F38. パワーレベリングの発願
僕は迎楽寺の開祖フュー・ダオ。中立にして悪。アガソニアンとケーリオの血統が混ざったエムブレピアンで、国籍はミーセオ帝国の僧籍。クラスは召喚術師で、レベルは8。
保持する最も高位の免状は帝国公認上級召喚術師。井戸の巫女、水の裏巫女とも呼ばれるね。渾名は“返しの”フュー・ダオ。恩義と報復には一家言ある16歳さ。
赤斑教観音派の教祖として、カロキリナーの迎楽寺にて総勢30余名の僧伽を率いる身だ。末端とは言え自社持ちの聖職者だ、ヒトとカネを使う権限があると言い換えてもいい。
……尤も、うちの子達に僧や尼を名乗らせるには根本的に修行が足りない。出家して七曜寺社の具足戒を受けたと言うよりは、僕が戦傷者だの奴隷、孤児と言った有象無象を集めた者達だ。
帝国の守護神らの覚えめでたき迎楽寺には学識に通じた勧学が遣わされたし、確かな技量の医師も在籍している。最大の檀家はアディケオの第三使徒ミラーソードの血族ミン氏だ。
……喜ばしい事だ。課題と懸案はあるにしても、僕は自社の成長なり拡張を喜んでいるとも。喜んでばかりもいられないけど。更なる成長を夏を司る観音イクタス・バーナバに披露する必要性に迫られている、と言う事なのだから。
§
さあ文机に向かって今日のお仕事を始めようかな、と言う頃合いの朝。教祖として日々の祈りを捧げる執務室 兼 祈祷室の襖を開けたのは、自社随一の高僧だった。
「どうぞ」
「……いぇぁ?」
真顔でとんでもない厚みと重さの書類を手渡そうとして来たうちの勧学―――チャーリー公子に、変な鳴き声で返してしまった僕は悪くないと思う。僕には持てないでしょ、その量は。
「なんでしょ」
「ミン氏の寺請証文と、貴女が積み残していらっしゃった残務の全てですね。帝国から四週以内に遣わされて来る官吏と工人の一団の受け入れ準備も済んでおります」
「そんなに??」
僕が一か月は要ると見ていたお仕事がもう全て終わってない?
確かに公子当人が言ってたよ、『世俗の些事は私に全て任せなさい』って。執政の経験があるとも聞いていた。それにしたって仕事が早いにも程がないかい。
言われてみれば異変はあった。今朝、白腹井守のジアンがやけに熱心に菜っ葉を齧っていた。普段ならそんなに食事には拘らないのにね。さては祐筆としての仕事を取られて拗ねたな?
文机に書類を広げて検分もしたよ。文机に置いたお座布団に尻尾を巻いて座るジアンを見遣れば、明らかに不機嫌そうな面構えだ。意地の悪い舅の形相で書類を睨んでいる。嫁や婿の瑕疵が見つからなくてイラッとしている舅の顔でしょ、完全に。
まさか、辺境に構えた僕のお寺で仕事の取り合いが発生するとは……。
僕は嬉しいけどね? 事務仕事なんて教祖としての義務だからやっていたに過ぎない業務だし、予定を繰り上げてまでやるものではないと思っていた。
嫌いな相手には容赦なく捏造までするジアンがケチを付けられないんだ。僕から申し上げる事などあるはずもない。
スライムは名前がある事の方が少ない。当主であるミン・シュを除けば、多くが『誰々の娘、誰々の息子』って形式だね。
寺請証文を読む限りでは『ミン・シュとミン何某の娘』ばっかりだよ。コラプション スライムは無性のはずだけれど、証文では多くが娘と言う事にされている。お嬢様もそうだったが、選択された性自認なんだろうか。
「完璧なお仕事ですね」
「そうでしょう。貴女が憂いなく神々への奉仕に専念できるよう、日々の雑務を解消する事は私の御役目と心得ております」
……そうかなあ……。公子こそ、日々の雑務に手を取られる事なく神々からの注視に応えるべきお立場なのでは……。
僕には疑念がある。原因は僕と公子のレベル差だ。僕がレベル8、公子はレベル16と伺っている。魔術を扱えるレベル16なんて、僕が十人いるよりも貴重だ。僕が百人でも贖えはすまい。
弱者と強者であれば、神々は強者の祈りに惹きつけられると言われている。もっと言えば、千の民草の読経をしてようやく英雄が捧げる一節の祈りと等しいのだ。聖職者や貴人が、しばしば発生する事故死を覚悟の上で子弟をパワーレベリングする理由でもある。
個々人の成長の限界点は、占術による鑑定のみでは見極められない。
と言うより、占術師を信じ過ぎれば容易に騙されると世のミーセオニーズは確信している。簡単な話さ。君は『残念ながら御子息の成長限界はレベル2です』と言われた時、高名な占術師の言う事を鵜呑みにするのかい? 帝国法は詐欺に引っ掛かった方を敗者として扱うんだ、騙されたらいけないよ。
だからこそ、と言うべきかな。殺人は効果的なレベリング手段として広く知られている。特に弱者が強者を討ち果した時、急激なレベルアップとクラスチェンジが発生し易い事は聖職者ならば常識だ。
かつて太陽として死を司る天神が在ったからそうなのだ、とまでは知られていないが。紫腕教の教主なら知っていたし、秘密を守ると誓った井戸の巫女には教えてくれた。
僕はアガソス滅亡戦争の最中に虐殺を働いてレベル8になったけれど、あれだけ殺しても8までしか上がらなかった。戦争中に僕が手を染めた行為は、完全に主体的な殺人だったと明言しよう。僕は正確なキルスコアを把握しているからこそ、今生における限界点を悟らざるを得なかった。
「おや、私の奉公について案じて下さっていますか?」
「奉公の内実よりは婚姻について案じてますね。前向きに検討なさるべき事案ですよ」
じとりとした眼差しで見上げれば、公子は厚い面の皮に思考を隠した顔をした。
僕の目では内心がまるで読めない『これが私の通常営業でございます』って顔だ。それでも、嫌がっている事は察している。
「お仕事がこれだけ早い公子をして決めかねるだなんて、ミン氏の御息女との婚姻については拒絶と受け取るべきなんですよね?
僕と同様に敢えて挑戦をお止めにならないのなら、迎楽寺の教主としてはいずれ生じるであろう公子にとっての試練となる規模の物事を覚悟しなくてはなりません」
政争であれ殺人であれ、もはや僕のレベルアップには寄与してくれないのだ。
ましてレベル8の僕に相応しい試練なり奉仕であればまだしも、レベル16の公子にこそ相応しい大難が降り掛かったならどうよ。全滅必定なんですけど、と言うお話だ。
レベルに格差のある友人を持つと大変だぞ、と言う主題の劇は幾つかある。大変だったけどみんな幸せになったら英雄譚で、大変なまま磨り潰されたら喜劇や悲劇になる。できれば暖衣飽食して心豊かに暮らしたいものだね?
「率直な御要望を伺いたく」
いつも占術で僕の思考なり発言を先読みしていると思しい公子だけれど、今朝は読みかねたらしい。そうさ、秘儀の類は神々によって守られるからね。傘を差されれば読めない日もあるだろうさ。それでは、僕から結論を申し上げるとしよう。
「僕らも一つ、パワーレベリングをしないといけないのではないかな、と」
せっかく公子がいらっしゃるんだ。パワーレベリングの発願の一つも許されようさ。僕でも公子でもなく、著しい成長を見込める者をレベルアップさせるんだ。




