41. 司教との茶話
聖火堂の地下で捧げ物として幽閉してあった命を処理し、質に応じて雑に咀嚼するなり味わうなりして適度に満たされた俺は地上部分の私室にいた所を司教に訪問された。
鏡に給仕を任せ、俺は司教の持て成しにと変成術で季節外れの桃に林檎、南国の風変わりな果実だのを盆に一つ分創造してやった。ダラルロートから得た知識は俺が変成術で創造できる物質の種類を大いに増やした。
ダラルロートの経験と俺の経験は別物として俺の中で峻別されており、呻らされた。たとえばこの桃だ。俺は桃と言う果実を口にした事がなかった。ダラルロートはどんな桃が最上質であり、どのような味と香りがし、どんな木に成るかまで知っている。この状態で俺が桃を口にすると、初めて桃と言う果実に接した驚きと共に快く香り立つ芳香を裏切らぬ甘さと食味を感じられる。食糧として山葡萄の房や木の実を創るのがせいぜいだった頃とは比較できぬ楽しみがある。
喰った後から振り返れば、どうしてダラルロートに対する食欲を感じずに腹心として扱えていたのか全く理解できない。もちろん、得た知識は嗜好品に対するものに限定されない。喰われて俺の中に溶けたダラルロートの功績なのか、俺の暴走を止める為に記憶の整合性を取ったと言う太守を演じている分体の功績なのか正直俺には分からない。いっそダラルロートと太守の合同作業と言うべきか。
「桃って切り方はこれでいいのかい、ミラー」
「良かろう。司教よ、俺の手慰みだが一つどうだ」
「有難くご馳走に預かりまする」
鏡に応えてやりつつ司教に皿を勧め、鏡がナイフで切り分けた果実の盛り合わせに手を出す。……上手くできたのではないかな。桃は司教からの受けも良い。太守は少々辛い品評をしそうな気がする。魔女は何でも良いのだろう、俺が与えるまでもない。
「ミラーソード様、最近のお加減は如何ですかな」
「司教までどうした?」
「おや、他の者もお加減について伺っておりましたか。
となると、臣の気のせいではないのやも……」
耳に心地よい褒め言葉と共に美味そうに果物を楽しんでから、司教が不穏な事を言い出した。ちらと抜き身で宙に浮く鏡の剣を見る。
「ミラーの体調管理ができてないって言われてるみたいで鏡としては不満」
「俺は生来、頑健でな。病気や毒による体調不良や不健康を感じた事はない。……あれさえ除けばな」
狂った邪神の祝福にして超重篤なけしからぬ者どもへの恐怖症のせいで、長く病床にある者の心情も多少は解らん事もないのではないか。挙句、俺の力を保ちたくば根治させる訳にも行かぬと来ている。
「最後に発作に見舞われたのはいつでしたかの?」
司教はおぞましき者どもに対する恐慌状態に陥る事を『発作』と言い換えてくれている。しかし……
「……今だ。『何があったか』考えただけで腸に来た」
「想像力があるって辛いよね、ミラー」
「沈静化を致しましょう」
「いや、いい。もうやった」
施術を申し出る司教を片手で制する。拙い質問が来ると司教の口振りで察していた為、術と血を引き出す準備はできていた。司教だからだ。鏡だと準備そのものを磨り潰すかのような勢いで話をして、俺を殺す気なのではないかと思わせる。
「俺の健康管理に関わりがあるのだな?」
なかったら許さぬが、司教に限ってはそのような真似はすまい。三人の腹心と鏡の中で真に相談役足り得るのは司教のみなのではないか、と疑ってはいるこの頃だ。他の三匹はどれも難がある。
「然り。先日、ミラーソード様には重篤な尖端恐怖症を持つ者のお話を致しましたの」
司教に先を促す。箸の尖端でも恐慌に陥ったと言う者の話は無論、記憶している。
嫌な予感がある。血の力を引き出す経路を開け、魔力も整える。
「その者は狂神の恩寵を受けた者として大切に保護されておりましたが、発作を起こした後には天啓を授かる事があると言うので尖端を見せようとする者も後を絶たなかったのですじゃ」
鏡の剣の鏡の刀身が俺を映す。なんだ、この嫌な気配は。
「無論、我らミラーソード様の三人の腹心一同はお心の憂いを取り除くべく職務に精励しておりまする。
然れども、リンミに長く御滞在頂けるようになったミラーソード様には偶発的な遭遇に見舞われる機会が増えております。
どうかお心を強く持ち、いつなりとこの正しき悪の司教ヤン・グァンをお召し下され」
「……そなたの忠心を有難く思う」
司教への返答を搾り出しながら、俺はどうにも殺気と湿り気の混合物めいた感触を鏡から感じてならなかった。




