F41. 息吹と注視
聖スコトス直々の迎楽寺への来訪によって尼僧四名の召し上げが決定した後、僕は昼夜ぶっ通しで三日間働かされた。
上級召喚術師として転移と虚空庫操作方面の術式を多く修めた僕だ。その上、赤斑銀行と赤斑教修道会、更にはベイ家・オー家・ミン家の三家が惜しみなく金子を費やし、相当数の動員をかけた。できない事なんて殆どない。……戦争までするとは思っていなかったが。
過労もいい所だったけどね。
……当然の結果として、僕は丸々一週間寝込んだ。寝込んでいる間にも確か五度は薬物を使ってでも起こされ、言われるままに転移門を開けてやったり召喚したはずだが、正直覚えていない。
師匠は僕が臥せる事を織り込んで酷使してくれたのだろうけれど、頑健2の虚弱さを舐めないで欲しい。三日間の無茶のツケを返済し終えるのに七日も費やさせていいのか、銀行家として!? 利子が多過ぎるわ!!
ジアンも大概だぞ。聖獣的に許容されるのか、臥せっている巫女へのおクスリ投与って!? しかもチャーリー公子とフロスは止めようとしてくれたのに、ジアンが裏切って手引きをしたとまで聞いている。今日は留守にしているけれど、恵井寺から帰って来たら問い詰めるからな!!
まあね。いいって判断しなきゃさせないじゃん、僕はよーく知ってるよ……。
むしろ『十日よりも前に起き出して来たのだからもっと鞭打っても良かった。公子と医師はフュー・ダオを甘やかしている』とまで判断されかねない。
事の発端は僕の発願だったとは言え、正属性ってやつは善悪ともにこうだから中立属性や狂属性から属性転向され辛いんだぞ! 解ってるのか!?
僕が正規の運賃を請求したなら、軽く千金を超えるのは間違いない。だけどチャーリー公子曰く、億単位の請求が回って来かねないからには黙っておく。
僕とて億ってなんだよ、千万単位で収まらないのかとは思わないでもなかったさ。
だけど、随分といい衣を調達して来たなと思って裏書を読んだら、価値として『プラウネシア金幣二千枚』相当だと書かれていてさ……。幾らミーセオ金貨とプラウネシア金幣では価値に差があるとは言え、速やかに忘れたい。
忘れたいが……。男の手で介助されて半身を起こした時、我ながら湿気り切った果てにようやく食されたクッキーの上げる不平に似た音を発して訊ねはしたよ。
「勧学、どうなりましたアレ」
「どのアレでしょう、フュー・ダオ」
プラウネシア群島に在る土着神、春の大神モシミサニは季節四柱の筆頭だ。
夏の大神イクタス・バーナバを祀る迎楽寺としては、大本山の一つとして一定以上の敬意を示さなくてはならない神格である。
そこを違える気はない、ないが……一着につき金幣二千枚の奉納と引き換えに授けられた春の恩寵品が四着、金幣八千枚相当って何さ。注視や息吹に留まる程度の祝福ならまだしも、血の力を揮える代物じゃんか!!
「春の恩寵灼たかなアレ」
「春の御衣はマーザの手配ですよ。アンタケは不燃の権能を奉じておりましょうに、節介ばかりは焼くと見える」
「……そっかー……御屋形様への返礼は急ぎましょ」
僕としちゃ『誰が引っ張ってくれたのアレ!?』って代物でも、チャーリー公子からすれば『アンタラギの第二使徒マーザがお節介を焼いて来た』って感覚なのかもしれないけどさ。あまりの温度差に危機感を覚え、直ちに文机に向かった僕の判断は正しかったのだと思う。
畏れ多くも土着神が直々に触れた器物には祝福が宿る。
関心の深さによって程度の差はあるにしてもね。色濃い神血を受け継いだ神王族や、特段に手厚く祝福された神子を介して下される恩寵よりは強いのが常識だ。
生涯を通じて母乳が要る僕は少しばかり鼻が良くてさ、そういう血や乳の香りを嗅ぎ分けられる。解ってしまったからには、僕には解りました! と直ちに優先順位に反映させなくては不興を買いかねず……。思い出すにつけ寝ていた気がしなくなるな、ほんと。
まあ、僕らは聖職であれば不平不満を言うのはよろしくあるまい。
今朝は居室で勧学が点ててくれたお茶の苦さと良さが分かったよ。生来備わった魔力回路を酷使し過ぎてしまい、血管と神経が筋肉諸共に焼き切れそうだった僕の肉体も調子を戻しつつはある。
師匠は一昨日の夕方に至ってようやく一睡できたと聞いていたけれど、昨日はまた徹夜だったろうね。僕はまだ真っ先に故障した分、マシな拘束具合さ。
