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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
七曜の公主フューリー I
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F37. おばあ様の親切とその結果について

3日後、迎楽寺にて。

 界隈の関係者に『婆ちゃん』とか『我らが母』と呼ばれる存在がある。


 腐敗の邪神なんだけどね、上王の。いわゆる上級神。多次元に渡る影響力を持ち、土着神よりも強くて偉いとされている。

 腐敗の邪神の版図は、地獄の深海。その名の通り、狂える悪しき魂が死後に赴く冥府である地獄に属する領域だ。


 けれど、あまりにも巨大かつ偉大なのでおやりになる事の規模に問題がある。

 アシメヒア聖国の神話には、大河の大神の御世において大陸ほどの巨躯で邪神が顕現したと記されている。大陸(コンチネンタル)だぞ、大きい陸塊(テレーン)だ。僕らが暮らしている土地は陸塊であるとされている。


 丘一つで戦術級、山一つで戦略級だ。大陸一つと言うのは一柱の土着神の手には余るサイズ感になる。仮に殴り合えるとしたら、大地の権能を司るノモスケファーラくらいじゃないの。

 そりゃあ律する賢母は正善神だけれど、中立悪の僕でも時には主神として拝まざるを得ない存在なのさ。お胸が豊かなノモスケファーラの神像や宗教画は目に優しい。もしも願いが叶うなら、あの魅惑的な乳白色の双丘に挟まってみたい。


 ……意識がおっぱいに逸れた。

 困った事に、我慢が効かなくてね。欲望のおねしょが多いんだ。僕の股間に尿道を内臓した突起物がなくてよかったよ。あったら、きっと大変だった。


 腐敗の邪神の話をしよう。

 現世に邪神をお呼び立てしようものなら、都市単位で特大の影響を被る。もとい、計り知れない恩寵が降り注ぐ。

 と言うか、先日は誰も呼んではいなかったけれどおいでになった。ジアンがうちの檀家の氏神(うじがみ)にも確認したんだ、もしやお招きになりましたか? と。呼んでないけどいらしたんだってさ。……有難くて感涙しちゃうわ。


 そうなると、責任の所在を問える相手じゃないからね。土着神が定める法律や掟は、文明なり神格が保有する武力の及ぶ範囲までしか通用しない。統治神アディケオを奉り、普遍的かつ先進的な帝国法が整備されたミーセオ帝国でさえそうだ。


 邪神本人は強過ぎて誰にも殴り倒せないし、正神や善神の諫めに耳を貸す神格でもない。可愛がっている狂神や悪神のおねだりには応えるらしい。同格の上王たる天神が相手でもない限り腐敗神は不敗であり、太陽の化身とされる天神は祈っても応えてくれない。


 お越しになったからには不可抗力である。来るなと言えるものでもない。

 七曜寺社が歓待に腐心する特大サイズのおばあ様だと解って頂けただろうか。


 先日はチラ見してすぐに帰られたので、皇都アディケイアは滅亡や大破壊を免れた。

 まあ、深刻な風紀と治安の乱れが生じて第一軍の上は将校、下は一兵卒まで治安維持業務に忙殺されているらしいけど。僕は美肉の法だか、醜心の法だったかの運用には関係ないし。他人事よ。


§


 思えば、深刻そうな顔をしたチャーリー公子に問い質されもしたっけ。


 ―――はい? 僕に御質問ですか、公子。


 ……はあ、僕が召喚術で邪神を喚んだあ? とんだ冤罪ですね!? もしやと思いますが、上王の召喚難易度を御存知でない? 超級召喚術相当ですよ。確かに召喚に応じられ易い事で知られてはいますが、然るべき都市人口規模の生贄(・・・・・・・・・)もなしに降臨なさる訳がないでしょう。


 そうですね、要求される生贄の量から超級であると逆算できる、と申し上げるべきですか。七経(しちけい)の中でも僕の一押しは祭品経です。祭品経に書き著されているものはこの世の理です。観音派の教祖としては是非、勧学(かんがく)たる公子にも祭品経を推して頂きたいですね―――


