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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
夏の都のミラーソード II
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284. 強奪

 遅参と言うのは褒められた行いではない。正しき悪の帝国において、官吏の遅刻は出世に悪影響をもたらす。物理的に首が飛ぶ事さえあるそうだ。

 ましてアディケオの使徒としては位を賜って一年そこそこの新参者。男のように振舞いながら宦官にならず、寝所に上がる事のない俺だ。


「第三使徒ミラーソード、遅参仕った」


 我ながらぺらっぺらの誠意で挨拶を投げ、座布団に胡坐をかいて着座した。隣に席のある髪を染めて老いを隠したミーセオニーズの老人―――第七使徒ホン・ダオが親切顔で周囲にも聞こえるような声量で囁いた。


「ミラーソード様の御席はあちらですぞ」

「遅参の身であっちに行くのもなあ。いいよ、こっちで」


 俺が着座したのは末席、本来なら第八使徒の席だなんて事は知っているよ。緊急に召集されたのであろう皇居内の会議場には、皇帝から何から重職にある者が悉く顔を見せている。空席なのは第三使徒と第八使徒の座席くらいだった。

 ダラルロートが吹き込んでくれた知識曰く、俺はホン・ダオには好かれちゃいねえはずだ。北部戦線の司令官だった第七使徒ホン・ダオには助力せず、引き継いだ第五使徒ドゥナイ・ジィエンには手を貸して停戦まで持って行ったせいだ。俺はサイ大師の言う通りに働いただけなんだがね。


 事前に予定のなかった召集としては、異例の集合振りなんじゃねえのかな。

 ミーセオ帝国の中枢を占めているのはミーセオニーズだが、大人よりも背の高い化け蛙も数匹混ざっている。もしかしたらミーセオニーズに擬態した化け蛙もいるのかもしれんが、授けられた不正の恩寵が俺よりも強い手合いの擬態は容易には見破れない。妻はアディケオとスカンダロンに護られた皇居を嫌って俺を盾にして隠れているから、今は眼も借り辛い。



 スダ・ロンの口から東部で反乱があったとは聞いていたが、御前会議の参加者に知らされた内容はもう少し踏み込んでいたようだ。俺は早回しの過去探査で概要を手早く把握した。

 プロバトンの魔銃を持つアガソニアン主体の抵抗勢力、自称はアガソニアン抵抗軍。プロバトン様式の雷を吐き出す大砲によって鮮やかなまでに蹴散らされたミーセオ帝国の占領軍本部。生死不明の東部総督。シュネコーの第一使徒イルストラによるアガソニアン抵抗軍への支援声明。


 シュネコーの第一使徒自らの声明だと言う映像には興味を惹かれた。イルストラは光を吸い込んでいるかのような黒々とした眼帯で両目を覆い、今ひとつ素材の知れぬ装束に身を包んだ気の強そうな女だ。


『我らが賢君シュネコーは蒙昧にして強欲、不遜なるアディケオに代わり、哀れな子羊たるアガシアの子らをお救いになる』


 イルストラはミーセオ帝国による高い税率を過酷な搾取だと糾弾し、封印都市エデュカティオン内に設けるアガソニアン自治区において保護すると主張した。声明を聞いた限りでは土地を制圧するのではなく住人を拉致するのか、奴隷商人らしいこったと理解していたんだがね。


 実際には、土地と住民をごっそり強奪されたんだ。

 サイ大師が直々に操る占水盤に映された光景は、大穴を開けた集落の跡だった。農民の住まいも、青々とした田畑も、実り豊かな果樹園も、土壌諸共に何処かへと転移させられたんだ。集落の跡地に残されているのは神々を祀った質素な堂であったり、ぽつんと切り残された井戸ばかりだ。意図的に切り捨て、持って行かなかったのだろう。地上部分だけ奪っても仕方がないし、井戸を介してスカンダロンに干渉されかねんものな。


『我らプロバトン軍は、救済を求める人民と土地の接収をシュネコーの名において敢行する。

 偉大なる箱舟エデュカティオンへ導かれし全ての羊達は、シュネコーに仕えるに相応しい存在となるよう然るべく啓蒙されるであろう』


 訳すと土地諸共に掻っ攫って奴隷にするぞ、と言っている。召集された者共はプロバトンの首都エデュカティオンへの移送を推察させる声明の解釈に悩み、或いは討議していたようだ。

 イクタス・バーナバやスカンダロンとは異なり、シュネコーは召喚術に長けた神格ではない。教導の権能は電撃を扱う元素術に恩恵を与え、価値の権能は祝福された者に学問への道を開く。……はずなのだが、もしかすると新たな権能を獲得したのかもしれぬと思わせる業だ。

 第一使徒イルストラの声明を含め、プロバトンの宣撫映像を記録した映像球が東部一帯にばら撒かれたそうだ。東部に住むアガソニアンは旧スタウロス公爵領時代からプロバトンの奴隷商人を忌避していたはずだが、ミーセオの徴税官や占領軍を快く思ってはいなかっただろう。ミーセオへの嫌悪の情が上回ったら、民は耳障りのいいプロバトンに恭順するかもなあ。



 どうすんだこれ、と思っていたら皇帝の間近にいるサイ大師が俺を見た。端にある第八使徒の席からでは遠いが、注視は認識できた。同時に、頭を掴むような感触と共に異能を抑制された。いつもより抑え方に遠慮がねえつうか、雑じゃねえ!? 愛してくれよ! もしかしなくても遅参にお怒りだろうか、俺の上司。嫌でも眼力を感じさせられる。俺も六眼で返事をした。


