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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
ミラーソードの影II カルコースの遍歴
417/502

411. 私の神敵

 居住区の方々(ほうぼう)に撒いた標識(タグ)を改め、場所によっては取り換えもして歩けば日没を迎えていました。

 もしも網目の大きな術式に引っ掛かるほど顕著な外敵―――土着神の使徒や地獄の公子であれば、交戦よりも退避を考えなくてはなりません。探知の占術は言わば巣に張った糸、日々の備えの一部です。


 居住区の集会場には篝火(かがりび)が燃え盛り、各戸では十分な暖房を得られない人々が集まり肩を寄せ合っています。《大地神の隔意》はヴィオテアの山中にあり、一年を通じて冬の大神ムアドンの威が鳴り響く領域です。雪深い冬山を畏れながらも、日々の糧を求めて採集に赴いた者達の凍えた身体を温める火は公共の財。

 火とはフォティアが衆生が授け給うた叡智、慈悲深い御恵みに他なりません。上古の時代に火の禁令を発した大河の大神とは、随分と酷い仕打ちをなさる狂善神だとは思いませんか。


 その点、全く意見の合いそうにない者が訪ねて来ておりましてな。ただ場に存在するだけで火勢を弱める、不燃の異能の担い手がいる。


「のこんばんはー、火焔神の祭司殿」

「こんばんは、アンタケの御仁」


 上等な木靴を履いて小袖を着た、傘の小さな紫色の茸人。


 ―――マーザの相手はしたくねえぞ。


 ……友人の言う通り、マーザに見えますな。歴運の輔弼(ほひつ)にして交換の権能を司るアンタラギの第二使徒マーザ。

 対面するには危険過ぎる手合いからの挨拶です。探知網を擦り抜けられた事そのものは驚くに値しません。占術を修めた使徒の所業であれば、むしろ当然。御存知でしょうに、敢えて名で呼ばれなかった機微を汲み取るべきではありましょう。

 十中八九、ハジャさんが言っていた『将軍の付き人』はマーザですし。


「何用でしょう。牽引の順番はまだ先と伺っております」

「そうのこね。順番を繰り上げてあげる事もできるし、何ならマーザが牽引してあげてもいいのこが」


 アンタケの交換手による《大地神の隔意》内部への牽引は大変な人気のある商売で、私の順番は三か月先の予定です。前金として求められた貴金属の工面には膨大な魔素を吸わなくてはなりませんでしたが、支払った意義はあったらしいですな?


「お話だけでも聞いて欲しいのこよ。

 公明にして公正なるノモスケファーラの規律とアンタラギの交換に誓って、中立にして中庸なるマーザはお支払い済みのお客さんを売ったりしないのこ」


 アンタケには目や耳はございません。造作と言えば、笑みと受け取れる形状の歯のない口のみ。誓約の言葉に僅かばかりの苛立ちを嗅ぎ取れなくもないのは、篝火(かがりび)が近いからでしようか。

 一方、私にも不燃の異能を火焔神への不敬と憎む気持ちはございます。火焔の印章指輪が疼き、ティコス方の使徒と戦うならば助力して下さると囁きさえもするのです。我が剣を以てマーザを斬り伏せ、茸串を火にくべたならどれだけの恩賞を下さる事か!


「……仕方がないのこね。無理もないのこ。ちょっとだけ待つのこ」


 丸腰のマーザは私に背を向けました。斬るべしと言う信念が一際強まり、友人の葛藤を上回りました。群体の一つに過ぎないのだから止せと言われようとも、神敵への憎悪は信仰において完全に正しい。


「そこの人、そこの人。そう、同じ下着を十三日も履きっぱなしの、お財布に擦り切れた銀貨しかないおじさんのこ。ちょーっと預かって欲しいものがあるのこよ。……ティコスの不燃って言うのこが」


 ―――違う、止せ!


