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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
七曜の公主フューリー I
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F24. 夢中の接触

 中庭でママの匂いを胸一杯に吸い込んでおやすみを告げた後、僕は身体を清拭して神々へのお祈りを済ませて床に就いた。


 やる事はあるよ。でも僕、眠らないと回復しない。明日の事は明日やるの。本日の観音派教祖業は店仕舞い。おやすみなさい、また明日だ。


 本来ならお付きの僕が投宿なさる公子のお世話をするはずが、公子に近付くと僕がお世話をされてしまう。

 よくないんだよね。恐ろしく自然に僕()給仕をされてしまう様子をベイ家や軍閥の関係者に見られた日には、間違いなく観音派の悪評を立てられる。悪評の全てが真実でなくとも、悪評が多いとなると舐められる原因になる。


 奉公人の中に密告者がいても驚かないよ。安牌はフロスだけかな。

 貧しく愚かな個人を密告者に仕立て上げるくらい、弁が立っておカネもあるミーセオニーズならば容易い事だ。昨日までは一人もいなかった不忠者が、ただ一度の会合や扇動で一揆や反乱を起こさないとも限らない。


 高徳の為政者に人民が服せば上手く行くだなんて徳治主義でやって行きたいなら、ミーセオ帝国は不向きだろうさ。何せ、表の守護神が騙し合いを推奨している。


 体格が見劣りする僕に対して、腕力や速度で勝る大人の方が多いと言う現実はある。か弱そうなんだよね、見た目が。屈服させようとか、便利に使いたいだなんて馬鹿な事を考えられた事は一度や二度ではない。

 全く悪評の立たない寺社派閥など一つもないけれど、風評に流され易いと見做されても付け入られるしさ。政治って大変だよ、僕はあまり皇都や宮中に近付きたくない。


 ベイ・チャーリー・ソン個人は明らかに異質だ。

 剣術と魔術と調理の達人って何だ。尖った才能と苛烈な気質の持ち主が多いそこいらの英霊より、公子の方がよっぽど強いな? もしも赤斑(チーバン)の修道士が皆 公子ほども強かったなら、とうに赤斑(チーバン)教が中原の覇権を取っていなけりゃおかしいよ。

 そんな公子でも、政治がおできになるかは見極めかねている。明朝には僕が皇都アディケイアへ送り届けるけれど、何事もなく帰宅できるといいな。


 幼い日にスカンダロンがジアンを遣わしてお護り下ったからこそ、僕は今日まで生きて来れた。不意打ちされない、と言う一事だけでもどれだけ有難い事か。


「今宵は同衾させて貰ってもいいかい、フュー・ダオ」


 いい訳あると思ってるのか!?

 囁き声はお布団のすぐ外から響いて来た。寝室の内側だ、廊下からじゃないぞ。僕のお肌を齧ろうとしたり、耳に卵を産み付けようとする害虫の類を遮る蚊帳の内側にいる。

 怒鳴り付けなかったのは気圧されてしまったからで、即死術の詠唱を始めなかったのは準備できていなかったからだ。


「ご遠慮頂きたいものですな」


 一緒のお布団の中にいるジアンが威嚇を発してくれたが、公子は諦めが悪かった。明らかに機嫌を損ねた男の声音が陰気に響く。


「使い魔には許されているのにな。直に目にすれば存外に憎たらしいものよ……。煉獄へ送り返してやりたくなっていかぬ」


 かと思えば、さも名案を思い付いたみたいな陽気な声を出す。


「そなたを喰って成り代わる方が手早いかね? そうしてくれようか」


 気分次第で正しさに殉じたり殉じなかったりする、中立属性の人にありがちなヤバみが滲み出ている。僕も中立だけど、公子ほど気分の揺れ幅は大きくないと思うよ。

 ついでに言えば、僕には悪と言う揺らがない価値基準があるけれど、中庸属性の公子はそうじゃない。悪行も善行も平然とやるだろう。


「どうだろう、フュー・ダオ」


 今度は猫撫で声を出して来るし。

 予想が付かないと言う意味でなら、狂える悪よりも中立中庸の方がもっとずっと厄介者だ。


「今夜はカルコースが寝ちまったし。少しばかり寂しいのさ」


 ……ううん?


