285. アステールの警鐘
妻を除けば身内で召喚術が一番得意なのはデオマイアだが、軍団移送なんて兵どもの目に触れる仕事に娘を駆り出すなんざお断りもいい所だ。妻に頼んで夏の都から陽銀と陰銀の精霊導師を何人か手伝いに呼び寄せる算段をして貰いながら、俺は皇居の一隅へ向かっていた。
会議に先んじて、アステールがサイ大師に呼び出されて聴取されていたそうでさ。連れて帰っていいと言うから迎えに来たんだ。
「ようアステール、大使館に帰るぞ」
「ミラーソードか。召喚を断ったと聞かされた時は何事かと思ったぞ」
「祭事の最中だったんだよ」
アステールに今日何度目かの同じ説明をし、客間と思しき調度の室内にいる者どもを眺める。どこの政庁の連中かな。
「事情はもう知らされてるんだな?」
「東部の反乱について儂の意見を訊きたいと言われての」
「アステールを疑ったって何も出ては来んだろうに」
「そうでもなかろう」
呪われた仮面の下から俺を見る目に乾いた苦痛めいたものを感じた。どうしたよ、御老公。
「……どうした? 何か不味い事でもあったか」
「プロバトンの軍事的技術の前進は明白だ。アガソスがプロバトンの侵略を防いでいた当時の軍事評価は捨てるか、全面的に改めるべきだ」
「その辺の話はその者どもにしてくれたか?」
「訊かれた事には答えている」
「ならいい」
アステールの事だから訊かれなかった事は答えなかったり、伏せていそうだな。訊き出せなかった者の能力が足りないと断じてしまえば楽なんだが、俺も聞き出し切れなかった事が何度かあるからなあ。
皇居にいる間は当たり障りのない話に終始し、エムブレポ様式で精霊大工が生きた樹木を拠り合わせて建てた大使館に帰ってから防音と占術妨害の結界を張り巡らせた。更に妻の力で小さな聖域を展開し、アステールと内緒話が可能な状態にしたらようやく本題を話し始めた。
「帝国は反乱の鎮圧に第四軍を差し向けると聞いたが、負けるぞ」
「そんなにやべえのかよ、プロバトンの軍事力」
「躍進している」
仮面の下には老公爵の苦り切った表情が伺える。しょうがねえな、茶は俺が淹れるか。夏の盛りには冷やした茶の方が良かろうと思い、涼やかな硝子細工の杯を創造して冷茶を注いでやる。
「かつてプロバトンの雷導砲は連射できる代物ではなかった。
発射を許せば単発の威力は練達の元素術師が行使する上級術に匹敵したが、魔術師が数人掛かりで魔力を注入して運用していたからの。初撃さえ凌げば兵でも対処のしようはあった」
雷導砲は運用方法の都合から、城砦に設置して防衛兵器として使うものだったそうだしな。ところがプロバトンは今回、東部の反乱を支援する際にミーセオ帝国の占領軍に対して複数回の砲撃を行っている。
「発射間隔の短さ、運用に関わっている術師らしき者の少なさ、何よりも砲の多さは兵器として別物と考えねばならんぞ」
「だが、大砲の数だけでアステールがそうまで言うかね。腕の立つ魔術師が増えた程度のものだろうに」
「魔銃の数が揃い過ぎている。かつて魔銃はヴィオテアで大牛を狩る最精鋭の傭兵団にしか貸与されなかった武器だ」
アステール曰く、プロバトンの魔銃そのものは古くから存在していた術具だそうだ。
プロバトン様式の魔力固化体から発射毎に必要な魔力を消費し、板金鎧の鉄板ならば撃ち抜く理力弾を発射する仕組みだそうだ。魔力固化体の作成には術師が関わるが、魔銃を扱うのは魔術の素養がない者でも良いと聞かされれば興味が湧いた。
「プロバトンには魔銃なんて良さげなものがあったのに、アガソスはどうやって防衛してたんだよ」
「かつては魔銃の数が少なかった。術師であれば理力術で対処もできた。
以前は魔銃もしくは魔力固化体の製造が容易でないのだろうと考えておった。じゃが、プロバトンが撒いた映像が虚構でないのなら兵卒に行き渡っておるぞ」
……そりゃすげえかもな。数打ちの鉄製武具で武装した帝国兵に、プロバトン側は雷導砲を浴びせた上で理力弾を放つ魔銃を撃ち込んで来るのか。かつて母にプロバトンの奴隷兵団よりも弱いと評されたミーセオ帝国軍だ、負ける気しかしねえぞ。
「雷導砲と魔銃だけなら軍が負けるだけなんだが、土地の接収についてはどう思った? 召喚術で引き剥がしてるよな」
「不可解じゃな。指定範囲の土地をプロバトン領内へ転送したものと思えるが……。プロバトンが民を連れ去り奴隷とする事はあったが、土地を奪われた経験は儂にはない」
