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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
七曜の公主フューリー I
482/502

434. 最新経典と旱魃の呪具

カルコース(ベイ・チャーリー・ソン)視点


 赤斑(チーバン)銀行が保有する療養所への滞在中、迎楽寺に指導層を一人も置かないと言うのは勧学として問題ですのでね。

 私が浄室で病臥するフュー・ダオに侍っている間、あちらには大きめに分離した友人を一人置いております。フロスヴァイルは気軽に長距離転移(ロングテレポート)を濫用して行き来しておりますが、彼にはジアンが相当数の切符を渡しておりましたからな。


 私にはございませんでしたよ。転移が必要ならば焔渡りをせよとの事で、ええ。フォティアの神血が特別に赦し給う秘儀を用いれば火を介して転移できますけれど、私にも二枚程度は配分されるべきではなかったですかねえ。

 使い魔めにとってはフロスヴァイルの方が御し易いのでしょうとも。解ってはおりますよ。……この湧き上がる嫉妬やら不満の大半は頭痛のせいでございましょうとも。浮つく意識とふらつく正気を保つ為にどれだけ難儀している事か。


 ともあれ、私は手紙用の小型転送陣を介して留守番役と書状をやり取りしております。いざ手紙を書くとなると、何やら楽しくなってしまいまして。紙には事前に取り決めた透かしを入れ、封蝋に捺す印章の印影にも少しばかり凝りました。墨には我々の血を混ぜ込み、匂いと魔素で解るよう細工してあります。敢えて言い訳をするなら、変成術の粋を尽くす事で偽造を阻んでいるのです。


『こちらは万事俺が采配してるよ、異常なしだ。

 舎弟どもはアディケオの思し召しで飯が旨いと呑気なもんだ。明日の食卓に上がる肉団子は誰の肉だろうなあ。

 問題が起きるとすればそちらだ。夕方から夜半にかけての卦がよろしくないから気を抜かんように。おそらくは訪問したがっている客がいる。

 あんまりにも頭痛がキツいなら、交代するから風呂を浴びに戻っておいで。一時凌ぎでも症状の緩和つうか、丸めるくらいはできるだろうさ。


                         後ろのより』


 バックミラーにとっての予期せぬ来客とな。確かに良い卦ではありませんな……。


 夕餉の席では、そもそもの宣戦理由であったマー氏修道会の最新経典の行方と、虚空庫(ストレージ)を利用した隠し倉庫に安置されていた旱魃(かんばつ)の呪具について、フュー・ダオにお話しする予定でしたな。


 フロスヴァイルの臨席を指しての事ではないかと思い、私も未来視を試みました。すると五分五分よりも高い割合で何者かの来訪がある予知が確かにちらつきます。

 隔離して療養中のフュー・ダオを夕刻以降に見舞おうとする外様。……アンタケでしょうなあ。弱ったフュー・ダオの身を、土着神の代行者にも等しい強度の異能持ちになど接させたくはないですね。


『どうやら茸の目がこちらに向いているようで。警告を頂けて助かりました。

 フュー・ダオの容態は快方へ向かっており、乳粥を口にされています。しかし浄室への隔離は依然として必要です。火焔の恩寵に浸した魔力回路の再生が充分に進むまでの間、引き続き留守居役をお願いします。

 頭痛は有体に言って意識を混濁させられる域でありますが、薬を処方させて耐えてみます。お気遣いありがとう。


                        チャルより』



 術式を筆として振るって返信を認める間も、目は寝台で眠るフュー・ダオへ向けておりました。

 気の優しい友人が誘ってくれているように溶岩浴を楽しみたい気持ちは強いのですが、今は張り付いているべきでしょう。僅かな隙を突いて転移(テレポート)なり位置交換をされ、好き勝手をされては堪りません。


