42. 湖の街リンミにおけるスライム固有種の生態
俺は中立にして中庸なる暗黒騎士ミラーソードとして湖の街リンミを支配している。リンミ伯爵にしてリンミ守護たる太守ダラルロート、聖火教を率いる正しき悪の司教ヤン・グァン、魔術師団を率いる魔女シャンディらはミラーソードの三人の腹心と呼ばれる一等市民だ。俺の忠実な手下だが、少々癖がある事は否めない。
さて、俺自身はバシレイアンと呼ばれる現住蛮族の男性に似た姿形をしてこそいるものの、実際にはコラプション スライムと言う外来種の妖怪の血を引いている。人の姿をして街を統治しつつ人を食う中立悪属性のスライム、と言う正体を知る者はそう多くない。
平素の俺は金銀混淆の派手な頭髪と青の瞳を持ち、漆黒の板金鎧か豪奢な絹衣を着たバシレイアンにしか見えまい。魔術で鑑定しようにも、最近喰らった命の中に占術を極めた術師がいたので欺瞞の強度が桁違いに跳ね上がった。今や俺の本性を術で見破れるのはよほど神の恩寵厚い使徒か寵児、或いは神その人のみだ。
リンミに滞在する間、俺は徒歩で移動するし、理力術で飛翔もすれば、召喚術で転移もする。警護を付けようにも同伴できる者はいない。供は一人を除いて連れ歩いていない。
「ミラー、次の巡察ってどこに行くの?」
「鏡よ、湖に出るぞ。ジュエル スライムどもに餌をやる」
俺の帯剣、刀身に鏡面処理を施し《非破壊》の魔力回路を刻んだ鏡の剣には知性がある。俺の供は鏡一人だ。或いは一匹。時として俺に代わって魔術を振るい、妙に達者な技量で調理だの給仕もこなす。嘘吐きなのが難点ではある。
リンミにおいて支配的な宗派・聖火教の本拠地である聖火堂を後にした俺は軽く飛翔し、転移で目的地へ飛ぶ。警護など連れていては俺の予定は全く消化できない。強大な魔術師としての力は惜しみなく使う。なに、消耗したなら聖火堂の地下に捕らえてある命を喰らうまでの事。階級市民社会であるリンミの階級制度から転落した者と重罪人が俺の食糧として捧げられる。
聖火堂の油壺が発する絶えざる聖火と満たされし聖釜の熱気は瞬時に去り、街に隣接するリンミ湖上の涼やかな空気が俺を迎える。食事を済ませた俺の術力は、司教に俺自ら創造した果実を振舞ってなお全力にほぼ等しい。命に満たされた体躯を撫でる風が実に心地よい。
高く飛翔し、広く深いリンミ湖を見下ろす。白昼の陽光を照り返すのは湖水だけではない。湖に棲むリンミの固有種、ジュエル スライムが体内に抱え込んだ石の輝きを返している。
リンミには墓地が存在しない。俺が全て撤廃させた。リンミにおいて全ての死者は聖火堂で焼かれて灰となり、リンミ湖へと水葬される。そして俺が異界の邪神から授けられた恩寵たる異能によって産み出したジュエル スライム達の餌として吸収される。
しかし、湖水と市民の遺灰のみでは少々足りぬようなのだ。何しろ俺自身が人食いスライムである以上、腹を空かせた子分どもが市民に触手を伸ばす可能性がある。基本的に攻撃されない限り大人しいジュエル スライムの生態を調べた結果、俺は定期的に餌遣りをする事に決めた。
一仕事するのに良い天気でもある。俺はリンミの支配者としてリンミ市民に「よく働き、よく眠り、よく見よ」と求めている。もちろん忠実なる市民を俺は飢えさせず、富に栄誉と言った相応の見返りを与えているが、俺自身の労働を見せる必要性を認めている。市民は常に誰がリンミの支配者であり、力の源であるかを知っているべきだ。
俺の能力は魔術師としては大魔術師を衒いなく名乗るに足るものだ。中でも狂神の祝福により変成術を最大の得手とする。魔素を広域から集め、魔力として収束し、詠唱に拠る事なく意思によって創造する。俺は湖に魔力を凝固させた塊を幾つも投じてやった。平素は俺の子分とは思い難いのんびり気質で非好戦的に湖を漂っているジュエル スライムだが、餌を投げ込まれると群体が俄かに活気付いて湖を移動する。そうすると湖全体が輝くように見えるので悪くない眺めだとは思う。体内に抱え込む石片の輝きも増す為、俺が餌遣りをして数日は労働時間外の市民が盛んに船遊びを楽しむ情景が見られる。娯楽の提供も支配者の務めだ。
「お疲れ様でした、ミラーソード様。今日はお帰りになられますか?」
「ああ」
「近いうちに改築された新居へお招きに預かりたいものですねえ」
「太守が晩餐に招いてくれるなら考えるとしよう。では、また明日」
基本的に、俺は夜間はリンミには留まらない。腹心の中でも筆頭たる太守しか知らぬ山奥に構えた自宅へ長距離転移で帰り、静謐な山中に満ちる魔素を独占的に吸収して過ごす。大魔術師にも大魔術師なりの苦労はあるのだ、と言う事にしておいてくれるがいい。
暗黒騎士ミラーソードが夜間はリンミの街中で過ごさない真の理由は二つ。一つはつまらぬ事だ。
「はいはい、ちょっと遅くなったけどお夕飯の支度をしますからね」
「頼む」
夕食の支度について何やら矜持のある鏡は自宅の厨房を己の聖域と呼んでいる。理力術による念動力の手を縦横に操って食材と調理器具を飛び回らせ、腕前を披露してくれる。素材としてやれ何が欲しいと言って来る鏡に変成術で創ってやり、晩酌の酒を選ぶのは心安らぐ時間だ。そうして失言に厳しい鏡の機嫌に注意しつつ、用意された夕食を楽しむ。
「今日は概ねいい日だったのではないか、鏡よ」
「そうね、ミラー」
自宅に帰るもう一つの理由は……。
己に巣食う超重篤な恐怖症の対象について、俺は心の底から本当に語りたくない。
就寝前、俺は暗黒騎士として信仰神へと独り祈る。俺の血統の父よ。異界より来たりし腐敗の父たるスライムの邪神よ。俺の祈りを聞き届け、俺を苛む忌まわしきお化けどもをこの世から全て腐らせて滅ぼし給えと。




