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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
七曜の公主フューリー I
487/502

F46. うちの戒律的にダメなので

 召喚(サモン)はもちろん召喚術の基本であり、しかしながら奥義でもある。

 遠方に在り、縁が薄く、意欲的ではなく、存在そのものが強大ともなれば召喚は非常に困難だ。


 最高奥義たる超級召喚術であれば、数多の異界に干渉権限を有する上王の眷属を現世に召喚する事ができるとされている。

 上王そのものは偉大過ぎて現世に関心を持っていなかったり、そもそも言葉が通じなかったり、或いは存在が失われているので召喚に応じないとされているのだけれど……。


 異界には権能に相応しい席がないだとか、新たな版図や信奉者の獲得を欲した神格の下僕が異界から天下りして来るんだよ。

 世界を構成する権能の空席を埋める為に、或いは侵入者に対して無防備な土地を守らせる為に、上方次元や下方次元から招かれる神格もいるそうだ。


 アンタケ商人が扱う地図には、地図の縁や国境線に蛇の意匠が施されている事がある。世界そのものの守護獣、絶縁の神獣の御姿の一端と言う訳さ。神獣は侵略の意図を秘めて侵入を試みる存在を阻み、好ましいものを招き入れ、時として英傑に昇神への道筋を示す多彩多頭の大蛇(おろち)だ。


 異界からの召喚が難しい神学的・魔法学的な理由だよね。

 ……どうも腐敗の邪神はフリーパスらしいんだけどさ。門番としてそれでいいのか、と言う疑問はある。腐敗の邪神の場合は、眷属の貸与を願い出ても本人がやって来る事がある。何なら、召喚されなくても出現する事さえある。


 万毒の太后にして万病の太祖、星々を舐め溶かす超酸、(しか)して創世を為し終焉を看取る創造神であり破壊神。

 そんな軟泥(スライム)の上王がフリーパスなら、粗方の危険な神格が素通りできそうな印象しかないのだが……。どうなってるんだろうね、そのへん。狂える悪しき邪神と狂える善き神獣の間に存在するであろう、何らかの契約については仔細を知られていない。きっと定命の者が触れれば発狂してしまう代物だ。


 とまあ、どんな訳でもそんな訳でさ。

 召喚が容易いのは、近傍に在り、肉体の一部のような強固に縁を繋ぐ物品があり、助力に意欲的で、存在として弱小でもあり、招請契約を締結済みの存在と言う事になる。つまりは使い魔に伴侶や血族、そうでなければ魔術的に隷従を強いた奴隷だ。


 それこそ、長く侍ってくれた使い魔なら下級術の範疇で召喚術式を組める。

 今日は使い魔が遠方にいるから、長距離転移(ロングテレポート)相当の転移術式を内臓する都合で中級術相当だけれど。師匠に行使を禁じられたのは上級術だから、問題なしよ。


赤斑(チーバン)銀行本社頭取執務室からフュー・ダオが汝の帰参を命ずる。リンミの大君が定命の僕らをいびってくれているので大至急帰っておいで、ジアン! 長距離片道切符内臓式招請(インヴィテイション)、起動!」


 なあに? 僕の呪文詠唱が雅やかじゃないと咎める視線を衝立越しに感じるぞ?

 そりゃそうよ、チャーリー公子の身体を乗っ取っている毒親☆疫病神のせいで召喚陣を敷く時間さえ惜しんだからね。

 召喚陣を一から描くなら僕が今どこにいて、誰を必要としているかなんて事を一言一句誤解しようがないように描き込んでいたよ。それでビシッと結句だけ「召喚(サモン)!」なり「招請(インヴィテイション)!」とやっていたさ、時間があれば。普通なら、対象が召喚に応じるまで術式を維持する手間もあるんだし。


「フュー」


 ほら、すぐ来た。僕付きの聖獣は勤勉でしょ。

 久し振りに両腕で抱え上げるジアンは思ったよりも重たかった。この重さを肩の上に座らせて大丈夫かな……。道理で療養中は肩が凝らなかった訳だ。


「……二週間も私の庇護なしに過ごすだなんて……そんな無謀な……」


 ……確かにすぐに来たのはいいんだけど。

 ぐずぐず、さめざめと泣くような声音は確実に演技なのだが。ちょっと迫真の演技が過ぎるんじゃない? ジアンは白腹(バイフー)井守(イモリ)なんて辞めて舞台役者に転職した方がいいんじゃないの。