「ひっ……」


 憎悪の対象がマーザからアガソニアン難民へ摺り替えられたと悟った時には、袖から振り出した無刃刀に赤熱する石の刃を着剣してしまっておりました。怯え切った難民の眼差しが私の憎悪と後悔を同時に掻き立てます。


「刃物を向けられたら尊敬なんて吹っ飛ぶのこよう、祭司殿。若いのこねー」


 今や私の愚かさを嘲るアンタケへの怒りよりも、不燃の異能を交換された難民への憎悪の方がより強い。


 ―――俺が話そうか、カルコース。そなたは冷静じゃない。


「……いえ……」


 友人の提案は辞退しておきましょう。

 我々は若造ではありましょうよ、合算しても三十そこそこですからな。ですが火焔神の祭司たるもの、ティコス方の使徒に虚仮にされて黙ってはおれません。


「去りなさい。不燃の異能は篝火(かがりび)を消してしまいます」

「仲間と一緒にアシメヒア租界へ行くといいのこよ。生者は大事にされるのこ」


 苛立っている事は自覚しています。慕われた日もあった難民達に怯えられている事も。私の言葉には威圧と恫喝の色が濃い事も。

 燃え尽きて鉱滓(こうさい)と化した石剣を篝火(かがりび)へ投じ、生成可能な石炭を全量降り注がせると共に火焔の異能を振るいました。


「火遊びで満足したのこかあ? 夕食は御馳走するのこよ、影ならぬ影(ノットシャドウ)


 天を舐める高い火柱に集会場に集まっていた人々は怯み、怯えましたけれど、私の精神の安定は取り戻せました。……問題はありません。誰が逃げ去ろうとも、私が仕えるべき神格に奉仕するのみ。


「……我が神の正しさへの確信を深めましたよ、私は」

「フォティアは狂悪神のこが」

「ティコスよりかは相対的に正しいのです」

「いいのこよ、話のタネには困りそうにないのこ。今晩は帰さないのこよー」


 誤解なきように申し上げますが、我々は決して親しい間柄ではありません。

 マーザの言葉など聞き入れてなるものか、と。嫌々ながら話を聞かされる前までは、私とて断固たる決意を固めていたのです。


§


 狂土エムブレポは隠されていた《大地神の隔意》を発見した立場にも関わらず、入口周辺に租界を設置していません。狂える中庸の女神イクタス・バーナバを奉るエムブレポは狂気に満ちた国。常に大きな問題を起こす国家でもあります。


 リンミニア租界を通じてやって来るエムブレポの手勢は凶暴性が知れ渡っており、察知できたなら挑戦者らは自国の租界へ退避します。正善神の試練の最中に落命したならば天界へ召される事を期待できますが、腐敗の邪神を奉る暗黒騎士に殺された魂は地獄へ送られてしまいますので。

 強力な屍人(ネクロス)(シャドウ)を引き連れた暗黒騎士コルピティオが神性迷宮(ラビュリントス)浅層で挑戦者を誰彼構わず虐殺し、神君ノモス直々に叩き出された事件の爪痕は小さくないのです。


 事件以後、地図が出回っている浅層の危険度への認識が大きく改められ、アンタケの交換手による安全な牽引を求める巡礼者が増えたと聞きます。公然と排除されて以来コルピティオは姿を見せていないものの、一度の失敗で諦めるはずがないとは友人の評価です。


 マーザの話を全て信じる気にはならず、私は幾人かに預けた標識(タグ)を回収した上で占術に時間を投資致しました。……結論としては事実でしょうな。マーザが語った内容を、生きのいい尾鰭や胸鰭付きで追確認できただけです。


 今回もエムブレポから乗り込んで来た者達が事件を起こしています。ミラーソードは何をしているんだ、と友人が憤慨しておりましたよ。

 今や全ての巡礼者にとっての障害でありながら、神君ノモスを興がらせている者の名はリンミニア騎士団長マオ・チォン。正確に言えば、極めて強力な精霊の形代になっているマオ・チォンです。


 お(くる)み様事件の発生から既に一か月が経過しています。

 浅層を稼ぎ場にしていた自称巡礼者らの多くは狂戦士を恐れて租界で時機を待っている様子です。一方で、神性迷宮(ラビュリントス)が挑戦者に報いる財物なしには生活できない者達もいます。明らかに後者のハジャさんには随分と金銭を無心されました。


