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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
七曜の公主フューリー I
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431. 俺の信仰神の俗悪な嗜好について

ミラーソード視点

 夏の都の真下には広大な地底湖がある。

 陰銀の部族の者どもは日々、この地底湖で魚と貝を獲り、淡水で育つ水草を植えては刈り、生活用水を得てもいる。糧を得る為だけではなく、泳ぎにやって来る者には陽銀の部族が多いな。


 俺はコラプション スライムとしての黒々とした本性を晒し、幾許かの空気を吸い込んで膨らませた血肉を湖面に浮かべている。

 地底湖も心地良い寝床さ。妻と陽銀の手で管理された採光窓は巧みに制御されていて、陽光は程々に遠い。全く陽光を入れずにいると生き物が育たねえからな。程々の採光は要る。下手に俺が触るとなかなかいい塩梅にならねえのが不思議なもんさ。今日は妻直々に整えられた熟練の技を楽しませて貰っている。


 湖面に浮かぶ俺の腹の上にはバシレイアンの男が横になっている。

 俺はもうずっと疲れていて仕事をしたい気分じゃねえけど、何もしない訳じゃねえぞ。泳いで供物を捧げに来る者共は健気で可愛らしく思うし、妻から貸し与えられた土着神としての視界に深手を負ったイクタス・バーナバの子が映れば召喚術で引っ張ってやりたくもなる。


 俺と妻がいるのに、負傷如きの為に絶望などさせる必要はない。……妻には甘いと言われるがね。

 治癒術の行使は母さんに任せていた。水の恩寵を授かっている俺ほどじゃねえけど、母さんの治癒術も定命の者としては極まっている。跡形なく創傷を塞ぎ、援けが要るかと訊いてやってもいたよ。俺達は暗黒騎士だから外敵には相当にきつく当たるが、身内には慈悲深く接するのさ。


 母さんの肉体は俺が化ける人型とは筋肉の付け方が違うから、様々な角度から眺めて楽しんでもいた。

 ほら、俺は無性だけど孝行息子だからよ。母さんに次は何を着せてやろうか思案するのはいつだって楽しい。変成術やら手作業で拵えた装束を母さんに着て貰えると嬉しいもんだ。

 今日はアシメヒアから入って来た猩々緋色(しょうじょうひいろ)羅紗(らしゃ)を長衣に仕立て、聖金の留め具には罪人の魂を封じた黒真珠を連ねたものを着せているよ。母さんにはよく似合っている。


「どうした、我が子よ。問題でも起きたか」

「問題つうか、なんつうか」


 とは言え、母さんは俺の腹の上で気を抜いていた訳じゃねえからさ。

 腹から力が抜けた拍子に気付かれちまったな。何があったって、発作だよ。……超重篤現世から悉く滅すべきけしからぬ手合い恐怖症の発作だ。いかぬと気付いた妻が即座に視界を遮ってくれたから、視たのは一瞬の事だった。


「スコトスが隠れる(きみ)の御所から壺を持ち出していやがってよ」

「壺か。……語らずともよい。発作だな、理解した」


 壺さ。

 持ち出していたのか、取り寄せたのかは知らねえけど。御所から酷く悍ましいものを持ち出して、顔をアガシアに似せて作り替えられた者共に―――ああ、いかん。見るんじゃなかった、考えちまう!


「恐怖よ、疾く去れ」


 母さんが恐怖除去を打ち込んでくれなきゃ錯乱していたろうよ。

 除去一発だけじゃ足りなくて、昂った気を静める効力があるとろみのある薬草酒を摂取させられもした。捧げ物は何でも機嫌よく貰っておくもんだな……。いつ何時、何が援けになるかなんて、半神の俺にさえわからんもんだ。気の利いた捧げ物をくれた者には祝福の一つもくれてやろう。


 俺に視えたって事はエムブレポの版図内か、さもなきゃイクタス・バーナバが手厚く祀られている寺社での出来事だ。母さんに着せている羅紗(らしゃ)と同じくらい赤い服を着た者共も視えたからには、黒舌(ヘイシェア)じゃねえな? ありゃ赤斑(チーバン)か。だけど生贄の着衣は青指(チンヂー)の尼だったような……。


 束の間そう考えちゃいたけど、落ち着く暇がなくてよ。俺の母さんは勤労意欲に溢れ過ぎていやがる!

 スッと俺の腹の上で立ち上がったと思ったら、地底湖の天井に顔を向けて祈り始めちまった。


「大いなる神魚よ、イクタス・バーナバよ。願わくば我コルピティオの祈りに応え給え。我が子が視たのは現在か? 誅すべきものならば、直ちに我が身を運ぶべし」


 現在だけど、現在だと教えたら母さんは戦槌を担いでスコトスを殴りに行っちまうだろ! 妻よ、過去だぞ! 現在でも未来でもなく、だいぶ前に確定済みの過去を視たって事にしてくれい!!


(いら)えはなし、か。否か? そうかな……」


 独白の体裁で俺を脅すのも止めておくれ、母さんや! 足裏で俺の腹をぐりっとやるのは、つまり疑っているんだろう!? 疑うのかい、この俺を? 確かに少々嘘を吐こうとはしているが、俺は恐怖の根源に直面したくなんかねえんだよ! この嘘は方便! 俺の精神の平安の為に要る方便だ!


 必死こいて恐怖除去を俺自身に何発か打ち込んで平静を保っていたら、妻も見かねてくれたらしくてよ。母さんよりは柔らかい足裏の感触が腹の上に乗ったな、と思えば六眼の使徒が転移して来ていた。


「お母さん、ミラーが泣いちゃうから止めてあげて欲しいのだ」

「ゼナイダか。何事だ」

「イクタス・バーナバの主観で言うなら、アディケオの女の趣味は昔から最悪だと言うお話なのだよ。スコトスも諫めようとはしていないから同罪だね」


 その言い方だと俺は結構困るぞ、ゼナイダよ。

 間違っちゃいねえけど。ああ、何も間違っちゃいねえけどよ……。


「……左様か」


 母さんはあっという間に興味を失くし、俺の腹の上に寝そべっちまった。ゼナイダの言い方で良かったんだな……。それとも、母さんはゼナイダなら嘘や誤魔化しをしないと信頼しているのか。


「ああ、ゼナイダも座るか寝るといい。接待くらいさせておくれ。今日はなかなか味のいいつまみと、よく効く薬や酒が揃ってるぞ。茶坊主の真似事の一つもしねえと落ち着かねえや」

「はーい、なのだ」


 女の肉体も触れて愉しむにはいいもんだ。ゼナイダのどこが俺の腹に触れても母さんの厳つい肉体よりは柔らかくて、美味そうでいて気持ちの落ち着く匂いがする。


 ……女の趣味が最悪、なあ。俺としてもあまりアディケオを擁護できねえぞ、アレは。要するに、アガシアを弱っちい依代に封じ込めて嬲りたいって話なんだから……。

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