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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
夏の都のミラーソード II
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278. エリクシーリオの誘惑

 その日、俺が夏の都の煮炊き場に顔を出したのは子らに食わせる肉を配る最中だった。ある程度は俺が指示して陰銀の部族の者どもに配らせるんだが、妻は過剰な施しは民の弱体化を招くと言って好まない。

 とは言え、貴重なエムブレピアンを飢えや栄養失調で失うのは嫌なんだよ。飢えて死にそうだと言うなら俺が美食で満腹にしてやるゆえ、生贄として祖母の許へ赴いて果てしない飢えを僅かなりとも慰めてくれる方が有意義ではなかろうか。不運だった者を掬い取ってやる事もある程度は許さないと、実力はあっても運のない男が這い上がって来れないかもしれんだろう? どこの大君とは言わねえけどさ。


「牛、豚、羊、鶏。肉なら何でも創ってやるぞ。何が欲しい、ヨネ・チー」

「牛で」

「子牛がよいか、それとも肉付きのよい成牛にするか?」

「成牛を」

「よかろう」


 俺は望まれた重たげな生の肉塊を創り出してやった。俺が変成術で生きた牛を創る事はない。言ってしまえば、変成術なり異能で創り出す肉塊は発育の良い肉牛の味がする実体化した魔力塊に過ぎない。俺がそうあれかしと定めている以上、牛肉としての栄養と滋味に満ちているがね。複数を創造しようとすると手間暇の掛かる野菜は、ミーセオ帝国も噛んでいる実験農場から取れたてを籠一杯に貰って来ている。穀物は陰銀の部族の者が倉庫から運んで来るよう手配してある。


「腹を空かせている者どもの胃袋を満たしてやってくれ」

「お任せ下さいまし。ホーさんにビルジ、用意しな!」


 ミーセオニーズの女には請われて金を貸した事もあったな。

 とうに自ら采配せずとも良い立場にはなっているが、聡い女は都に住む子らの腹具合から俺が顔を出すと察知していたものらしい。煮炊き場の番人を複数抱え、生きた樹木を拠り合わせて建てた屋根のある食堂を構え、手足となるミーセオニーズとエムブレピアンを確保して指揮を執っている。

 煮炊き場に出入りする猟師や戦士と取引して利益を上げるのは構わんさ。納税代わりの子らや子守への給食をきっちりやってくれている。区長からの評価は頭二つ以上飛び抜けて良い。他の煮炊き場で施しをするなら、上手く回っている煮炊き場だけ施しの対象から省いてしまうとやる気を失わせかねんだろう? やるなら全域でやれと妻が仰るものだから、そのようにしている次第だ。


 夏の都の中をうろつき回る事そのものは好きだし、施しに全域を回る事は苦痛ではない。妻ほど熱心に広い範囲を長く見守ってはいないが、空腹の民が多いなと思うと気になる性分だ。俺は神としての視点にもっと慣れなくてはならないが、あまり薄情にはなれんのだよ。

 どうして俺が見守っているのに飢えさせねばならないんだ? リンミなり夏の都の住人が満たされ、殖える事で俺の飢えが満たされるんだ。俺にとっては生きる為の仕事だ。養殖だな。命を喰いたいと言う衝動を持たない娘でさえ、命を喰らった記憶は快いと聞いた。命は遠慮なく食い散らすには贅沢な食べ物だ。


 力ある者の命を食いたいと思う一方、育てる手間を思えば命喰らいとは難儀な嗜好だと自覚している。アガソニアンやミーセオニーズであれば、生後十年ほどの幼年期や、二十年程度の少年期に喰うのは勿体ない。三十年生きて肉体的には成長しきった後、俺にとって有用な知識と経験を蓄えた頃合に食いたいものだ。何らかの分野で随一の技量や発想を持つ命ならば、文句なく御馳走と言える。

 近頃は喰ってねえなあ……美味い命。舌が唇を割って顔を出した時、俺の六眼には大地の異能を持つ程好く健康そうなバシレイアンの少年が映っていた。喰ったら大地の異能を得られねえかなと言う食欲と、まだ喰うには若過ぎると嗜める理性の板挟みに遭った。食べるよりは兵として使えと妻は仰せだ。リンミに帰れば生きた命の蓄えがある。最近手に入ったアレもある。


 そうだ、アレがある。

 気が付けば俺は別れの挨拶もせず、ふらりと琥珀の館へ転移していた。




 ファエドラの伝手で、火焔の印を刻まれた壺は南方で高く取引されていると言う緑色の粉末に化けていた。変成術では複製できない調味料に俺は興味を惹かれたよ。難解な構造の鎖を真似ただけではダメなんだよ。砂糖の出来損ないにしかならない。南方では秘薬の中の秘薬、エリクシーリオと呼ばれている貴重な触媒だそうだ。


 何でも女王に即位する前、ファエドラがエムブレポの王族として気ままに南方諸国を襲っては掠奪を働いていた頃の縁だそうだ。南方の神々の中でも特に取引に長けた神の使徒と友誼を結んだそうだ。

 中立にして中庸なる交換神アンタラギは金銭を介さない取引に長けていて、妻としても雑多な掠奪品をエムブレポが必要とする食糧・金属製品・生活必需品などと交換してくれる有力な商売相手なんだそうだ。アンタラギ自身は商取引を守護する一権能の小神だが、取引上手で利益を求めない姿勢を示し壁神の領域内で上手く立ち回っているそうだ。話を聞いた時、仲良くできそうだなと思ったよ。


「今日はどうすっかな。料理に使っても効能が壊れるって事はなさそうなんだが」


 やたらと美味いんだ、これが。俺の変成術では再現できない甘味料と言うだけでも興味をそそられる研究対象だが、ふとした時に無性に食べたくなる。妻の血肉の一部を肴にして貰うのも美味いが、エリクシーリオも相当に美味い。

 結局俺は茶を点て、ほんの一匙を加えた。この一匙の有無でとんでもなく違うんだ。自作できるなら自作したいのだが、どうにも模倣しきれない。興味深い研究対象だよ。妻に言わせると茶に混ぜて飲むなんて勿体ない使い方だそうだが、命への飢えが収まるんだ。蘇生の霊薬なんぞ拵えなくたって、俺は治癒術で蘇生できるんだからいいんじゃねえのかな。


「南方と取引できればこいつが手に入るのなら交易したいぞ、妻よ。俺には創れない」

「薬物への依存は好ましくないぞ、ミラーソード」


 でも、美味くてなあ。俺が変成術で複製できない理由は単純で、素材に知恵ある存在の魂か、神の血肉のどちらかが絡んでいるんだろう。正当な取引で入手できるのなら取引させて欲しいぞ。


「なあ、妻よ。俺、定期的にこれを買う伝手が欲しい」

「アンタラギの使徒が交換に応じるのはその時持っている商品だけだ。常にエリクシーリオを持ち運んでいるとは限らない」

「次の入荷時期が不明の珍品って事か」


 そう言われちまうとますます欲しくなってさ。ミーセオ帝国内では御禁制の品だと聞いた後も、どうにかして手に入れたいなとは思っていたんだ。

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