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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
神鏡ミラーソード I
343/502

338. 帝国の使徒事情

 結局、昨日は齧る程度の漆器の研究だけで日付が変わっちまった。

 壊したら俺には完璧には修理できない代物だと言う事はよく解ったし、美しいからもっと欲しいとも思った。祖母が俺に行使を許してくれる変成術は強力だけれど、俺自身が物を知らないといかんのだ。

 俺自身、まだまだ育つ余地がある事には希望を持てている。塗り重ねられた(うるし)のように、一日生きる毎に積み重なる経験がある。現世で生きるってのはいいもんだよ。冥府で寝ているだけではこうは行かない。


「そなたは生きていて楽しいかい、ダラルロート」

「ミラー様。研究で時間をお忘れになっていた言い訳は必要ありませんよ」


 だってさ、もうダラルロートが早朝の報告に来たんだぜ。一日が短くていけねえや。デオマイアが昨日一日どう過ごしていたかをダラルロートから聞き出すのは好きだし、気分が新しい日に切り替わるからいいけどよ。


 昨日、ツァン・ミンの葬式に出る事にしただろ?

 帝国の国葬だと、貴人の階級によって身に着けるべき装飾品やら何やらが細かく決まっているそうだ。俺は気にしねえよ、全部ダラルロートが用意してくれる。リンミの職人が俺の為に仕立ててくれた衣類に袖を通す事さえ未知との接触に思える。今日の俺は機嫌がいいんだ、鼻歌混じりにもなる。


「楽しそうですね」

「何だよ、そなたは楽しくねえのか?」


 シャンディには平坦な声で呆れられた。

 実の所、デオマイアにはシャンディを返せと繰り返し強請(ねだ)られている。ダラルロートと父はシャンディを杖に封じたままにしたいようだが、日に日にシャンディの感情が薄れて行くのは俺も感じているんだ。


「ミラー様、大君が終日ずっと手放さないんですよ。楽しいと思うんですか」

「むしろ何で楽しくねえのよ」


 どうしてそのように文句を言い疲れたような声音なのかね。ダラルロートが二人や三人いるなら常に側に居させるよ。一人しかいねえから離れている時間があるだけだ。俺と娘なら、ダラルロートが常に侍ってくれるなら色々と便利に使うと思うぞ。


「死んだツァン・ミンと違って、そなたの魂は手元にあるんだ。

 今は要求された事を覚えろ。俺が思うに、肉体があった方が覚え易い事しかなくなったなら手放してくれるんじゃねえのかい」

「ホントですかあ?」

「できぬ事は言わないのが俺の母の美徳だ」


 二人いる美しい母はな。父と俺とどうだろう、場合による。

 問題は大君だけどな。俺達が思っているよりも強くシャンディに執着すれば、大人しくは解放しないかもしれん。一度は蘇生を許しても、再度封じる事もできるんだ。


「ミラー様は貴女を救えますがねえ。

 蘇生など諦めて私のものでいては下さいませんか」


 ダラルロートは平然と嘘を言える男だ。その上、女嫌いで知られてもいた。

 夜に甘い言葉と真摯そうな口振りで誘惑した女を、朝に井戸へ放り込むくらいの事はやりかねない。横から眺めている俺だって、こやつに(ほだ)されたら肉片一つ残さず喰われて終わりだと思う。

 シャンディはダラルロートに返事をしなかった。小さな声で信仰神へ救いを求めて祈る声がぼそぼそと聞こえただけだ。


皇帝人鳥(アプタナダイ)ムアドン陛下。翼なくして飛ぶものよ。できたら助けて欲しいんです」

「冬の大神は夏の宮殿で救いを請うに相応しい神格ですかねえ」


 その辺はどうなのであろうな。妻は少しばかり気にしているようだ。

 冬を司る現人神が座す永久凍土バックーは、世界を移動して回る氷の船だ。今の季節は俺達の住む陸塊に接続しておらず、ずっと遠くにいる。シャンディの捧げるか細い祈りは届いてさえいるものかどうか。もしも祈りが届いたなら、常夏のエムブレポにさえ雪を降らせかねないそうだ。


 夏の宮殿が雪と氷で埋まりでもしない限り、ダラルロートの好き勝手が続くであろう。シャンディは自力ではダラルロートの手を逃れる事はできない。誰かが救いの手を差し伸べない限り、ずっと杖のままだ。父は杖になったシャンディを気に入っているし、ダラルロートは手放そうとする様子がない。


 もしも俺が一人目のダラルロートを殺し切れずに主従を逆転されていたなら、シャンディのように扱われていたのかもしれない。

 アガシアに憎しみを抱いていたダラルロートの道具にされて、アガソスを滅ぼすまでの間なら使って貰えただろうか。それとも早々に地獄への捧げ物にされたかな。生まれたてで全ての力を引き出せなかった俺であっても、祖母は望みを聞いてくれるだろう。そういう未来も有り得たのかもしれんぞ。

 少なくとも、敗北した俺は今日の俺よりは不幸せだと確信できる。覚醒する日を待ち侘びながら、気紛れな邪神に魂を舐め取られ続ける夢の中にはまだ戻りたくない。代わってくれと訴える俺の声が聞こえる。


 ……もしかしたら母の声か? 俺達の声は同質だからな。

 父の手で苗床にされた母、自身を司直だと自覚していた母、俺達が欺瞞によって作り上げた母、カーリタースとコルピティオに分かれた母。こうして数えると俺の母は五人いる。どの母に代わってくれと懇願されても驚かない。


