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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
自称暗黒騎士ミラーソード
32/502

32. 寵児

『いずこかの狂神の恩寵を賜った者として大事にされておりましたよ』


 異国の様式の椅子に身を預け、軽く重心を動かす。ゆるりと椅子が揺れる。その日、俺は太守の館の一角で司教との面談を思い返していた。

 狂神に恩寵を授けられる者は、対抗属性である正属性の神々が強いこの地域にはあまり発生しないと言う。珍しさもあっていずこかの神の寵児として保護され、その才能を生かそうとされる。

 狂属性の神々の勢力圏において、俺のような厄介な弱点を持つ者は多いそうだ。恐怖症は恩典と共に後天的に吹き込まれる事が多いと言う。先天性のものは三本しかない指、片腕しかない腕などと欠損の形を取る事もあると言う。或いは逆に、五本指の種族の指が六本になったり、顔に目は二つの種族のはずが六つ並ぶなどと魔性じみた姿で生まれて来るのだと言う。異様な姿を持つ者は狂神の祝福を注がれた者と看做され、神自らに選ばれて使徒に任じられ、或いは人民に英雄、勇者などと呼ばれるようになる。伝承と伝聞の混合ではあっても司教はよく調べて報告したと思う。


『治療してしまっては、折角の狂神に吹き込まれた恩寵もまた霧散致しますからの』


 ゆらりと揺らされながら、司教の言葉が思い出される。

 治療。俺の自力では不可能だった。だが、可能だったとして……後に残る俺はどの程度だろう。俺の思考は暗く湿った、水を引き込んだ地下洞窟へと迷い込む。毒物と引き換えで行商人に連れて来させた遠い親戚達の家。知恵も力も弱く、意思に至っては萌芽さえもないスライム達。狂神の恩寵なくば俺はあの小さく、蛮族の手で籠に閉じ込めて運ばれて来た程度の存在に転落するのではないだろうか。


 司教との面談の後、俺は持てる限りの術を尽くして占術を行った。ダラルロートを執務室から引っ張り出して「貴様の得手なのは解っている」とどやしつけて占術の補助陣法を描かせ、俺の手で術を行使した。鏡だのダラルロートに占わせたら間違いなく奴らに都合のいい事しか言わぬと俺は確信している。


『神の手による治療であればミラーソード様の恐れを拭う事はできるかもしれませぬ』


 司教はそうも言った。鏡はかつて俺に言った、使徒と神を警戒しろと。

 かつて、俺は力押しでは負けると言う意味で鏡が言ったのだと理解していた。俺は今、解釈を変更して受け止めている。俺の狂気、超重篤な恐怖症を癒されたなら俺は力を失うと。


 それも……おそらくは力の過半を失う事になる。

 蛮族には都合のいい事を考える者がいる。曰く、治療してしまっても幾らかの狂神の恩寵の名残が残るのではないか? などと。そう言った愚考から才能と恐怖症を併せ持つ者を治療してしまった者について語る寓話が『金の卵を産む鶏』だと言う。ある農夫は金の卵を一日に一つ産む雌鶏を手に入れたが、一日に一個よりも多く欲しいと欲張って雌鶏を殺してしまった。後に残ったのはただの絞められた鶏のみ……と言う内容だ。

 今の俺は寓話の金の卵を産む雌鶏そのものだ。もしも狂気を癒されれば後には絞められた鶏、調理を待つばかりの鶏肉しか残るまい。俺の強大な変成術は間違いなく損なわれ、他の能力もさて、どれほど残るものか……。


 緩く手を挙げる。差し伸べた先に意識を向け、太守の館の周辺にある魔素を手繰り寄せる。血と術を振るい、創り出せる限りで最大の大きさの宝玉を創造する。1つ、2つ、3つ、4つ……


「ミラーソード様、できれば魔素の吸収を控えて頂きたく存じます」


 苦言と共に太守が姿を見せた時には放り出した宝玉がそこら中に散乱していた。差し込む明るい陽光を受けた宝玉が光を照り返し、様々な光彩が室内に満ちている。


「この有様は一体どうされたのです?」

「手慰みだ。欲しいか? ダラルロート」

「鏡殿がおられぬようですが」


 ああ、鏡か。

 鏡は今日は家に置いて来た。あれは時としてやかまし過ぎる。あれの声を聞きたい気分ではなかった。


「そう言う日もある」

「珍しい事ですねえ……ミラー様がそのように無防備でいらっしゃるのは」


 ダラルロートが揺れる椅子で遊ぶ俺に近付いて来る。宝玉など眼中にない様子で俺の間近に立った。平素よりも近い。


「アガシアもしくはアガシアの力で俺の弱みを癒せる可能性はあると思うか」

「人よりは長けておりましょうねえ。小なりとは言え神ですので」


 年齢を感じさせない長い指が伸びて来る。俺の髪に。


「ミラー様は根治をお望みですか? 司教殿は害を説諭されたはずですが。

 私を従属させている御力は間違いなく、我が主が奉じられている邪神由来の狂気に加勢されておりますよ。

 ミラー様が恩寵を失ったなら、喜んで私が支配し返して差し上げますが……」


 掬い取られた髪の房は銀一色だった。父たる邪神の祝福を示す色。何が楽しいのかダラルロートが俺の髪を撫で触る。


「アガシアの力のみでは私を臣従させるには全くの不足ですからねえ」

「単純にダラルロートが規格外なのだと思うぞ、俺は」


 使徒の掛け持ちなどできるのは世界に何人もおらぬと俺は思う。いて堪るか。俺の母でもやらなかった事だ。


「私に金の卵を産む雌鶏を殺す趣味はございませんよ、ミラー様」

「そなたはその手の愚かさとは無縁だ。だが俺を籠に閉じ込める力もあるまい」

「ええ。アディケオの権能を借りて我が身をどれほど大きく見せようとも届かぬ力をミラー様はお持ちだ。強大なる狂神の祝福によって」


 我が身を自己鑑定すれば『祝福された』と言う一節が見える。

 狂った邪神に祝福された、と言う意味の一節が……。


「アディケオは俺に何を望んでいる?」

「アディケオの第三使徒としてお答えしましょう。

 あくまでも相互に利のある同盟ですよ。

 ミラー様がアガシアの契印を奪って昇神するもよし、アディケオ自身が恋焦がれる半身と合一してもよし」


 何やら俺の趣味ではない単語が聞こえた気がする。

 ダラルロートの手が別の房を取る。金の髪を。


「俺は神に愛人として身を差し出したいとは思えないのだがな」

「ノモスケファーラの第一使徒ともあろう方のお言葉とは思えませんねえ」


 金の髪は苗床になった者から受け継いだ。


「母と俺は別の個体だ」

「絵姿とは実によく似ておられますよ」


 頬を撫でようとした手こそ払いのけたが、ダラルロートが俺を見る眼は明らかに面白がっていた。

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