「ごめんて」

「さぞやフロスヴァイルだのベイ・チャーリー・ソンを守護者としてお気に召したのでしょうね……二週間も……リンミニアンだのコラプション スライムを……皮の色艶が少なからず良質だと言うだけの凡夫どもを……苗床に過ぎぬ男妾(おとこめかけ)どもが私の巫女を……二週間も……」

「めちゃめちゃ元気に同僚を貶すじゃん。そういうとこだぞ、ジアン。嘘泣きはいいから、お仕事をしてくれるかな」


 想像を上回る湿度と湿気っぷりにドン引きしなくもなかったけれど。

 元々ジアンはこういう性格の井守(イモリ)ではあった。人の弱味に付け入る舌鋒や毛筆で書く字の綺麗さは他の白腹(バイフー)井守(イモリ)に引けを取らないのだけれど、僕付きになる前は聖獣として落第寸前だったらしいからね……。協力や協調が下手なんだよ、聖獣の割には。組織立った連帯を種族的に得手とするミーセオニーズとは相性劣悪、仕事をし辛い性格だろうさ。悪属性でも、社会に許容される性格の悪さには限度があるって事だね。


 まあ、先方に非があるなら神格が相手でも噛み付くジアンの毒牙の鋭さは信用している。ジアンには僕から見た公子と大君の非を(あげつら)ってあげた。


「チャーリー公子ってば、リンミの大君からの手紙を師匠に渡しもせずに眼前で焼き捨てたからね。灰も残りゃしない。手紙の小権能を司るモシミサニの不快指数が20点でしょ」

「……ほう? 春の大神への不敬はけしからんですな。他には?」

「大君は公子の身体を乗っ取って、不運神の癖して定命の者を20人ばかり直々にいびってくれるし。天神の法で刺せない? 神格直々に虐めるのはダメでしょ。手下を使わないと」

「考慮に値しますが、成り立ての下級神であれば力量において使徒や神王族に劣る事もありますからね。もう一声」

「根絶の火神の隠し子でしょ? 火の障りを受けるのは大君だけにして欲しいよね」

「重要な観点ですね」

「大君は師匠と僕に心術と占術を掛けまくってくれてたよね。内心の自由を踏み躙るように犯し抜いた挙句に強引に思考させるなんて精神的な凌辱じゃん?」

「……なるほど……そうですか、なるほど……信仰心の薄いオー・ゲンケンはともかくとして、私の巫女を……?」

「あと、物凄く詐欺の臭いがするから詐欺アレルギーの発作も来てるね。見てよこのでろっとした鼻水で湿った懐紙を」

「……それは、いけませんね。しまいましょうか」

「うん。それと、ヤン・グァンって人を弔わずに杖に封じて扱き使うとも言ってた」

「はぁ、血も涙もない外道の所業ですな。……いえ、正妻をも杖に変えた男であれば当然の振る舞いでしょうか……悍ましい事で」


 正妻を杖に? うわあ……。初耳だけど無茶苦茶じゃんか。


「だよねー。良心ナッシングっぷりが清々しくて転職も結婚も無理よ。あんな巨悪には直系皇族でも宛がって貰うしかないわ。僕は我儘を言ってるかい、ジアン」

「いいえ! フュー、帰参したからには私が微力を尽くしましょう。

 いかにサイ大師の肝煎り人事とは言え、前後不覚の火焔神の祭司などこの好機に切り捨てなくては」


 嬉しそうだね、ジアン……。そんなに公子に対して殺意が高かったのかい。切り捨てる気満々でしょ。いい人なのか悪い人なのかで言うと碌でなしの風味がマイルドな人の皮を被った悪いスライムくんではあるけど、うちの勧学(かんがく)なんだけどな……。


「そもそも、ベイ・チャーリー・ソンはフューの望む生活水準と地位には見合わぬ男でした。解りますね、フュー? リンミの大君に隷属している者を井戸の巫女の身辺になど置けるものですか。解任です、解任」

「露骨に張り切るじゃん……うーん」


 気炎を上げるジアン、やる気があるっちゃあるんだけど。

 問題は衝立の向こうにいるリンミの大君だよ。ちなみに、衝立は召喚術式を組むのに大君入りの公子が視界内にいると気が散るから、僕の虚空庫(ストレージ)から出した。


 色々と格納してあるんだよ?

