3. 黒竜素材と日常
家に持ち帰った黒竜の骸は素晴らしい素材だった。食材としても、武具の素材としても。
常々「重く、防御力のある堅牢な鎧が欲しい」と鏡には言っていたのだが「いい素材がない」と渋られていた。俺が倒した黒竜はまだ若くそれほど良い素材ではないと渋られたが、いざ鎧作りを始めてみれば鏡は適切な助言をくれた。
「素材は無駄遣い厳禁だよミラー。あと、削り粕を沢山食べるのは止めようね」
「粕を? 何故だ?」
「竜に祟られる」
「相解った、そうする」
よく解らないが、俺は直ちに頷き会話を打ち切った。俺はそんな恐ろしげな話を聞きたくなかったし、追及する気もなかった。削り粕は全て取り纏めて鏡に処断を任せた。
「なあ鏡よ、竜の骨でスープを取るのは良いのか?」
「煮た後に残った骨はちゃんと塚に入れるから大丈夫だよ、ミラー」
「……左様か」
俺は深くは問わない事にした。鏡の言う事は全てが真実ではないとしても、俺を騙す意味はないはずだ。思考を打ち切り、澄んだスープを取る為に竜の骨を磨き洗う作業を無心に楽しんだ。いざ食卓に竜の肉が上れば、俺は感動を隠せなかった。
「竜の肉は驚くほど美味いのだな」
「そうだろう、そうだろう。特に黒竜は君好みだろう。
燻製も作るからミラーには後で食べさせてあげる」
「楽しみにしている」
「そう? 鏡も腕を振るうよ」
竜料理の味を褒め過ぎた結果、献立に悩んだ鏡がうんうんと唸りながら家の中を飛び回り鬱陶しく思う日もあったがな。それでも、黒竜は見返りの多い獲物だったとも。
鏡は木を薄く削って作った木札に墨でレシピを書き留めている。どうやら配合比率の調整具合を書き記しているようで、読んでみると俺の反応がいちいち細かく書き留められていた。たまには俺が鏡の邪魔をしてやろうと思い、作業に勤しむ鏡に話し掛けてみた。
「ふーむ、幼竜より成竜の方が燻製向きなのかな……? チップはもう少し香りが強くても良かったかしら」
「また随分と凝っているが、鏡は他の竜を燻製にした事があるのか?」
「ううん、鏡は知識として知っているだけ」
「そうか、どの竜が美味いのかは興味があったのだがな」
時折、鏡の声には偽りが混じる。知識だけではあるまいに。
俺には何となく解る時があるのだが、鏡は気にせず喋り続ける。
「狩ればいいのさ、君自身の為にもね。ミラー、竜鱗の鎧の具合はどう?」
「悪くはない。俺は板金鎧が欲しいがな」
「だーめ、軽い鎧にしておこうね。山歩きするのに板金鎧は最善の装備ではないよミラー」
「そういうものか」
一つ偽ればまた一つ偽りを重ねて来る。鏡はどうあっても俺に魔術師として振舞わせたいらしい。鏡が軽装に拘る理由が俺には解りかねるが、俺が騎士らしさに固執すると何のかんのと言い募って来る事は確かだ。今は当座の繋ぎとして、軽過ぎはしない竜鱗の鎧を身に着けて出掛けている。
「ミラー、これが何か解るかい」
大型の獲物であろうとも食糧は無限ではない。食べればなくなるのが道理だ。黒竜を味わえるのも終わりだろうか、他の黒竜を狩り立ててやるべきだろうかと悩ましく思っていた俺に、鏡はくすくすと笑いながら封のされた壺を一つ差し出した。
「封を開けずに中身を当てられたら今晩のおかずに加えてあげる」
言われて壺の匂いを嗅いでみれば、甘く脳を痺れさせる素晴らしい香気が漏れていた。黒竜の何かだ、とまでは解ったのだが部位の特定にまでは至らない。だがな、俺は骨の髄に至るまで竜を味わったのだ。肉や髄ならばそうと解る自信がある。
「黒竜の臓物だな?」
「部分正解。もう少し特定してみようね、ミラー」
「味合わせてくれたら特定できるのではないか?」
「味見したいくらいには好みの匂いなんだね。よしよし、今晩少しだけ出してあげる」
そんな遣り取りを経て供された黒竜の肝臓と毒袋の調味液漬けは、俺にとって正しく甘露だった。もっと欲しくて堪らない味がした。感動の余りに声も出ず、ふらりと食卓を立ったほどだ。
「保存食だよミラー。お代わりは出してあげない」
「だが鏡よ、この皿ははあまりに……旨過ぎる」
「ええ!? 鏡が作った料理に今まではそんな顔しなかったよね、ミラー!」
「鏡の最高傑作だ。素晴らしい」
「そんな!? ミラーが鏡を真正面から直球で褒めてくれるなんて……!」
俺は鏡を掻き口説いて黒竜の臓物漬けをせしめようと試みたが、かなり難度の高い魔術の課題を出されてしまってな。吹っ掛けられた難題の達成には随分と苦労させられた。腹の底で眠る俺の欲が酷く満たされる芳醇な味わいは代替が効かない。黒竜の臓物漬けこそは俺の大好物だ。