう事になっている。……実態に合っているのかどうかは知らないよ。学生が学生を辞めた後の学力低下に関しては無頓着だからね、彼ら。
もちろん、過去にお仕事として来た事はあるよ。僕は常秋院に限らず、七曜寺社の本山には全て長距離瞬間転移できる。
だって帝国公認上級召喚術師認定試験の課題だったからね。試験本番で転移を実技として要求されたのは七社のうち四社の本山だけれど、皇都から跳べなければ―――つまりは出入り禁止を喰らっていたら―――落第してしまう。
本質的には召喚術の技量以上に、七曜寺社との協働が可能かどうかを見る課題だ。僕も本試の六週前から、当時まだ存命だったオー・ロンガンを連れて各地を巡り、寺社への進物と生臭聖職らへの賄賂を配って回ったものだった……。
坊主と尼僧には別の物を渡すんだけど、ミーセオニーズは自分と同僚が受け取った賄賂の価値の差には敏感だからね。ジアンも色々と教えてはくれたけど、オー・ロンガンの適切な助言なしに正しく賄賂を配って回れたとは思わない。
僕の兄弟子は亡霊じみた外見を怖がられて交友関係が広いとは言い難かったけれど、器用に収賄ができないミーセオニーズなんてミーセオニーズを名乗れない。みんな上手いものさ。エムブレピアンの僕からすればあまりにも複雑怪奇だ。どうして以前受け取った賄賂の事を過去十回分以上も覚えていられるんだろうね? 僕には無理よ、頂いた果汁や菓子を食べたら忘れてしまう。
来てみると懐かしいよね、故人と一緒に旅行をした土地って。同行者こそ違えど、自然と思い出してしまう。
“旅行”と呼ぶにはあまりにも弾丸日程だけどね。今回、常秋院の敷地内に留まるのは最大でも四半刻以内の予定だったし。何なら、予定の半分で済みそうだ。
何しろ、もう合図が来たからね。
「保護対象を確保しました。手順4、経過甲」
「4甲、承知。お待ちしています」
接続法越しに公子の意思が示され、返事をすれば僕の目に見えている常秋院滞在中の任務進行度合いのチェックが一段階進んだ。
手順1 : 絶密黒客開始。 焼椙山常秋院悪慧寺に侵入せよ。
手順2 : 脱出地点を確保せよ。
手順3 : 保護対象を確保せよ。
手順4 : 保護対象を同行して脱出地点へ向かえ。
手順5 : 総員、敵地から離脱せよ。
経過甲と言っているのは『予定外の要因による計画変更なし』の意だね。実に手際がいい。仇討ち人として暗殺が本職のフロスはともかく、チャーリー公子の黒客ぶりもハイレベルだ。
占術師として接続法で仲間内の密議を内々に処理しつつ進行状況を説明する進行役を務めながら、同時進行で身体を張って敵地から要人を奪い取ろうとしている。
僕からすれば文句なしに仕事ができる男だ。素敵な人材だよ、うちの勧学は。どのくらい優秀かって、ミーセオ帝国内でなら第二使徒スコトスに次ぐ格くらいは狙えるんじゃない? 背景を知らなかったら、それこそ元始黒客の再来と怯えるかもしれない。
ほら、公子のあまりの出来の良さを前にしたジアンが一言も発しないからね……。
漲る小舅根性を我慢して黙っている訳じゃない。ジアンにそんな寛容さがあるかと言われれば首を横に振る。前世で事を成し損ねた腐れ宦官の魂が井守に閉じ込められた小物だぞ、そんなに大きな器はない。手口に対してケチの付けようがなくて絶句してるのさ、純粋に。そろそろ正気に戻ってお小言の一つや二つは吐き出して欲しい。らしくないぞ?