「ミラー様」

「衣装の寸法は良さそうだ。大君御用達の針子は仕事が丁寧でいい」


 ダラルロートの声が俺を今日に引き戻してくれる。地獄の深海でただ洗われていた頃の事なんて忘れよう。いつかは還るにしても、今日や明日ではない。ダラルロートが俺を着せ替える手に任せ、第六使徒の国葬に出る用意をした。


 他国ではどうだか知らねえが、ミーセオ帝国の下級使徒に関してはそれなりに入れ替わりがあるそうだ。

 天寿を全うして冥府へ旅立つ下級使徒は稀だ。昨日付で訃報が届いたツァン・ミンのように、何かしらの理由で蘇生できない状況で落命した者は少なくない。権力闘争に敗れ、使徒の座から蹴り落とされてしまった政治力の足りない者の方が死者よりは多いか。使徒に任じられた身でありながら、ミーセオ帝国を出奔してしまった者さえもいる。


「出奔は解らんなあ。アディケオに任じられていながらアディケオに背いたなら、報復なり罰があるのだろう?」

「上級使徒であればミラー様の仰る通りです。

 下級使徒はアディケオ自身ではなく、ミーセオ皇帝が指名します。

 候補は恩寵篤き者らと、予備の使徒として闘士名鑑に名を連ねる者達ですな」

「皇帝が決めるのか。なら神罰は落ちないのかね」


 闘士名鑑は御前試合で優勝した武芸や魔術に秀でた者の名簿だそうだ。

 どんな武芸を披露したのか、得意な術は何かと言った、試合で晒した手の内が克明に記述されているそうでな。40年かそこら遡ったらダラルロートの記録もある訳だろ。面白そうだから読んでみたいと思ったんだ。




 昼を過ぎた頃合に長距離転移で外出した。俺は事前に面会の約束をした訳じゃなかったから、大僧正ドゥナイ・ジィエンは不在だった。とは言え六眼と白い鱗は俺をエムブレポの貴族階級だと知らしめるし、黒舌(ヘイシェア)教に大口の寄進をした事で名の通りもいい。

 訪ねた皇都の寺にはミーセオ帝国に古くから伝わる書物を集めた房があって、バシレイアンに擬態している俺に見劣りしない上背の僧が案内してくれた。目的を告げれば、房に詰める細っこい僧が『帝国闘士名鑑』と題された古びた装丁の書物を運んで来る。


 書物を傷付けないよう、出力を抑えた理力術で頁を繰る。こうしないと、俺に宿る腐敗の恩寵は悪さをする時がある。脆くて腐りそうなものに触れると腐り落ちかねんのだ。やっちまってもドゥナイ・ジィエンに詫びを入れれば済むっちゃ済むだろうが、俺は本を読みに来たのであって腐らせたい訳ではない。


 目次に書いてある名前だけで探すと『ダラルロート』と『チィエン・フー』のどちらも見つからなかった。幻魔なり幻魔闘士を探してみたら、39年前の記録に該当する闘士を見つけたぞ。


 氏名非公開の推定ミーセオニーズ、推定年齢20そこそこと随分と曖昧に書かれている。他の闘士ならば家族構成やら血統についてもっと詳しく書かれている。


 序盤から中盤の対戦は、心術を振るって対戦相手を魅了すると言うすげえ地味な勝ち方をしている。心術ではない可能性を疑う記述もある。若かった頃のダラルロートなら、愛の異能だったのかもな。

 だが並居る術師を相手に一方的に意志の強さを示した謎の強豪、みたいな書き方をされてはいるが地味だ。武芸を競った闘士とは比べ物にならないほど文章が少ない。


 準決勝は精神耐性のある相手だったらしく、幻術を主体にして戦っている。常に四体から五体の分身を繰り出して対戦相手を翻弄した、と言う記述は大人しいもんだと思う。俺が知っているダラルロートは四十体を超える分身を繰り出すぞ。


 決勝はダラルロートが言っていた通り、高位の変成術師が相手だったようだ。先手を取られ、魔素乱脈で魔術の発動を困難にされたダラルロートが術師と人形(ゴーレム)を斬り殺して勝っている。そら見ろ、わざわざ読書をしに来た甲斐があったぜ!

 ダラルロートめ、人形(ゴーレム)がいたなんて言ってなかったじゃないか。躊躇いなく小剣の二刀流を披露した様子が事細かに描かれていて、記録者は武芸には詳しいのかねと感心させられた。


 思いの外に楽しかったから、俺は知らぬ間にくふくふと息を漏らして笑っていたらしい。蜂の羽音がする事に気付いたのは声を掛けられた後だった。


「予想以上に声を掛け辛いなあ」

「よう、元帥殿」


 他国の第三使徒が帝国の寺に来る用事なんてあるのか、トレイス? ねえよな。目当ては俺だろう。占術で居場所を占うのはマーザやダラルロートの専売特許じゃあるまい。トレイス自身は口にしないが、俺の邪視を自力で防ぐ認識欺瞞を扱える程度には占術に通じているんだ。俺には縞模様の腹の中身が視えない。もちろん護符の類も持ってはいような。


「書房で騒ぐものではあるまい。場所を借りてよいか?」


 俺は僧に書物を返し、礼として束ねたミーセオ貨幣を添えて言った。なあに、カネの価値を理解していないミーセオニーズは閑職であっても役付きの位を得る事はない。彼は居心地のよい東屋を整えて提供してくれたよ。

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