367. アンタラギの分割交換
夏の宮殿の片隅でアンタケ柄の腹巻をしたアンタラギは言いやがった。
「アンタラギにおまかせコースと、契約コースのどっちがいいのこかあ?」
二択が提示されたが、前者は不正解だ。
『マーザは二択を提案するけれど、おまかせは不正解なのだ』
『おまかせを選んだら、ミラーはアンタケの苗床にされてしまうのだよ』
エファとゼナイダはそう教えてくれた。
全知持ちと言う強大な預言者を擁する俺が二択で失敗する事はない。問題は契約を望んだ場合だ。
「イクタス・バーナバの遣使として、そなたに丸投げなどできるものか。契約条件を言ってくれ」
「いいのこよ。エムブレポの東端の海岸に租界が欲しいのこ」
「十年間の租借権以上の妥協はできかねる」
「十年は短いのこねえ。最低でも五十年欲しいのこ」
「では受けられぬな。他の条件を提示してくれ」
一問目は拒否だ。
租界を飲むと、アンタラギは権益をノモスケファーラに売り飛ばしやがるんだ。
「予習済みのこ? いい傾向のこね。では次の候補のこ。
ゼーロス陛下の正妃はアシメヒアの姫にして欲しいのこ」
「離宮にポレゴロドの年頃の姫がいるよな。
ヴァーリャ姫を攫ったのはそなたであろうに、アシメヒアから正妃を送り込みたいのか。殆どの外国の女はエムブレポにとって魅力的ではないぞ」
「持参金はたっぷり付けるのこよ? 代わりに木材の伐採を許可してくれたらいいのこ」
「同意に至るのは困難だと思われる条件だ。他には?」
二問目も拒否だ。
許可された伐採で密林を削った上で、ティコスがシュネコーと組んで同時に攻め込んで来るそうだ。
「宗旨変えして欲しいのこね。腐敗の邪神から後援されるのを止めて、イクタス・バーナバには盟主ティコスの従属神になって欲しいのこ」
「そんなもん、ハナから受けるとは思ってねえだろ?」
三問目も拒否だ。戦わずに膝を屈して従属しろなどと論外だ。
「ミラーソード自身の属性転向でもいいのこよ」
「狂える善になれってか? 婆ちゃんに食い殺されて終わりだ」
これまでに提案された条件の中では最も規模の小さい四問目だが、拒否するしかない。受けると俺が祖母に喰われちまう。
「そなたにやる気がねえなら、俺が母を分割交換しちまうぞ」
「アンタラギを相手に力押しが通じると思うのこ?」
「まさか。俺自身ではそなたには歯が立たぬ。
鏡師は非戦主義ではないが、戦って物質や権能を得る必要性が薄い。欲しい物は神鏡に写し取ればよいのだからな」
俺の神鏡の異能は祖母の鏡像を映せるんだぞ。
アンタラギを侮るつもりはないが、四権能の上王が一権能の観察者よりも弱いと思うか? 俺はそうは思わんね。そら、映そうと思えばアンタラギが映った。
「♪分割交換するのこ~」
鏡像のアンタラギが陽気な声で歌い、俺の望みを聞き入れてくれる。
交換の異能は一つのものを分割する事もできる。小さな饅頭であれ、一塊のスライムであれ同じように。ダラルロートが授かった交換の異能は、魂の分割までは力及ばなかったがね。アンタラギの鏡像が行使する交換ならばできた。
コルピティオは大きな黒いスライムと小さな白いスライムに分割され、小さい方は打ち合わせ通りに魔性封じの指輪を使ってダラルロートが手早く封じ込めてくれた。
黒いスライムは身震いを一つして、暫く見ていなかった母の形を取ってくれたよ。重度の疲弊が伺える凄惨な面相ではあっても、アンタラギによる分割交換で残響とやらを除去できたようだ。
「俺の用事は済んだ。おまかせも契約も必要ねえな」