「どちらさまで?」

「人恋しいスライムだよ、お嬢さん。肉布団と肉枕、どちらが入用かな」

「そっかー」


 話が通じているようで微妙に通じない。正属性のフロスやジアンはイラッとするだろうね。物言いたげなジアンを撫でてはやった。

 僕が眠っていない事は最初から露見していたにしても、お布団に入って来る事は既に確定らしい。30ウン歳児の添い寝をしなくてはならないとは心情的に辛いものがある。

 布団と枕なら、まあ枕か……? 知性のあるスライムに圧し掛かられるか、スライムに僕の頭を預けるかって、どっちも同じくらい危なそうだけど。


「僕ね、男の人とはお仕事の都合で添い寝できないの」

「ぬくぬくと同衾している井守(イモリ)は雄なのにか。まあいいさ、俺は無性だから許されるって事だ」


 解ってたけどこいつ、強引だぞ! 僕の身の丈に合わせて誂えた羽根布団の左端を何かがめくり、ぷるんとした生き物が嬉しげに入り込んで来た。犬猫の成体よりも一回り小さいくらいの大きさだろうか。


「若い娘はいいな。このくらいでいい。溶岩はちと熱過ぎる」

「左様で」


 公子の身の上話はアシメヒア租界で少し聞いたけどさ。要約すると高等なスライムと取引して強くなった、って。だけど、分離できるものだったんだ?


「占術防御のない思考は予知し易いな。分離つうか、溶岩に浸したら肉が肥えたんでな。触手を何本か生やしてみた。一本やるよ」

「はあ……」


 そんな「胡瓜がいっぱい採れたからお裾分けだよ」みたいな調子で、スライムの触手を寄越されても困ってしまう。僕はスライムを食べないよ?


「食わず嫌いか。女子供が食べ易いように柔らかくて芯がないのを生やしたから、生でもそれなりに喰えると思うぞ。消化については心配するな、胃に入ったら自発的に溶けてやる」


 お布団の中からはそんな声がする。

 もしかして僕、起きてるつもりだったけど夢を見てる?


「ねえ、ジアン。僕これ悪夢だと思うんだけど、どうなの」

「頬を抓って差し上げましょうか」

「お願い」


 枕元に這い出たジアンは前足で僕のほっぺをもにっとやってくれたが、悪夢から現実に引き戻されたりはしなかった。元凶のスライムはと言えば、お布団の中で声を殺して笑っている。


「そなたはこれから俺と寝るんだよ、フュー・ダオ。

 ほら、その固いばかりの枕を抜いちまいな。肉枕になろう」


 何だろうね、思考を先読みしてるのに空気は一切読まないこの太い肝。

 お気に入りの籐枕(とうまくら)を布団の外へやれば、音もなく頭の下へ滑り込んで来たスライムがぷっくり膨らみ始めた。感触からすると水を詰め込んだ水嚢(すいのう)に似ているかな。でも、籐枕(とうまくら)よりも座りがいい。これなら眠れそうだ。よし、寝よう。


「おやすみー」

「おやすみなさい」

「そなたらの肝の太さも大概だぞ? おやすみ」


 器物の精霊にはよくいるタイプさ。道具として使ってあげれば慰撫されるし、使い続けて欲しいから「こんなに有能だぞ」と売り込んで来て世話も焼いてくれる。



 だけどさ。

 僕らは劇場の桟敷席みたいな空間で対面していたよ。舞台の上は僕の寝室を模していて、スライムを枕にして眠る僕を俯瞰している。


「やあ、フュー・ダオ! お待ちしていましたよ。明日の打ち合わせを致しましょう」

「……何でまた?」

「睡眠中の意識下で打ち合せを済ませておけば、明朝すぐに動けます」


 入眠するや否や、物凄く嬉しそうな笑顔の公子が話し掛けて来るとは思ってなかった。僕と夢を共有させる為に触手を一本寄越したんだってさ。

 公子は仕事狂い(ワーカホリック)もいい所だった。睡眠中にさえも安息などない生き方をして疲れないんだろうか。疲れないらしいんだよ、溶岩風呂で眠っている公子の肉体は絶好調だそうな。だけど気疲れはすると思うよ、この手法。


 細々とした明日の打ち合せは確かに必要だったけれど、一段落した頃に公子は本命の話題を振って来たんだ。


「小マカリオスとチャン・ラオの殺し方についても希望を伺いたい。

 決闘請負人としては決闘に持ち込むのが最も楽な展開です。北頭の部族の小マカリオスはまだしも、チャン一族の領袖は容易い標的ではないようですな?」


 我々が話し合うべき事項は実に多いのです、とミーセオ帝国に仕える大君めいて正装した公子は言った。


「殺って下さるなら何だっていいんですよ、僕は。絶対に許さない男一号と二号を公子が現世から消し去って下さるなら万々歳でっす」

「そうですか。任せて頂けるのなら、最適な手法を探り易いですね。宿敵の死を(こいねが)う貴女の敵意は解ります」

「とにかく死ね、直ちに死ねって以上の望みはないですね」

「解りますよ。私にも敵はおりますので」


 公子は物分かりが非常に良く、殺るなとも諦めろとも言わなかった。


「幾つか問題はあります。チャン・ラオが帝国の守護神の御心に適う有益な信奉者である間、帝国内での単純な暗殺は好ましくありません。暗殺に成功しても、その死を隠せなければ蘇生されかねない。貴女の要求する所は現世からの退場だ。一度の死ではない」