 土壁や土嚢、木板や柱に加工済みの材木、色々と使えて便利な竹材、石材。金、鉄、錫、銅なんかの地金。脚立に梯子、硝子窓に寝台も作ったね。公子が不慣れな手付きで試作した大工道具に鉄製の農具も入っている。縄や紐はあると便利だから多めに買ってある。後は、僕が手慰みに磨いた黒曜石のナイフに、山菜取り用の籠。鎌と鋏は鋼鉄製のいいものを買った。軽くて錆び難いからね。


 元々、僕は辺境を開拓して独立するつもりでいた。虚空庫(ストレージ)が大きくなったし、いつでも簡素な家を二つ三つ建てて防護柵を巡らせられる程度の備えをし直したんだ。

 療養中に暇で仕方ないとねだれば、散歩に連れ出してくれたチャーリー公子が魔術で鉱石の精錬や毛皮の(なめ)しをやってくれてさ。うちの勧学(かんがく)は木材や粘土から食器を作るのがとてもお上手だった。

 生粋のミーセオの姫君や巫女なら、着物やお人形、装飾品を求めたんだろうね。ああ、僕も人形(パペット)なら貰ったか……。労役用の棒遣い人形(ロッドパペット)を。楽しかったよ。


 ジアンが言う『僕の望む生活水準と地位』とは、元は辺境の開拓村の領主だった。

 だけど僕に開拓村は体力的に無理だと師匠に諫められて、北ティリンスのカロキリナーに迎楽寺を建てた経緯がある。

 彼がいるなら念願の開拓村を建てられるかな、なんて考えていたら……毒親に食い殺されたと来たもんだ。


 やっぱり『毒親滅すべし』を掲げる観音派の戒律上、葬儀を挙げて仇討ちをしないといけないのか? うちにはアガソスの仇討ち人がいるし、僕自身も召喚術師だ。できるできないで言ったら仇が強過ぎてできない寄りなのだが、狂神を祀る寺社としては威信を賭けてやらないといけないやつだ。

 僕はまだ小マカリオスさえ殺せていないと言うのに、毒親の新規参戦はやめて欲しかったよ。世の中の毒親には直ちに全員死んで欲しいが、この世には子による母殺しと能力の継承を奨励する万毒の太后がいる。毒親とは、拭われる事のない万毒の一つではあるのだろう……(まま)ならないものだ。


「……見た感じ、公子は死んでるよ。神格に見放されて恩寵が薄れる事例は珍しくないけど、受け継がれた神血は容易には消えないはず。なのにフォティアの神威が失せているから、解任以前の問題なんじゃないのかな」

「なんと」


 あんなに何の抵抗もなく乗っ取られるのはおかしいんだよ。フロスに取り付いてるスライムくんが喋ろうとする時、溜めがあるじゃん? フロスが操作に同意したら喋るようにしているから間ができるんだ。でも、死体の皮を被るタイプの乗っ取りなら宿主の抵抗はなくなるからね。そういう事でしょ。

 ぼそぼそと小声で僕の所見を述べれば、ジアンは井守(イモリ)の身体で小躍りでもするかのように尻尾を揺らし、しきりに目を瞬かせた。白いお腹は笑いを堪えるように震えてもいる。心の底から嬉しそうだね、ジアン……。僕は今、割と感傷的なのだが。


「ジアン。確認するけど、疫病神の類の大元締めって万病の太祖だよね? 不運神に対して命令権のある上位権能って、腐敗神って事でいいの?」

「ええ、そうですよ。腐敗の邪神は狂気と悪の根源でもある上王ですので。

 占術的に悪属性と強く結び付いている不運を司るからには、腐敗の大権能とは須らく敬すべきものでしょう。

 まして、ミラーソード様に重用されたリンミの大君は腐敗、堕落、増殖の三権から異能を授かっていたと記録されています。実質的に従属神ですな。それが何か?」

「ふ~~~ん、そっかあ。やっぱりそうなんだ」


 従属神かあ。不運神って、母殺しを奨励する邪神の従属神なんだ。そっかそっか。そぉかあ……。じゃあリンミの大君が宦官なのは知ってるけど、母殺しの範疇に入って貰おうか。

