33. アディケオの宦官
「お嫌ですか、神に愛人として仕えるのは」
「少なくとも俺の趣味ではない」
ダラルロートが俺に伸ばして来る手を払う。触るな、と睨めば『そこを触るな』と勝手に解釈を歪曲して他所へと手を伸ばす。完全に鏡の同類だ、この油断ならぬ黒髪の男は。
「意外と言えば意外ですな。
抵抗感の有無はアディケオ直々に確認を求められておりましたのでねえ。
そうですか、ミラー様はお嫌ですか。アディケオの宦官としては心楽しい事ですな。
アガシアと言い、我が神はどうにも組み伏せ難きものばかりお望みになる」
力ある者を屈服させるから意味があるのだ、とは俺とて思うがな。
「アガシアの拒絶はかれこれ創世の時代より続いておりますからねえ。
アディケオとても今更、アガシアが屈するとは考えておりませんでしょう」
「俺はアディケオにアガシアの契印をくれてやった方がいい、と言う話をしたいのか?」
「そのように解釈されても結構ですよ、ミラー様。
アディケオはアガシアの契印を得れば最終的には権能を我が物とするでしょう。何年掛かるかは存じませんが、信奉する神が何年閨に篭られようと権能が失せる訳ではなし。使徒としては全く問題ございません」
俺には問題しかないように聞こえるのだがな。とんだ使徒もいたものだ。ダラルロートに裏切られず使いこなせていると言うのなら、アディケオには多少の敬意を感じる。
「ノモスケファーラなりノモスならばよろしいので?」
「会った事もない雌が俺の好みに合うかどうかなど知らぬ」
不愉快な質問には相応の態度で答える。そうだ、俺が会った事はない。そんな名前の規律神と神君には。
「素直におなりになればよろしいものを……
アガシアとの合一を果たした後のアディケオであれ、ノモスケファーラであれ。
いずれの神に臣従するにせよミラー様は愛人として求められますよ」
ダラルロートの黒い瞳が細められる。嘲うように。
「どうあっても俺を神の虜にしたいのか、ダラルロート?」
「我が主がお嫌でないのならば楽な道です。
神々は愛人として囲う代わり、喜んで我が主の恐れるものを遠ざけましょう。
力を失ったミラー様であれば神は関心の対象外。私が長く大切に持成しますよ。この御髪の美しさだけは留めて下さると嬉しいですねえ」
俺が狂神に与えられた力を失えばダラルロートに主従関係を逆転される。この宦官を自称する男には碌な事をされる気がしない。
アガシアの契印を使ってアガシアに戦いを挑み俺自身が愛と美の権能を引き継いだ小神となれば、アディケオに臣従を求められ拒否すれば争いになる。
アガシアの契印をアディケオに渡せばアディケオがアガシアの権能を引き継ぐ事になる。何年かは時間があるだろうが、アガシアの権能を得て強大化したアディケオは俺に臣従を強いるだろう。
強大なる規律神が手を伸ばして来るにはこの地方は遠い。バシレイア神国とは東西南北のどこも接していない。今は、まだ。
「陰気な選択肢ばかりではないか?」
「十年先、五十年先、百年先を考えてこその太守ですからねえ」
息が漏れる。俺の拒絶を掻い潜ったダラルロートの手が頬を撫ぜた。執念が深過ぎる。
「俺を鑑定したな」
「ええ」
質問ではない。単なる確認だ。
ダラルロートならば間違いなくできる。俺の占術防御の護符による欺瞞を超えて真実を全て明らかにするなど、執務机へ山積みにしてやった仕事の片手間で充分であろう。
「アガシアを倒した上でアディケオに身を委ねるのが一番のお勧めですがねえ」
「俺は次に誰に売り飛ばされるのかと怯える身分は好かぬ」
ダラルロートの笑みが深まる。
無性に腹が立った俺は念動力の竜爪を向ける。確実に当てたはずの竜爪は何も掴めず、椅子の右にいたはずのダラルロートが左に立っている。同時に、半ば脱がされかけていた上着を認識する。どうもダラルロートからの認識阻害の術中に嵌っていたらしい。
「……貴様を苗床にして次の世代を産んでやろうか。
母共々、地獄から高みの見物と洒落込んでやるのは俺として生きて苦しむよりかは楽しいかも知れんぞ」
俺は腹の底から湧き上がった怒りと、より深い所から這い出して来た根源的な衝動に身を震わせた。今なら腐敗に触れて種子を取って来る事もできるだろう。この衝動はそう言う種類の感情だ。俺の血統の欲情だと知っている。