エファとゼナイダは俺に正解の選択肢を教えてくれた。
それが神鏡の異能の使い方だった訳だが、ティリンスで試そうとしても上手く行かなくてな。神威を浴びながら会話したらアンタラギを映せるようにはなったが、再び権能を模倣するには時間が掛かりそうなんだ。
「どうよ、アンタラギ」
アンタケの祖神は沈黙している。気味が悪いったらねえぞ。それとも、まだ証立てが足りねえのか。観察者を相手に戦うなんて、ぞっとしねえんだけどな。
「ミラーの異能は面白いのこね」
暫く待てば、どうやらマーザが返事をした。
「なかなかに規格外のこが、神威を浴びないと使えないのこか?」
「さあて。俺にも解らぬ事が多くてな」
嘘は言っていない。推測が立ってはいても、正しいとは確信していない。
おそらく腐敗の邪神、イクタス・バーナバ、アディケオの三柱であれば、鏡像に何度か権能を振るわせられるだろう。神格を模倣する条件は神威に浴する事なのかもしれない。
「そなたは何か知らないかね」
神鏡に映る鏡像を定命の者に変える。或いは、名を剥奪されていないこの男は物語の中の偶像に過ぎまいか。
「レダよ」
「私に知識を問うのか」
「名を剥奪されていないそなたはノモスケファーラの聖騎士であろう?」
「いかにも。しかし術具には明るくない。壊し方ならば見当は付くがな」
神鏡には金の御髪と澄んだ青い瞳を持つ屈強なるバシレイアンが映っているけれど、こやつは俺の母ではない。レダは実在した故人ではない。物語の中で理想化され、美化された名を喪う前の聖騎士だ。
「じゃあ誰に訊けばいいかね。ダラルロートはどう思うよ」
「答えの出ない問いに思い悩むのは愚者の所業ですよ、ミラー様」
「よし解った。そなたも知らぬのだな」
「仰る通りです」
鏡像のダラルロートは役立たずかもしれんな……。認識欺瞞のない黒髪のミーセオニーズを見ると、どこか頼りない。映しているだけで運が悪くなりそうな気さえして来る。
「ミラーソードはどう思う?」
「知るかよ。つうか、そなたが知らぬ事を俺に訊くない」
「違いない」
眼球のない六眼を持つ俺自身を神鏡に映せば、三人の中で最も役に立たない答えが返って来た。相談役としてはレダが適切なのかもしれんぞ。
「傍目には、ミラーがミラーにしか見えない親しい友人と話しているように見えるのこ」
「やはり、そなたには見えず、聞こえもせぬか」
「そうのこ」
目のないアンタケからの注視は何となく察知できている。アンタケとコラプション スライムは視界に依存しておらんし、呼吸も必須ではない。スライムと茸は案外遠くない親戚かもしれんな?
「父上は暫く夏の宮殿には寄り付かないと思うのこ。
神威吸収説を採るなら、神威を浴びせたら模倣されてしまうのこから」
「もし神威を浴びればいいだけなら、俺は遠からず皇居への出入り禁止を言い渡されそうだな」
「あんまり派手にやると討たれるのこよ、ミラー」
さも親しい友人のような口許を見せて言うマーザに、俺は曖昧に頷いた。
……俺、義父の神威を浴びたいな。全身で、思いっ切り。この陸塊で最強の生物はおそらく絶縁の神獣だろう。狐として虎の威を借るならば、誰よりも強い神蛇の威光を借りるのがよさそうだ。
派手にやると目を付けられそうならば、討たれぬほどに巨大であればいい。そなたもそう思わないか、愛しい妻よ?
夏の都と夏の宮殿は六日七晩に渡って新王ゼーロスの即位に沸いた。
八部族の多くの民が、ゼーロスこそは神王の再来と信じている。熱狂の渦中で俺達が少しばかり暗闘していた事など、定命の者どもは知らずともよい事だ。