 まして今は、フォティアの火焔を分け与えようと画策している最中であれば。

 適性はあるのですよ。ええ、全ての可燃物(・・・)に対して我が父フォティアは関心をお持ちですので。それこそ、受け継ぐべき神血が薄れ切り、新たな祝福を授かる事もなかった為に血族から切り捨てられた卑賎の子にさえも寛大であらせられる。生きている人間(モータル)や価値ある香木を焼いて授かる火焔の印は尊いものです。


 無論、私は貴女を焼き殺して炭にしたいのではなく。伴侶として相応しい格が要ると仰るのであれば、火焔の異能を授けてしまいたい。

 悪しき火焔に仕える熾火となり、火を絶やさず、炎熱に親しみ、業火を以て炎上せしめ、延焼を押し広げ、死者を火葬し冥府へ送る。そのような火焔神の祭祀としての勤めを共有して欲しいのです。


 とは言え、食欲と殺意を隠せと言われてしまいましたからな。

 少しばかり認識欺瞞を強めてみましょうか。なあに、着衣の帯を締めるのとそう変わりはなく。ほれ、このように―――



§



 小型の焜炉(こんろ)を用いて夕餉の煮炊きを丁寧に進めれば、フロスヴァイルが申した通りにフュー・ダオは自然と目覚めましてね。迎楽寺から運ばれて来た重箱には料理が詰められており、好みの品を選んで頂く事もできました。


『今晩の主菜は帆立の団子の餡かけだ。匙に半分だけでも食わせれば気分が違うと思うぞ。小鉢で二種用意した葉物の甘酢漬けなら、弱った胃にも優しかろうよ。今日は甘芋の旨煮も出来がいいから付けておく。消化できそうなら配膳してやってくれ。


 そなたには鶏の砂肝を炒めたやつと、肝臓と心臓の生姜煮を用意した。ちょいと醤が強いゆえ病人には向かぬ。やっぱり臓物にこそ栄養があるから、そなたが箸を付けてくれると俺が嬉しい。瓶で持たせる蜂蜜酒は、こちらにはあと二樽ある。上等だぞ。


                         後ろのより』


「ママじゃん……」

「郷里の母親からの便りにしか見えんな」


 重箱には、追伸を書き付けられた短冊が付随しておりまして。

 召喚術師と仇討ち人に揶揄(からか)われた件については現実から目を逸らしました。……だから通信文は封書に納めて欲しいのです、友よ。


 我が身を犠牲にしてフュー・ダオの頬を緩ませたと思えば、必要な献身でありましょうか。しかし母親と言うよりは(つがい)のはずなのですが……いえ。目は逸らしたままでいましょう。


「御母堂からの便りもあるが、夕餉を終えて報告を聞いて貰った後でいいか?」

「うん。今はその……ご褒美がないと頑張れなくてさ。そうして」


 フロスヴァイルが運んで来たもう一通の封書は、隔離されている娘を案じる実母からの便りです。

 何しろ彼女、全身から血を噴いて倒れた挙句、一度は神経網がずたずたになりましたのでね。床に臥せってから二日間は、匙一つ満足に持てない有様でした。そんな瀕死の重体から最低限は回復したからと言って薬物を投与し、断続的に幾つかの魔術を行使させた使い魔めを直ちに殺さなかった判断については本心から悔いておりますよ。だからこそ、今は私自らが浄室に張り付いて厳重に警護しているのです。


 幸い、我が友が用意した晩餐をフュー・ダオはお気に召した様子。

 積極的に欲しがる乳粥だけでは到底、栄養が足りませんので。今晩は帆立を磨り潰して葱と卵を練り合わせた海鮮団子の餡かけを二匙と、細く均等に刻まれた雪菜の甘酢漬けを半皿、甘芋の旨煮を二欠け食して頂けました。

 もう一匙と欲を出すと、胃腸の処理能力を超えてしまい下痢を呈する予知が強まりましてな。占術師の見解として最良の夕餉でございました。


「ねえ、フロス。チャーリー公子はちゃんと食べて寝てるの?」

「病人に言われてるぞ、見るからに不健康な御坊様よ」


 食後にはそんな指摘を受けまして。


「フォティアの恩寵篤い身ですので、御心配なく」

「限度があるでしょ。フロスから聞ける分は聞くから、夕餉をどうぞ? 後ろのママ、心配してたじゃんか」

「……ははは」


 後ろのママ呼ばわりですよ。私には耐え難かったのですが、友よ?