§


 そんな感じでシラを切ったけど、もしかしたらと思う所がない訳ではなかった。

 可及的速やかに精一杯の礼を尽くしつつ、お土産を買って皇都から自社に帰ったよ。


 出血多量につき療養を要すると言う理由は嘘ではなかったし。僕はまだ療養中よ。

 長距離転移(ロングテレポート)するなら井戸を介して他の井戸へ転移するのが一番楽だ。フロスとジアンを連れ帰るくらいなら気軽に扱える。


 我が家は帝国の末永い繁栄を願って神々に祈りを捧げる赤斑(チーバン)教観音派迎楽寺。僕が心から憩える自社さ。


 奉るべき神格が増えてしまって困ってはいるけどね。

 神々へ捧げる信奉を増やす為にも、孤児を引き取ったり奴隷を買い入れて僧籍に入れてやらないといけなさそうだ。特に、根絶の火神フォティア、偏愛の司直カーリタース、腐敗の邪神と言った狂える悪しき神々に気に入られそうな人材が欲しい。


 邪神対策としては檀家のミン氏の子女が最良だ。しかしミン氏―――アディケオの第三使徒ミラーソードの御意向は一部、矛盾していて困っている。

 水の巫女として大切に養育されるべきお嬢様の扱いで家中が揉めているらしいのよ。家中と言っても、夫はミラーソード、妻はイクタス・バーナバ。狂土エムブレポを版図とする夫婦神の事情だから、軽々には上奏の一つもできなくてさ。


 僕の意見としては、お嬢様をチャーリー公子と結婚させたらいいと思うんだよ。

 公子は個人としてのミラーソードとミン氏全体に思う所があるみたいだけど、ジアンの見解として腐敗の邪神からお墨付きを頂いたと強弁した方がいいらしいのよ。


 美容整形と引き換えに発狂する術式を恩寵と呼んでいいのかなー、って問題は別にあるけどさ。公子なら、美肉醜心の法を補助陣法や焦点具なしに扱えるんでしょ。

 僕からは「政治的に利用できるんだから全部使ったらいいんですよ」と申し上げた。公子の御相手としてコラプション スライムの水の巫女は理想的な配偶者だと思うよ、真面目な話。


「まだ目方が軽いな」

「体重はもう戻ったんじゃない? ふらつきもしないし」

「いいや、まだだ。短時間の執筆で目が霞むのは血の巡りに難があるからだ」

「そっか」


 主治医のフロスがお許しをくれたら、色々とお仕事をしなくちゃならないよ。


「例のお薬はどう? 調達の目途は付きそうかな」

「まだ辛いのか。

 忘却薬に頼る事は勧められんがな。ゼキラワハシャは忘八者を良しとする神格だ。副作用で礼や義の徳を損なわれたなら、尼僧として仕事になるまいよ」

「いやあ……」


 辛い事があってさ、僕ってば耐え切れてないのよね。

 居心地のいい居室で、楽な姿勢で過ごしていてさえ頬が紅潮するのを感じるもの。誰かに恋した訳じゃないよ。恥ずかしい(・・・・・)んだ、場合によっては希死念慮と呼ばれかねない水準で。


「第一、教祖様が忘れても神々は忘れてくれんのだぞ」

「何なら大海獣への供物をナシア島へ捧げに行く事も辞さない」


 僕は上級召喚術師の免状を持つ召喚術師だ。

 忘却の海獣ゼキラワハシャの版図、ナシア島への旅行も不可能ではない。


「高く付きますよ。

 そもそも、順序としておねしょの治療が先ではないですか? 忘れる端から漏らすおつもりですか」

「聖獣様の正論も聞いてやるべきだと思うね。生き恥など慣れるものだ」


 でもでも、辛いものは辛いんだい!

 思い出し怒り、思い出し泣き辺りは比較的よく聞くけどさ。思い出し羞恥も結構、いや相当しんどいよ!? 僕、カーリタースに小動物を見る目で見下ろされたのを思い出すだけで鬱まっしぐらよ。ほぼ弱点じゃん、こんなのは!


「不定の狂気としては高所恐怖症や閉所恐怖症よりは断然マシだろう。諦めたらどうだ」

「そうですよ、フュー。卒乳できない貴女の肉体を恥じた事などないでしょう?」

「そうだけどさあ! ……気を抜くと辛みが襲って来るの……」


 主治医と聖獣は解ってくれないけど、常時だぞ!

 フロスは効きの強過ぎない気付け薬やお肌に優しい軟膏は作ってくれたけれど、忘却薬はダメだって言うの。


 ああ、ゼキラワハシャよ! 海の権現(ごんげん)、雄大なる海神よ! 願わくば、我が恥辱を潮騒に乗せて流し清め給え。せめて薄めさせ給え。……お願いしたいんですよ、本当にね……。

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