スタウロス公爵として統治していた間、プロバトンに土地を盗まれた事はなかったそうだ。
「なんで土地を奪ったんだと思う?」
「プロバトンの未開墾の土地に移植する為に奪ったとは考え難いのだがの……。
転移は運びたい物が重ければ重いほど、必要とする魔力が多くなる。畑や果樹園を奪う為に範囲指定した長距離転移を用いると言うのは非効率に過ぎるように思う」
「そうさな」
俺には転移で土地を盗むと言う発想そのものがなかった。殖やしたい作物があるなら妻に夏の権能を振るって貰ってもいいし、祖母に授かった増殖の異能を振るってもいい。土地を盗む必要性がねえんだよ、どんなものでもすぐ育つ。
「敵国に収穫させたくないのなら畑など焼けば済む話だからの」
「魔力消費の効率がよっぽどいい転移の理論でも開発したのかね。それとも土地毎欲しい事情があるのか。あんまり遠いと、持って行った先で天候が合わなくて枯れたりしそうだがなあ」
アステールが不可解だと言った通り、土地が奪われた件は疑問点が多い。なんだろうな、と暫く考えて思い付きを口にした。
「ああ、プロバトンじゃなくて隣のヴィオテアへ持って行ったのなら天候が大幅に違うって事はねえか」
旧スタウロス公爵領とプロバトンの緩衝地帯、牛達の楽土と呼ばれるヴィオテア地方は大きな牛めいた魔性が縄張りにしている。土着神が版図として主張している領域ではない。
「信仰してくれる民を住まわせないと土着神の版図にできないからな」
「……卿はシュネコーによるヴィオテアの版図化が目的だと言うのか?」
「なんかすげえ砲と魔銃が随分あるんだろ。大牛の駆除が多少厄介でも、できなくはねえのと違うか」
アガソスとプロバトンの両国が版図化を見送り、緩衝地帯として大型の魔性が主導権を握るに任せていたヴィオテア地方。プロバトン側が開拓の目処を付けたんじゃねえの、とは仮説として考えてもいいと思う。
ミーセオ帝国はと言えば、アガソス滅亡から一年経とうかと言うのにまだアディケオの神力が隅々にまでは及んでいない。妻の産み出した密林を好んで食す夏喰らいはエムブレポとミーセオの国境線を明示しているが、仕事に区切りを付けられる様子がねえんだよ。パラクレートス線を止めて妻がちょっと押したら、簡単にティリンス地方の三分の二くらい密林に沈むんじゃないのか?
「ま、土着神が隣国と争う理由なんざ版図の拡大以外にねえよ」
「……そうじゃな」
中立にして悪のシュネコーなら、正しき悪のアディケオに臣従しても劣悪な待遇にはならんと思うんだけどな。ミーセオ帝国を相手に争う気があるにも関わらず、カルポスでは碌に抵抗しなかった事は気味悪く思っている。シュネコーが手招きしてプロバトン本土へと誘い込もうとしているようで気に入らない。
妻はプロバトンの様子が気になるようで、カルポス周辺を足掛かりにして慎重に斥候を送っている。術理に疎い斥候だと砲の改善に気付くまいし、魔銃を持たされた兵を相手に難儀するかもしれねえなあ。
「いいんじゃねえの。俺は今回、指名されなかった。第六使徒のお手並み拝見と行こう。反乱を起こしたアガソニアンを相手にするなら、流水扇のツァン・ミンの方が適切だと判断したんだろ」
「……あれは流言に長けた扇動の専門家じゃからの」
暴力でも流言でもいいさ。世に腐敗と堕落が蔓延れば、力ある強者が命を食い易い世の中になる。俺は決めかねていた菓子を決め、小皿と匙諸共に創造してやった。
「ほい、餡蜜も食うといい。かつての臣民を案じるなら休暇を取ってもよいぞ」
スタウロス公アステールではなく、仮面の老騎士で通して貰うけどな。餡蜜を食う素振りくらいしろ、と六眼で促せば老いた手が匙を手に取る。
「そなたはアディケオに視られていようし。気になるなら現地に行けばいい」
下手に抑圧するよりはいいと思うんだよ。プロバトンの軍事技術が少しばかり進んだ所で、兵隊同士の戦いにおける優位でしかあるまい。第一使徒だった者を前線に放り込める俺からすれば大した脅威とは思えない。
「よいのか」
「もし帝国の見積もりが甘過ぎるようなら報告に来い。イルストラの命を食えるなら喜んで戦ってやる。……そのくらいか」
アステールが抜ける分、大使館に置く陽銀を一人か二人追加しないとな。エピティリシアの身辺にはきちんと護衛を置いてやらねばならん。拵えた餡蜜の出来にそれなりに満足しつつ、俺は大使館での間食を終えた。