 するするっと、頭の中に整理された情報が入って来るのは面白い体験だった。


「外国で殺せと?」

「それも一つの方法です。戦争でエマトキシーア三国連合と交戦するならば、エマトキシーアの版図へ踏み込んだ時が最も殺し易くはありましょう。その者の死をハイマに捧げてしまえば良い」


 公子曰く、相当数のエマトキシーア兵を殺したチャン・ラオの魂を捧げるなら、巌窟の王子ハイマは喜んで供物を受け取った上で永く幽閉して下さるだろうとの事だ。冥府へ行かせず、霊魂が損耗し切るまで続く巌窟の権能による幽閉! 魅力的な計画だ。


「フロスヴァイルが持つ葬列の銀刃で止めを刺すのも一つの方法です。

 果たしてチャン・ラオは、天界へ強制葬送フォースドフューネラルされた魂を交渉や窃盗で取り戻させるほどの功徳を積んでおりましょうかね」

「うーん……積んでるかもしれないですね?」

「加えて、冥府からの霊魂自身による脱獄、属性転向による帰依と裏切り、強大な神格の手駒としての再誕と言った事例もあります。死後に英霊に成り得る器であれば、ちと警戒が要りましょうか」


 エピスタタのように、と言われれば公子の仰りようは解る。

 僕が招請契約を結んでいる狩人の英霊エピスタタは強力だけれど、喚んでいない時は正しき善の魂が憩う天界にいるはずだ。エピスタタみたいなのがうようよいる天界からの脱出はさぞ厳しいだろうけれど、チャン・ラオだって傑物には違いない。

 たとえアディケオの使徒にこそ選ばれなかったとしても、一騎当千の猛者でなければ帝国軍を率いる将軍には据えられない。


「大物でさえなければ、天界は正しく悪しき魂を逃がしますまいがね。

 正しき魂とは雑兵に強く、英傑に弱い傾向が顕著ですからね。あまり期待すべきではないかもしれません」

「あー。力の差をひっくり返せないんですよねー、正しいと」

「そうでしょう」


 そもそも気が狂ってでもいなければ、自分よりも強大な存在には気圧されて反抗する気力を萎えさせてしまう。本能的なものだ。


 大きな力の差があると感じた時、正属性の人達は無理をしない。すぐに逃げたり、仲間を呼び集めたり、発言力を溜めると言った行動に出がちだ。自分より強いと見ると立ち止まるよね。

 狂属性だと反骨心が強いと言うか、力の差を意に介さない人が多い。死ぬまで戦う、死力を尽くす、死に物狂いでやる強烈な狂気を発揮できるのは狂属性の特権だよ。


 正神の威光が強い中原と北方において、狂属性を発現する人は少ないと言われている。だけど時折、狂属性が多い南方諸神の目に留まって生誕を祝福される人もいる―――公子と僕みたいにね。親しみが湧こうと言うものさ。


「差し当って、チャン・ラオはもう20年は現世に憚り得る生命力の持ち主ですが。

 小マカリオスの余命は残す所5年未満。コルピティオに摘まみ殺される事は免れても、エムブレピアンは短命ですねえ」


 大した事でもないような言い草で公子は仰ったけど、死ぬ前に殺さないとね。

 その名と共に、暗黒騎士コルピティオについての公子の印象が舞台の上に流れ込んで像を結んだ。黒塗りされた板金鎧を身に着け、ごつい戦槌を担ぎ上げて、叩き潰した幾多の屍を足蹴にしているバシレイアン。上王(オーヴァーロード)たる腐敗の邪神に剥奪を受け、名を喪った聖騎士。彼は男性だ。しかしミラーソードの生母だ、とも解らされた。


 舞台の中央に佇む暗黒騎士が桟敷席を見上げた時、邪神が僕らを見たのかもしれない。面頬の下に暗く澱む瞳の持ち主が僕を呼んだ気がしたんだよ。堕落者の凝視に心惹かれていた。


「おっと」


 公子が腕を大きく振り下ろすと、舞台と客席を隔てる緞帳(どんちょう)がするりと降りて暗黒騎士の姿を隠した。まるでお気に入りの役者からの眼差しを遮られたように感じたものさ。


「危ねえなあ。見られたか」

「見ようとすれば見られるものですな」


 公子は公子で、一つの身体で二人分のお喋りをしているし。

 隣の桟敷にはいつの間にか、目の数以外は双子みたいな赤毛の少年少女がいて。二つと六つの眼が僕らをじっと見ていたりもした。


「イクタス・バーナバは見ているのだ、フューリー」

「ミラーソードも見ているのだよ、フューリー」


 夢の終わり際は混乱していたけれど、忠告めいて投げ掛けられた双子の言葉は奇妙にくっきりと記憶されていた。

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