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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
自称暗黒騎士ミラーソード
40/502

40. 診察

 その日、俺は太守から茶に誘われていた。心当たりのある案件は幾つかあったが、さて何であろうと思いつつ太守の館にある茶室の一つを訪ねた。何もなければ呼び立てる男ではないのでな。

 品のある陶器、美しいまでの茶、くどくない甘さの中で果実そのものの甘味を感じさせる菓子。太守に招かれると目と口が楽しい。何しろ陶器や菓子と言った無機物には脈打つ血管の類がないのでな……。無機物と言えば腰に佩いた華美な鞘に収まった鏡の剣もか。「悔しい、お茶汲みの腕で鏡はまだ負けてる」などとぶつくさ不平を言っている。


「ミラー様のお加減は如何ですか」

「太守こそ違和感や苦痛はないのか」


 一度開いてしまった邪視の閉じ方が解らない俺の目には、常に脳味噌だの肺に心臓と言った臓物に絡み付くような血管と神経の束が視えている。目に入る全ての生物に関してだ。慣れる、慣れないと言った事は驚くほど問題にならなかった。俺は生まれる前からこの視界に慣れていたらしい。太守は最早リンミニアンでもミーセオニーズでもない俺の分体と化しており、長く伸ばして整えた黒髪の男の服の下には胡乱げな構成の臓物が見えている。


「私の身体はむしろ調子が良過ぎるほどですねえ、御心配なく。

 診察させて頂きたいのは精神です、ミラー様。

 私は砕け散った自我と記憶の断片を再整理して流し込む工程として、暴走状態だったミラー様を抑止する際に夕食の場面を五十周ほど繰り返しました」


 ……五十周だと? 俺の中にそのような記憶はない、おそらくない、ないのではないか、と思うが……俺を止めるのにそんな事をしたのか、太守は。


「本日までの経過観察として整合性に問題は出ていないようです。

 ただ……沈静化には適切な心象風景ながら、登場人物に生身の者がいませんでした。

 邪視についての調整が甘かったのではないか、と」

「多少、気になってはいる。耐え難い訳でも不快でもないがな」


 太守は俺の問題を把握していたらしい。


「いいんじゃない、閉じたいなら話を聞いても」

「鏡は閉じさせたくないのか?」

「当然でしょうな。鏡殿からすれば生命線ですので」


 投遣りな鏡に問い返せば太守が首肯する。アガシアとの戦いの前に身に着けたいと思っていた臓器と血管を見る眼を手に入れたのだ。この視界に慣れる必要はあるとは思う。見えるようになった事で、致命的な効果を狙って人体の内部に栓を創り出すのが格段に容易になった。それでも、開閉できるのなら有難くはある。


 太守が小箱のようなものを卓に乗せる。長方形で、厚みもそれほどない。


「こちらをどうぞ。

 私の術とミラー様にお借りした力とを合わせて作った品です」


 開けてみれば何やら細工物が納められている。鼈甲(べっこう)と柱石で作られた眼鏡で度は入っていない、と何者かの知識が俺に教える。眼鏡とは何をする道具か、扱い方の注意、手入れの方法。そう言った細々とした知識も伴って。おそらくはダラルロートだ。


「ミラー様は幾らかその眼を曇らせる為にお使いになっては如何かと」

「ちょっと太守、鏡を差し置いてミラーに普段遣いの細工物を贈る気?」


 不平を言い始めた鏡は脇に置いて掛けてみる。眼鏡の枠の中の視界に限り、脳やら血管が見えなくなる。枠の外を見れば俺本来の視界が広がる。なるほど、ダラルロートらしい贈り物ではあるのかもしれぬ。


「悪くないな。使わせて貰う」

「ミラー様にお気に召して頂けたのなら鏡殿も強く拒まれはなさいますまい」

「くっ……! ダラルロートはやっぱりダラルロートだ……!」


 悔しげな声を上げる鏡に対して勝ち誇りこそしないが、太守は楽しげだ。点ててくれる茶の作法も典雅だ。一見して問題はないように見える、が……。

 『身体はむしろ調子が良過ぎる』と太守は言った。ダラルロートの姿形をした分体めは、己の足しになりそうな命を喰っているぞ。監察官や補佐官の目は誤魔化せても、分体を産んでやった本体としての本能で解る。こやつは太守を演じながら、コラプション スライムとしての力を蓄えているんだ。俺に殺されたダラルロートの残骸から、よりよい生物になろうと日々(うごめ)いていやがる。


 そんな太守の努力を好ましく思い、俺からも幾らかの力を注いでやった。

 もしかしたらば、太守を演じる分体はいつの日にか本物のダラルロートを越えるのかもしれない。手ずから点ててくれた茶を味わえば、そんな予感があったよ。

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