井戸の巫女を護ると言う大義名分があるチャーリー公子も、ミーセオの貴人階級に求められる平均よりかは労働に縛り付けられてはいまい。根絶の火神フォティアの神血を宿す神子が祈りを疎かにしようものなら、帝国のどこで火の障りが生じてもおかしくはないのだ。
しばしば大火や爆発として発露する火の障りであれば、公子にはミーセオ帝国を代表して火焔神の御心を慰撫して頂かないとならないのだ。そんな貴人が直々に点てた茶が苦いばかりのはずもなし、と言う訳で察して欲しい。
そもそも、ミーセオ帝国の守護神アディケオに好まれる女性の形質とは、以下に述べるような特徴であると言われている。
無論、諸説―――七曜寺社とその分社、更には黄眼教の学僧が上奏する論文、マー氏修道会が日々書き改め続ける聖典までも数え上げれば万を超えるとされる諸説が!―――あるけれども。
今日は青指教の経典、婦道大鑑に拠ろう。
青指教の尼僧ならば必ず触れる青指七経の第二位であるからには、アディケオに仕える尼僧の頂点に立つ隠れる君の最愛スコトスとて軽んじはすまい。
畏れ多くも守護神直々に選ばれる巫女に顕著な第一の資質とは、嫋やかにして淑やかさ。
統治の息吹灼たかな魂は気品に満ち、水の息吹灼たかな魂は清朗と評すべき声を発し、不正の息吹灼たかならば俗人の眼にはこの世全ての徳を備えているかの如くある。
……物は言いようである事よ。
「要は、水の巫女の選出条件は神血の継承の明示ですからね。春の大神から御衣を贖うと言うのは我ら赤斑教徒らしい判断ではありましょ」
「真に求められているものはアガシアの神血の継承ですがね」
「それは言わないお約束ですよ、公子」
ユートン、カーシン、シーハン、それにイェン・リュエ。
よもや女児ばかり、四人もアディケオに召し上げられようとは。僕は迎楽寺の門徒に井戸の男神スカンダロン、夏の女神イクタス・バーナバ、機織の女神ケーラーの三柱への信奉を捧げるよう説いて来た。今日から四人は帝国の守護神アディケオに仕えてくれい、と申し渡すのは奴隷商や女衒に同業者意識を持たされる出来事ではあった―――無論、おくびにすら出せないが。
チャーリー公子は色々とこう、露骨に表明しかねないのが観音派の教祖としての不安要素ではある。勧学ベイ・チャーリー・ソンの述べる所は迎楽寺の公式見解である、と見做されるのが七曜寺社と言う宗教だ。
僕ことフュー・ダオは確かに開祖だけれど、白腹教のサイ大師が指名した迎楽寺付き勧学の方が聖職者としては格上だしね。
帝国の守護神らが僕に期待なさっている役割を察せないほどには、僕は鈍くはないつもりだ。
灰色の髪と色濃い影を持つ高僧に舌禍の類を許さず、勇者なり神子として適切に火焔神を慰撫させ、なおかつ―――
「そのように私を恐れずともよろしいのですよ、フュー・ダオ」
「怖いと言うよりは畏れですよ。神々を正しく畏れ、祀るのが聖職として果たすべきお役目ですから」
僕の微笑みに気品やら嫋やかさが伴っているといいのだけれど。
もちろん、優れた占術師だと知れている人物を前にして、あからさまな嘘など言いはしない。ここ十日の奉仕と養生の日々で詰められた公子との距離の近さは、僕個人としても不快ではない。ただ、僕をどうする気かなとは、影として受け継いだ性質の方をこそ案じている次第で。
「伴侶としては畏れられたくないですな」
「僕の授かりものは息吹と注視止まりなんですよ、御身に相応しい格ではないのですが」
ほら、今もすうっと音もなく御手が伸びて来た。温かいを通り越して熱い公子の体温の高さを、どうも師匠の親友がいたく気に入ったらしいのだ。文字通りの熱血だ、その血を取り込みたいってさ。黒舌教と紫腕教が軽んじない程度には戦争に強い有力氏族マー家の意向だ、師匠も無碍にはしない。と言うか、できない。
しかもユートン達の件で神血なり恩寵はカネで贖えばよろしいのだ、と公子に学習させちゃったじゃん? 特にここ二日で顕著なのだけれど、色々と開き直られそうな傾向が伺えるのだ……。当然、公子は僕の懸念なんて占術で読むまでもなく見通していらっしゃるのだろう。
「では、格さえ並べばよろしいので?」
「それが僕はもう、現状で器のいっぱいいっぱいでして……。魔力回路の焦げ方にしても酷かったでしょう? 久々に行使した虚空庫糾合は堪えましたね」
どこでそんな大魔術を行使したんだって? 先週襲撃したのよ。チャン家の荘園を、マー氏修道会と合同で。