よしんば公子には何一つ敵わなくとも、ジアンには僕が受け取って食べてしまった賄賂についてずっと覚えておくと言う大事な仕事があるんだからさ。僕が子供の頃から一緒にいてくれたジアンにしか頼れないよ。
僕のお仕事は手順2で脱出地点となる井戸を確保して隠れ、手順5で合流した全員を脱出させる事だ。院内からの長距離転移は難しい上に占術的に足が付き易い事は解り切っていたから、遠方へ跳ぶ難易度が下がって秘匿性も高まる井戸渡りをする。納税なり賄賂を受け取ったスカンダロンが秘密を明かさない限り、定命の者には分からないのさ。
ただまあ……そんなに高価で希少な秘密ではないから、知的好奇心を満たそうとする黄眼教の学僧に安く売られてしまうかもしれないのだが。それはそれで神意として受け止めよう。井戸の巫女としては、帝国の裏の守護神の御心のままに、だ。
手順1と3と4には関わっていない。手順1からして、公子の手で櫃に圧縮封印された僕らを持参した公子が火球と化して自身を院内に撃ち込むと言う荒業だった。
あれは俗に言う火球の術式じゃないでしょ。高速で打ち出された光がほんの瞬く間に目視されるかもしれない、現場に痕跡らしきものは残さないって何さ。高性能過ぎる。公子曰く流星だそうで。今日の為に開発したんだってさ。流石はチャーリー公子だ、火焔神の恩寵が篤い。
侵入後はどうやって常秋院が院内に張り巡らせているはずの敵意探知や警報と言った拠点防衛用占術を掻い潜り、選書派の要人の拘束を解いたのかを接続法を介して見聞きさせられていた。
ジアンが絶句してしまったのも、公子の手際があまりにも鮮やかだったからだよ。誰だっけね、ミーセオニーズの術師が編む術式は秘匿性が高くて異種族には解除や改変をされ難いだとか、嘘八百ほざいてくれた大学教授は。エマトキシーアンの公子がちょっと御手を引っ掻くようにして術式を揺らがせたら、もう完全に沈黙してたじゃないの。
「ジアン、どう?」
「……。……はい。はい、手順5、進行可です。フュー、どうぞ」
よしよし。
ジアンは井戸の外だからね。僕と一緒にいたら、接続法を介さずに慰めてやれたのだけれど。ジアンは公子に聞かれたくないだろうからね。お仕事ができる程度には正気でいそうだ。……反応は少し遅かったが……。後でやる反省会で公子にネチネチと『見張り役の反応が数秒、遅かったのでは?』などと虐められそうだね。
進行可だと言うので、井戸から右手だけを出す。見る者が見れば頑健2の小柄な術師の手だ、到底 武器など握らないような細くて弱々しい女のもの。それでも、変成術で視力を強化しつつ闇を見通す公子の目には見えている。
「移動目標を捕捉しました」
ひんやりとした井戸の中は心地よい隠れ家だ。井戸の巫女である僕にとっては、と注釈を付すにしても。たとえ井戸として使われている間であっても、崩落の大君は巫女を隠し通してくれる。
僕が今いる異空間は井戸の中だけれど、厳密には井戸の竪穴の中にはない。井戸に重ね合わされた煉獄への直通経路上にある、隠されたポケットと言うべきかな。井戸に供物や死者が投げ込まれるとこちら側の経路が開く。
世間では井戸にゴミを放り込んで穢そうとする者や井戸を埋めてしまう者は呪われると言うが、実際には煉獄から吹き上がった瘴気にやられて死に至る。
そんなポケットから現世に出した手とはさて、本当に現世に在るのかな。コトコト煮込めば一報か二報は報告論文を書けそうだ。
「参りました」
そうして今、僕の手の中には重みがある。箸よりはだいぶ重いけれど、人を何人も封じているにしては随分と軽い巾着袋が一つ。公子謹製の魔法鞄を受け取ってすぐ、中へ手を引っ込めた。
敵対派閥の敷地内で飛行だの転移するのは露見し易い行動だけれど、小さくなって高速かつ静粛に射出して移動すれば高い隠密性を得られると言う公子の論法は新しかったよね。見張りを終えたジアンも井戸の中へ入り込んで来る。
よし、僕のお仕事に取り掛かろう。
接続法を介して袋の中身と聖獣に話しかけた。
「みんないるのね?」
「手順5進行、点呼を。チャーリーです」
「ジアンです」
「フロスヴァイルだ」
「俺って一匹なのか? フロスの分も数えて二匹か?」
……なんだか一匹なのか二匹なのか怪しいスライムのお友達もいるね……。自我は大丈夫なのかな、コラプション スライムって。高等なスライムは平然とヒトを喰い殺して全てを奪うと言うけれど。コラプション スライムの影となるとどうなのか。スライムくんはうちに帰ったらちょっと数え直そっか。
今は初対面の御仁に挨拶しないとね。脱出直前でまだ敵地とは言え、第一印象とは覆らないものだ。気持ちをスッと切り替えて、神格に祈祷と納税をする際に用いる一番耳障りの良い声を出す。
襲撃計画の概要が固められて以降、接続法を介した思念で快い挨拶を聞かせる練習に明け暮れた成果を御覧じろ。
「フュー・ダオです。焼椙上人はいかが?」
「貧僧を上人と呼ばわりなさるか。有難き事よ」
いやさ、今回保護しに来た高僧の尊称なのよ。焼椙上人って。
もちろん覚えてるよね? 僕らがどこに来たのか。焼椙山常秋院悪慧寺が黄眼教の本山の正式名称だと。
「今はヤキスギと呼んでおくれ。霊力を損なった儂の格などそんなものだ」
「承りました。ヤキスギ老を僕の迎楽寺へお迎えしたく存じます」
「世話になる」
じゃあ、焼椙上人もといヤキスギ老ってどなたでしょうねと言う話だ。魔力ではなく霊力と口走り、いかにも高齢そうな、山号持ちの……山、そのものだよね……。うん、名前を知らされた時から察してた……。何なら青鐘嶽の青鐘公とは同世代でしょ、僕だって察するわそのくらい。
井戸渡りを繰り返して迎楽寺に帰り着くまで、僕は選書派から幾ら褒賞を毟り取るべきか真剣に考えていた。