 鶏の腿肉と季節の山菜を精米と共に炊き込んだ飯物も付いておりましたな。弁当は美味ではありましたよ、ありましたけれども。フュー・ダオが療養所を退院するまで、こうした調子で毎日でしたからな? 心情として帰り辛かったのですが?


「それじゃフロス、その様子じゃ僕の決裁が要る事もあるんでしょ。

 勧学がちょっと幸せそうにしてる今のうちに聞かせてくれる?」


 ちょっと幸せそうって何なんですかね、そんなに感情を漏らしていましたか私は。

 夕餉の前には纏う認識欺瞞を一段階強めたはずだったのですが、どうにも周囲の反応がおかしい。術式の展開に失敗したでしょうか?


「ああ。口頭でフューリーの了解が取れたなら、代筆でも良いとマー・ドゥアネスから申し付かっている」

「もう直筆で大丈夫よ。ジアン以外に代筆をさせるのもどうかとは思うし」

「騙そうと言う訳ではなかろうがな。

 今回オー・ゲンケンが肩入れした司教は、正統力学教会とマー氏修道会の流れを汲む分派の指導者だ。律する賢母ノモスケファーラと統治の剣神アディケオを共に正神として祀る連中が契約違反はすまいよ」


 信用力の高い事で。

 それが常に正しさ(・・・)に殉じる利ではあるのかもしれません。狂属性を宿敵と宣告する力学教の原理主義派であれば、そもそも女神によって定められた順路から外れる事さえも許しませんので。


「マー氏修道会の修道院長マー・カタンは……確か八世だったか。

 マー氏修道会が最新経典の筆頭執筆者(リードライター)であるとする至聖マー・カタン本人ではないにせよ、マー・ドゥアネスは比較的近しい係累として聖典執筆者(バイブルライター)の一席を占めてはいる。着せられる恩義は着せておけ」


 そうですな。

 地図を斑模様にする事を厭わずに田畑を開墾する為、頻繁に荘園間の境界争いを起こすマー氏修道会が保有する武力は正規軍にも匹敵するそうですし。


「……敵視など受けた日には赤斑(チーバン)銀行だの修道会諸共に耕される(・・・・)ぞ」

「おーこわ。鋤と剣を紋章にしてる農耕ガチ勢だもんね。僕は仲良くしたいな……」

「そうしてくれ。原則として抗戦のみの四精(しせい)教や緑皮(リュピー)教よりも遥かに狂猛な拡大主義派閥だ」


 狂猛と評される農耕ガチ勢とは一体?

 まあ、確かにそのような組織だとは頭痛と共に訪れる知識めも申しております。……む、この蜂蜜酒は我が友の自家製ですな。臓腑にすっと沁み込む感触が心地よい。


「最新経典とは、列福された聖典執筆者(バイブルライター)陣によって毎日書き改められ続ける神学と農学の奥義書だ。

 マー氏修道会の戒律に反する勢力への流出は厳重に禁じられ、不当な閲覧者に対しては抹殺指令が下される。場合によっては、氏族に対する宣戦理由にさえもなる。……そうだな、御坊様よ?」

「よく御存知で」


 補足説明の余地もないのですが。……まあ、よろしい。煮付けが美味いですな。


「分派とは言え、マー氏修道会の構成員にだけ閲覧を許された奥義書の編纂に携わるお立場で。

 先方からすれば赤斑(チーバン)教、外様の師匠に救援要請するほど追い込まれてた。何でさ、って理由が例のアレソレだった訳ね?」


 そうですな。箸を置き、寝台へ向き直りましょう。

 そのような認識の上で、フュー・ダオには同意して頂く必要がある。


「はい。貴女が所在を暴いた城塞(フォートレス)虚空庫(ストレージ)は古代アシメヒア聖国期に建造されたものでした。地下迷宮(ダンジョン)ないし神性迷宮(ラビュリントス)の遺構と呼ぶべきもの」


 重々しくお伝えしたつもりなのですがねえ? どうして破顔なさったので?