「チャルさんはいいよねー、自給自足できてて」


 声を出さないで頂きたいものですがねえ。

 毎度の事ですが、赤斑(チーバン)教の特免室(ミゼリコルディア)での行為中に話し掛けて来るハジャさんには興を殺がれます。私の好みからすれば、緩やかに鮮血を吸い上げて征服感を味わいたいのです。提供される血液の総重量を献血と認められる範疇に収める限りにおいて、提供者側からの申し出による売血はエマトキシーア売血法に従って合法です。

 売血法は完全に悪法ですがね。高貴の異能を振るうエマトキシーアの貴種の言葉に庶民は抗えませんし、第三者による売血前後の体重測定を怠ったとしても碌な罰則はない。支配階級にとって都合の良い規定に過ぎません。売血法は正悪神アディケオと正善神ノモスケファーラの二柱に強く影響されるエマトキシーアにあって、アディケオ寄りに振れた一例とも申せましょう。


 経口摂取した血潮が染み渡る悦楽だけならば、我慢や先送りもできます。私はね、人肌に触れる数少ない機会を大切にしたいのです。

 火焔神を奉じる祭司に好き好んで近付いて来る者の多くは遺憾ながら悪党、そうでなければ極度の貧困状態。孤独を思い知らされるばかりだ。耐えかねて女性との接触を求める夜は私にもあります。下着を身に着けないと言う謎めいた戒律を持つ赤斑(チーバン)教の修道服に対する特別な思い入れは、まあ薄い方ではないかと。


「ごちそうさまでした」

「もうちょっと吸ってもいいのに」

「多量の売血は貴女を害します。それは本意ではない」


 白湯の杯と造血剤の丸薬を差し出し、お誘いは固辞しました。今晩頂いた血は味わった中で最も美味でしたよ。散々集られた意義を見出すには、ちと多額の出費でしたけれど。


「さあ、お召し上がり下さい。貴女の為の晩餐です。遠慮なさるな」

「いただきまーす!」


 特免室(ミゼリコルディア)の食卓は趣向を凝らされたもの。

 惜しみなく香辛料を用いてバシレイアの肉牛を焼き上げた大皿を中心とした、粗食に慣れた者の胃は受け付けないであろう献立です。ミーセオの鰻は蒸し焼きにされてなお良質な脂を滴らせています。リンミニアの淡水貝とアシメヒアの乾し椎茸を合わせた吸い物は限りなく上品です。丁寧に潰された芋は、季節の野菜とチーズとハムを修道院秘伝の白ソースと混ぜ合わせて供されています。エムブレポ産の新鮮な果実が山と盛り上げられ、見目麗しく甘い花が添えられた華やかな皿もあります。ハジャさんを喜ばせるものは、焚き上げられた粒揃いの米飯や、葱と鴨肉が香る温かな饂飩(うどん)の大杯でしょうか。希少価値の高いティリンスのワインもあるので、御相伴に与りましょう。


 《大地神の隔意》の宿場町で高い水準の贅沢ができる階級は限られています。

 日常的に美食の限りを尽くしている赤斑(チーバン)教の修道士を買収すれば、彼ら自身は食べ飽きているらしい夕食を味わう事もできるのです。本来この場で夕食を召し上がる予定だった人物でしたら、娼館へ行かれました。関与した誰一人として非合法行為には手を染めておりません。現世とはこのようにできているのです。


「チャルさん、修道士ってどうやってなるの?」

「さてねえ? 半ば以上、世襲で受け継がれる地位と化しているようですよ」

「そっかー、残念」


 ハジャさんとの他愛無い会話も楽しめました。

 彼女はいつも大量に召し上がりますが、行儀そのものは良いので同席しても不快感はありません。実力がない訳でもない。この陸塊で最も富裕であろうバシレイア神軍ならば、食費の面倒を苦もなく見られたでしょうにねえ。

 規格に合わぬ外道、貪食の徒と詰られ、破戒者の烙印を捺されたバシレイアンを憐れむ気持ちがないとは申しません。ある意味、フォティアに魂の火花を授けられた私もそうでしたから。


 ……若干の引け目もありましてね。

 本人に教えてはいませんが、お(くる)み様と遭遇したハジャさんの戦闘記録を映像化した宝玉球には大変良い値が付きました。解析の足しにはなりましょうよ。ミーセオ帝国軍、アシメヒア聖軍、バシレイア神軍らが真剣に攻略に取り組めば、お(くる)み様を排除できるのではないですか。

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