 ―――盗まれそうな土地と民に疫病でも仕込むかい? シュネコーの第一使徒は食っていいのかな。


 潜伏期間が長めで致死性の高い奴でプロバトンの民諸共に殺っちまおうぜ、生贄にしようと笑顔を向けた俺をサイ大師は是としなかった。


 ミーセオ帝国の会議はそう長くはない。議題と結論は召集された時点でほぼ明らかだからだ。統治の恩寵を厚く授けられた英明なるミーセオ皇帝は下々の意向を参考にする事はあれど、揺らぎはしないと言う建前になっている。実際には重要な事はサイ大師が殆ど決めちまっている。


 ミーセオ皇帝が東部総督府の奪回と逆賊の討伐を命じたのは、第四軍を率いる将軍クー・フゥイと第六使徒ツァン・ミンに対してだった。プロバトンに惑わされ抵抗軍などと名乗る逆賊の手から臣民を解放し、東部をミーセオ帝国の庇護下に取り戻せとさ。

 アディケオを奉じる使徒の中で女性は第二使徒スコトス、第四使徒ジャオ・ハン、第六使徒ツァン・ミンの二匹と一人だ。容易に女と認識できる外見をしているのはミーセオニーズのツァン・ミンしかいない。皇帝の前に進み出て恭しく拝命する女は俺から見ても美しい。何しろ臓器や血管が丸見えじゃないからな。


「ミラーソード兄様、議場への遅参は感心致しませんよ」


 俺には関係なさそうだしサイ大師に挨拶して帰るか、と思っていたら歩み寄って来たジャオ・ハンに声を掛けられた。おっとりとした声には咎めの色と疑いの色合いがたっぷりと含まれている。


「新たな子らに成人の血肉を与える祭事の最中だったんだよ、ジャオ・ハン」

「イクタス・バーナバの夫たるミラーソード兄様がエムブレポを重視なさるのは当然です。ですが、サイ大師からの召喚を断らなくてはならない祭事でしたの?」

「何分、妻と共に祭事を取り仕切っていたからなあ」

「神降ろしですか」

「この身は俺だけのものではないからな」


 俺にとって神降ろしは常態化した習慣だが、他の者にとってはそうではない。普通は命懸けでやるもんだ。ホン・ダオの動揺も横合いから感じられた。ぎょろりとした眼の化け蛙は占術によって虚言や法螺話ではないと判じたようで、呆れと諦めの色が混ざる。


「……ミラーソード兄様ですからね」

「サイ大師のお陰で皇居では随分と正属性に近いのだぞ」

「本当なら常に自力で正であって頂くべきなのですが……」


 狂神の婿では難しいでしょうね、と随分と理解ある様子のジャオ・ハンにそうなんだよと適当な相槌を打つ。六眼で見詰めても心は読めないな。上手く隠している。存在しない表層思考は読み取れないし、深層意識を探るのは不躾だ。


「デオマイア姫はお元気ですか?」

「我が娘は何を着せても愛らしいぞ」


 ふふん、と自慢げに胸を張れば今度は哀れむような眼差しを向けやがった。何だよジャオ・ハン。


「パイディオンに見初められたなどと又聞き致しましたよ」

「ああ、娘にはその話はせん方がいいぞ。機嫌が一気に悪くなる」

「善神の注視などおぞましい限りですものね。地獄へ不本意な招待を受けたとも聞きましたよ」

「事実だが、解決したよ。当座は母が護ってくれる」


 偏愛の司直の注視を見詰め返す。司直となった母の面目が立つよう、地獄へ生贄を送り込みたいとは考えている。第四軍と第六使徒が反乱を鎮圧できるにせよ、できないにせよ、かつてアステールの領地だった東部は荒れるであろうな。


「何しろ特別な娘だからな。今後も厄介事は多かろう」

「父として護る」

「母として護ろう」

「デオマイア姫は愛されておられる」


 ジャオ・ハンは畏れるように不正の印を切り、アディケオへ祈った。

 妻が束の間浮上し、俺の口で囁いたんだ。すぐに隠れてしまったが、狂神の発する神威は漏れ伝わった。


「貴公からすれば私も厄介事の一つか、ミラーソード」

「そうだよ」


 ジャオ・ハンが眼を剥いたように見えたのはきっと気のせいじゃない。

 素で答えた直後、男の声が誰のものだったのか認識した。なんでいるんだ。


「……あー。わざわざ召喚してくれたのに遅参した件は済まなかった、サイ大師」

「正しくあるべき皇居に在って色濃い狂気を漏らす者は貴公くらいのものだ」


 サイ大師は口にした侘びではなく、考えた事に返事をくれた。読まれてる、完全に読まれてるぞ。実力差はどんだけあるんだ。俺の心は妻に護られているんだがな。


「それでも娘は護ってやらなくちゃならんのだ。どいつが取って食おうとするか解ったもんじゃない」

「私を含めてか」

「いや、サイ大師は」


 ―――うちの大君よりも芽がないと思うぞ。どうも自分より強い奴や同格は好きじゃないみたいなんだ。皇居にいるサイ大師なんて四権の司直でも斬り伏せそうじゃないか。


「文通枠と言うか貢がせる枠なんだと思うぞ」

「ミラーソード兄様……」


 ジャオ・ハンがどうしてか憐憫に満ちた眼を俺に向けている気がしてならない。

 ……何か不味い事を言ったかな。会議場の辛気臭さに冷まされてなお、祝祭の熱狂がまだ俺の芯を温めている気はする。男児の生誕はめでたい事なんだ。


 結局、多少の雑談の後にサイ大師は俺とジャオ・ハンに第四軍の転移門(ポータル)による移送を命じた。俺はジャオ・ハンが開放した転移門(ポータル)を維持する魔力供給役だな。遅参したせいでやらないと不味そうな雰囲気ではあったから、東部への軍団移送を引き受ける羽目になっちまったよ。

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