「道理で!

 暗号鍵をありったけ使って開錠(アンロック)できない時点でおかしかったもん」


 おかしかったもん、で済ませていい話ではないのですよ?

 付き添うフロスヴァイルが何もかも諦めた面相を晒しているではないですか。


「まー、チャンくんちの隠し倉庫でっけえなあゲッヘッヘ、くらいのスケベ心で僕の虚空庫(ストレージ)糾合(コンフリクト)させたら御覧の有様になったんだけどねー」

「……次からは、私の鑑定なり探査もお待ち下さいますよう。御身はか弱いので」

「そうする」


 苦言を申し上げる権利くらいはあると思うのです。

 私は異空間から現れた炎熱耐性を持つ聖衣兵どもとの交戦を強いられましたし、チャン家によって秘匿されていた旱魃(かんばつ)の呪具は戦術級の広範囲に対して渇水の障りを撒き散らしたのですよ?


 そもそも、水神であるアディケオを崇めるミーセオニーズ同士が水利権で揉めると言うのは奇妙な事ではありましてな。

 八公二民の酷税に耐えて信奉が捧げられている限り、帝国臣民が水に困る事はないのですよ。やれ上流だ、下流だと争う必要も本来ならない。地形的な条件など軽々と無視して、アディケオとスカンダロンへ捧げられる信奉が充分ならば水が湧きます(・・・・・・)ので。


 敵対的な荘園を旱魃(かんばつ)の呪具によって呪い、水の恩寵を剥ぎ取ると言うのは明確な禁じ手なのです。裁判にせよ戦争にせよ、正神が定める禁則事項はございます。マー氏修道会から知識を得る為に採るべき手段ではありません。


 まして旱魃(かんばつ)ですからね。三権の一つとして飢餓を司る業火の暴君コーラシ=フローガ、もしくは現世から接続が失われて久しい太陽神の司る領域に属する呪物の禍々しさたるや格段でした。

 瘴気に触れた時、直観しましてな。知己が背負っている飢餓の呪詛の気配に近しかった。お陰で鑑定が容易でしたから、バシレイアンの重戦士と縁があった事には感謝しています。


「いやスッキリしたわ」

「肝が太いのも大概にしてくれ……。

 戦争の勝敗こそ明白だったが、神々がどれだけ揉めたと思っているんだ」


 唇を湿らせる飲用水を求める様子を見せたフュー・ダオには、白湯を注いだ盃を差し出しました。陶器の茶碗は重たい様子でしてな。取り落としかねません。


「言うて僕が権利を主張し過ぎなきゃいいのでしょ? 禁制品は全て帝国に献上が妥当じゃん」

「御明察、痛み入ります」

「そうしてくれ。マー氏修道会に名を知られるなら、貸しを作った側でいた方がいい」


 交換神アンタラギと春の大神モシミサニの信奉者であるフロスヴァイルにしても、一息つけたと言った面持ちですな。

 後回しにさせてすまなかった、と実母からの便りを丁重に差し出されたフュー・ダオは浮世への関心をすっかり失った御様子でした。



 ……良かったですな、アディケオよ。フュー・ダオが『アレってアシメヒア聖国に正当な権利があるやつでしょ?』などと、本当の事を言い出さない分別のある女性で。

 スカンダロンの薫陶が行き届いていなければ、或いは断絶の壁神ティコスに明確な報復の意図があれば、古代よりの遺産であり総勢八百万にも達するアシメヒア聖軍との戦争だったやもしれぬのですから。


 来客もなかったのでね。私も気を緩めてはおりました。

 フォティアへの祈りを捧げようとした刹那、声を漏れ聴くまでは。


 ―――我が子はよく勤めておりますでしょう? ミラーソード様。


 そんな父の声を漏れ聴くまでは。

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