 邪神の四権のうち創造を除く三権から異能を与えられていたのなら、とっくにミーセオニーズなんて辞めて神血の濃いコラプション スライムになってるでしょ。なら無性じゃん。チャーリー公子のトキシックなママだって定義してやる。

 ロジックエラーなんて知るか、観音派の戒律に関しては論拠となる経典を選抜する権利は僕にある。そりゃ聖獣と勧学(かんがく)の助言も受けるけどさ、うちの勧学(かんがく)は死んでるし。


「ジアン! フューの暴発を抑えるのも聖獣の勤めであろうが」

「教えを請われたなら正しい知識を授けるのが私の勤めですので」

「煽ってどうする。本当にやるぞ、この娘は」


 おっと、衝立の向こうから耐えかねたらしい師匠の声が飛んで来たね。

 師匠なら大君とお茶してたよ。ギスギス不可避なお茶会の音なんか聞きたくない、精神統一が乱れると言ったら魔術的に防音してくれていたんだけど。解除したか。


「僕のセンチメンタルなブロークンハートはまだクリメイションたけなわよ、師匠」

「峠は過ぎた訳だな? 吾輩もジアンに確認したい事があるのだがの」

「……いいよ、僕の聖獣を貸してあげる」

「致し方ありませんな!」


 質問に答えるのが生きがいではあるもんね、ジアン。師匠の方へ行きたそうにしたから、床の上に降ろしてあげた。欲望に正直な畜生よ、こういう時のジアンは。


 衝立のこちら側には今、僕が一人だけ。

 遊びに来る僕用にとオー・ロンガンが執務室に置いてくれた窓辺の長椅子に腰掛けて、零れた涙を袖で拭う。


 ……腐敗の邪神かあ。

 基本的には異界に在り、縁は刹那にも満たない寸暇の降臨を垣間見た程度で、不運神はきっとお気に入りで、上王として存在そのものが極めて強大だ。となると、普通なら召喚など考えないし、おいでになったらそんなの超級召喚術じゃんか冤罪じゃーん、とは主張する。でも、食べられた事がある気はするんだ。


 公子にしては体温の低い手が僕の頬に触れようとする、今みたいにさ。

 井戸の巫女に授けられた疑呪、大師の訓戒はあらゆる急襲を防いでくれる。物事の急転をも司る崩落の大君スカンダロンは不意打ちなどされないのだ。

 とは言え、不運神は幻魔闘士(チャンピオンメスマー)。不意打ちでなくとも殆どの人類よりは速いんだろう。触れられたくなかったけれど、涙を掬い取る指先からは逃げようがなかった。


「失礼。涙とは悲運に連れ添うものですから、ついつい心惹かれてしまいました。

 神格とは、自らが司る権能には背き難いものなのです」


 リンミの大君。こいつ本ッ当に性格が最悪だぞ……。僕と直接関わりのある中じゃ最凶の毒親でもある。乙女の涙を舐めて喜ばないで欲しい。

 師匠とお茶しているのは幻覚か影武者(シャドウウォーリア)、いや影茶坊主(シャドウチャボウズ)だろうか。ミーセオニーズの幻術師ならやりかねない。絶対に悪逆非道で口やかましい性格をしているのに静か過ぎると思ってはいたけれど、何もせずに姿を消しているうちは大師の訓戒が起動しなかっただけだったね。


 師匠とジアンが反応しないって事は、衝立の向こう側には聞こえないように防音してもいるんだろう。僕とサシでお話ししたいって意向はよーく伝わって来た。途轍もなく嫌だが、さっさと終わらせて師匠とジアンの傍にいなきゃね……。

 素で白けた眼差しを向けないよう難儀して表情を作って、僕への食欲を隠さない化物を見上げてやった。


「貴女のように不幸な生まれの乙女の涙であれば、格別でしてねえ」

「生憎と試供品は提供してないんですよね」


 不運の契印に組み込まれているらしき小権能は悪、不幸、悲運かな。腐敗の邪神の従属神であるなら、まだ他にもあるんだろうけど。少なくとも、悪神はこの交渉を面白がるはず。


「お代は公子の死体で結構ですので。うちの勧学(かんがく)を返して下さいます?」


 手遅れにならないうちに、生き返らせてあげなきゃいけないから。

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