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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
夏の都のミラーソード II
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279. 甘味料の研究

 研究室の明かりは昼間程度の明るさを維持している。篭っていると昼も夜も関係なくなっていかん。


「再現しねえなあ」


 エリクシーリオは俺にとって実に興味深い研究対象だ。変成術で構造の鎖をそっくり複製しても同等品にならない。餡のない最中か、薄いのに中空の焼き菓子みたいになる。

 入手を意図していなかった取引の結果としてもたらされ、少量しか手に入らなかった品だ。全量を舐めて浪費してしまう前に研究を進め、同等が無理でも劣化品を精製する道筋に見当だけでも付けたかった。

 俺にとって極上の甘味料であるなら、祖母もきっと気に入って下さると確信している。問題は量だ。俺の母は健啖家と呼んでいい食べっぷりを毎日見せてくれるが、祖母はもっとだ。美味いものなら幾らでも召し上がる。微量しか用意できないものを差し出しても満足頂き難いから、量が欲しい。


 だが、再現しねえ。

 神の血肉が必要ならばと、妻に乞うて鱗を貰って顕粒(かりゅう)にしたり、俺の触手を切り離したものを溶剤に漬けて成分を抽出したりと、文字通り身を削った素材も試したんだがね。違うんだよ、目指すものとは全く違う方向に行っちまう。超成長促進剤だの、万能溶解液は要らんのだ。


 正しき悪を奉じるミーセオ帝国において御禁制の品ではあるが、闇市場で購入可能な魂石も素材として研究はした。魂石に収められてしまう程度の弱者の魂では何の足しにもならなかったがね。魂石は死霊術で魂を封じた固形物で、入手した魂石は媒体として黒真珠を用いていた。黒真珠そのものは決して劣悪な触媒ではないが、小さなものではレベル5程度の魂までしか収まるまい。まあ、エリクシーリオを得たい俺にとっては素材としての格が足りていない事は解った。


「今晩も徹夜で研究ですか、ミラー様」

「研究していると夜が短くて困る」


 研究に行き詰まり、閃きによる打開を求めてうだうだと研究室の床で転がっているとダラルロートがやって来るのも毎晩の事だ。この所 俺に対して辛辣な大君の口から吐き出されるのは嫌味か正論のどっちかだが、足元にじゃれついて少しばかり甘えてやる。


「俺はさ、青銅の器に山盛りにしたエリクシーリオを気兼ねなくかき込めるくらいの量が欲しいんだよ」

「品のない召し上がり方を御希望ですねえ」

「好みだよ、好み。俺は美味い物は飽きるまで浴びるようにたらふく食いたいんだ」


 俺は少量しかないと解っている貴重な試薬を使い尽くす阿呆じゃない。我慢してるんだぞ。貴重でなくなった暁には、たらふく食ってやるつもりではあるがね。


「ミラー様、お求めのエリクシーリオはミーセオ帝国において御禁制の品だと言う事をくれぐれもお忘れなきように」

「禁制品なあ。甘味料として流通させてくれねえかな」

「何分にも麻薬です。使徒にして分霊であるミラー様がまさか薬物に耽溺する事はありますまいが、劇薬に分類されます。

 常人には一時的な集中力深化を引き起こす一方、極めて習慣性が強い幻覚剤として作用致します。デオマイア様の誤飲は私が防ぐとしても、雑な管理では困りますよ」

「そうさな、この研究室からは試薬を気軽に持ち出して欲しくない」


 説教臭いのはデオマイアの為かな。大君の性格からすれば、利益が見込めるから麻薬を作れと言われてもおかしくはねえんだが。

 エリクシーリオの製法を知らないか訊いたら、サイ大師に詰問された理由は麻薬だからだよな。個人的に甘味料として欲しいだけだと言ったら、そんなもんなかったはずの井戸が突然現れて焦ったよ。危うく煉獄へ堕とされかねなかった。

 麻薬なら、俺は数種類の脳が欲しがって堪らなくなる物質の構造の鎖を知っている。やろうと思えば属性も添加して、性質の悪い毒を創造できる。研究の結果としてエリクシーリオと似たようなものが出来上がったら報告はするし、許されなければ流通はさせないと誓って煉獄送りは勘弁して貰った。


 俺が欲しいのは麻薬じゃない、命の味がする甘味料が欲しいんだ!

 クスリをばら撒いて帝国を滅ぼすかもしれないと疑われるなんて御免だぞ。……やろうと思えばできるけどよ。ミーセオ帝国をみんながみんならりぱっぱーで幸せそうな国にしてやろうか、なんて冗談でも口にしたらサイ大師に一族郎党を殺されそうだ。

 脱税以外の悪事は奨励されそうな気はするんだが、帝国の根底を脅かすような毒は許さない気もする。上司を試す気にはなれんよ、俺は臆病なんだ。


「次の掠奪市には遣いを出してくれよ。交換できそうなものは創るからさ」

「手配はしております」


 俺が手に入れた少量のエリクシーリオは大市で神器と交換したそうでさ。エムブレピアンには術師用の薬物として知られていた。

 交換神のお膝元では三ヶ月に一回、商品の出所を問わずに物品を交換する闇市紛いの大市を開くそうだ。交換神アンタラギが掠奪市の番人とも呼ばれるのは、素性の怪しい品物を数多く扱う胡乱な大市に由来すると聞かされた。

 掠奪市には神器みたいな代物も平然と出回るそうだが、原則として物々交換だそうだ。貴金属を産出する鉱山に乏しい南方では金銀が貴重だそうで、貨幣が持ち込まれると鋳潰されたり、貨幣のまま装飾品にされちまうんだと。全く出回っていない訳ではないが、貨幣経済は未発達なんだな。カネはカネとして使った方が便利だろうによ。


「ほんとは俺が行きてえなあ」

「ミラー様であれば先方の望みの品を提示する事は容易いでしょうがねえ」

「だろう?」

「私が商人なら鴨が葱と薪を満載してやって来たと看做すでしょうな」

「ダラルロートよ、俺はちょっとばかり気前がいいだけだぞ」


 大君は俺の事を何だと思ってやがるんだ。鴨にどんな重装備をさせて飛ばす気だ。

 暫く大君が俺の頭を足蹴にしそうな位置でじゃれていたが、何やら物言いたげな雰囲気を察して身を起こした。鼻で笑うない、着衣と頭髪が乱れているのは知ってるよ。


「ミラー様が私を屈服させてかれこれ一年経ちます」

「ああ、夏だからそんくらい経つかな」


 懐か袖かは知らないが、どこからか取り出した櫛を手にした長い指先が俺の髪を梳いてくれた。わざわざそんな話をすると言う事は、もしかして今日で一年経ったのかな。


「……どうしたよ?」

「くれぐれも薬物を経口摂取した口でデオマイア様に接吻などなさいませんように」

「しねえよ。カーリタースが俺を監視してるし、お化けに怯えている最中よりもきつい眼で睨んで来る」


 偏愛の司直が猜疑心に満ちた眼差しを向けて来るの、できれば止めて欲しいんだよな。閃きが来ず、研究が進まないのはカーリタースの目が厳しいせいじゃねえのかとは思う。

 俺が研究しているのは禁制品として知られている薬物かもしれんが、質の高い命の代替物を錬金術で精製できるなら意義深い研究になると思う。質の低い命の代替物しかできなかった場合、命を喰った方が手っ取り早いって問題はあるけどよ。

 劣等品でもいいから取っ掛かりが欲しい。命の根源に関してもっと理解を深めれば、俺が創造できる生物はスライムだけと言う現状を打破できるんじゃねえのかな。俺は牛肉の塊や調理済みの肉牛の丸焼きを創り出せるが、生きている牛は創れねえ。


「なあ、ダラルロート」

「薬物の勢いに任せた戯言であれば聞きませんよ」

「俺はらりぱっぱじゃねえよ。酒を飲めば少し陽気になるかもしれんが、それだけだ」


 ……どう言ったら大君はもうちと本音で話すかな。

 連日研究室にいる俺を構いに来るのは、何か言いたい事がありそうなもんなんだが。


「もしかして退屈してるのか?」

「この一年と言うもの休暇を頂いた覚えがございませんけれど、昼夜を問わず退屈ではなかったですな」

「欲しいなら休暇をやろうか。一年働き詰めだったんだ、一年は自由にさせてやってもいい」


 恐れ気なく俺の髪を梳いてくれる者が、夏の宮殿にしかいなくなるのは問題かね。ダラルロートがいないと色々と困るだろう。だが休暇を与えた覚えがないのも確かだ。


「寝惚けていらっしゃるのではないですかねえ。私に暇を与えるとして、どなたがデオマイア様をお守りするのです?」

「当座はエファを付けるさ。延命の水薬が効けば、ファエドラが産後に生き延びる可能性はある。そなたが不在の間、女王としての務めを学ばせてもいい」


 いないならいないで大人しくするさ。ワバルロートが過労で死ぬかもしれんが、ダラルロートの跡継ぎとして務まらない事はあるまい。死者を働かせる手段はあるのだから、生き死には大した問題ではない。透けてさえいなければお化けじゃねえ。


「冥府に行きたいとか、来世が欲しいと言われると行かせたくないが。

 休暇が欲しいならやるよ。そなたは一年、よく働いてくれた」


 呆れられたんだろうか。嘆息のような、嘲笑のような。

 背後にいる大君の感情を感じた気はするが、何が本心なんだか解りゃしねえ。


「俺の本心だぞ」

「ミラー様の明け透けな御心は明かされるまでもございません」

「そうだろうけどよ。欲しいものがあるならやるぞ」


 休暇が欲しい訳じゃねえんだよな。

 宦官に擬態していた漆黒のスライムが背後から俺を包んだ。でろりと肩から圧し掛かるように垂れた黒い粘液が鱗の上を這い、溶かされた肉からじくりと黒い体液が滲んだ。床に座っていた体勢のまま全身を取り込まれるまで、そう長くは掛からなかった。


「そなたがお化け恐怖症のスライムになりたいのならそうしても構わんがね」


 スライムの血肉が俺を覆い尽くす過程には、耐性なく薬物を摂取したような感覚の拡大を伴った。あらゆる接点から溶かし崩される感覚は快く、苗床にされたような快楽をくれた。

 彼は創造の権能についての理解を求めていたが、俺の中には不完全な理解と無理解しか見出されなかった。恩寵を持たない彼からすれば全くの不可解だろう。俺は終点を知っているが、辿るべき道は知らない。何せ最初から終点に置かれていた。始点がどこにあるのか知りたく思い、ふわりとした頼りない浮遊感の中を歩く夢を明け方まで見ていたようだ。

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