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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
夏の都のミラーソード I
233/502

231. 腐敗の側面

 結局、父の手製菓子にありつけたのは琥珀の館に移動した後の事だった。デオマイアに食べさせたくて拵えたと言うのだから否はない。母は着替えたそうにしていたが、父が許さなかった。


「着替えた方がよいのではないか」

「そのままでいいでしょ、僕のお手伝いをしてくれた感じが出る。お母さんは腐敗の異能を強めたいんでしょ」

「……この服と何の関係がある?」


 母は厚手の前身頃(まえみごろ)を合わせた真新しい純白の調理服を着せられている。父が変成術で創造したものだ。鑑定を信じるなら、俺と父は調理よりも裁縫の方が上手なくらいだ。大君の館で厨房職員が着ている制服に似せられているが、母に着せられている衣装は刺繍やら留め金と言った部分で手が込んでいる。父なりの愛情だろうか。

 チーズやらヨーグルトと言った乳製品を変成術で拵えれば、帝国本土で皇宮御用達を狙える品質の製品を造る酪農の心得もある。甘く熟した色鮮やかな果物とクリームをふんだんに使うケーキで勝負しようとした父の選択自体は間違いではない。


「何事も形からよ。腐敗の権能はお料理とお酒の守護神格でもある」

「その点は間違ってはいないと思うがよ、父よ」

「コーティに着せる服で影響があるのか……?」


 だが母の服装は関係ないのではないか、とは俺と娘は思っていた。


「ある」

「そうなのか」


 影響があると主張し、揺ぎ無い自信を感じさせる父の声に俺と娘は六眼を見合わせた。母が納得してしまったなら俺達が異を唱える訳にはいかないではないか。母は父に対して甘いぞ。それとも興味がないのか。


 父が仕上げた菓子は生地とクリームと果実を塗り重ねて拵えられた多層構造をしている。仕上がりを美しくしようと小さなケーキを多数製作したものだから、父は相当な手間を費やしていた。時間としてそれほどでもなかったのは鏡の剣に自らを封じ、数多の念動力の手を触手めいて操った結果だ。定命の者は料理の為だけに理力術を用いまい。

 同一の大きさに切り分けられた柑橘は同種の色違いで黄色・橙色・赤色と三色に分かれている。味わってみると酸味と甘味の具合も少しずつ違う。素材にした果実も父が変成術で創造したものだ。多数の果実を創造し、質のよい望ましい味わいのものができるまで執拗に創造を繰り返していた。

 夏の宮殿に設けた厨房で作業した理由は余りものを下げ渡す為だったようだな。創造物の良し悪しにぶれがある事を父は承知しており、占術を連発して出来栄えを鑑定していた。お陰で周囲の魔素を馬鹿食いしていたぞ。父の眼鏡に適わずとも、陽銀の部族からすれば珍しい果実だ。皮が柔らかく、酸味のある甘い汁と果実の詰まった柑橘はエムブレポの密林には自生していない。程好い暑気が訪れる地域の果樹園で栽培されるべき種類の果実だ。


「味はどうかしらね」

「良いのではないか」

「この大きさならもう一つ食べたいな」


 小さなケーキだったから母と娘はぺろりと平らげてしまった。俺は匙を小さく使って慎重に味わいつつ、妻の分として供されたケーキがふいと消えるのを認識していた。


「味と香りもいいが、見た目が楽しいな。匙を少しずつ進めると違う菓子に思える。掛けた手間暇が報いられた出来栄えだ」

「ほうほう、そうかい。ダラちゃん、二個目をあげていいよね?」

「問題ないでしょう」


 存在感を消して控えているダラルロートも呼び掛けられれば短く応じてくれる。デオマイアに対する心術干渉の頻度は魂洗いを終えてから減っているが、大君としてはまだ要観察だそうだ。娘に摂らせる食事の質と量については大君が完璧に把握していて、いい加減な父でさえダラルロートに伺いを立てる。


「お母さんも一個じゃ足りないだろうし。次のはカーリタースにあげてね」

「カーリタースも味わってはいるのだがな」

「カーリー、おいで」

神子(みこ)とデミに招かれれば付き合うとも」


 父に交代を促され、デオマイアにも他面を喚ばれたコルピティオは素直にカーリタースに入れ替わった。凶暴性の強いコルピティオは飯事(ままごと)遊びをそれほど好んでいないから、夕食と魂洗いが済むまで社交性のあるカーリタースで通して問題ないだろう。母の精神は司直としての性質を弱める目的で分割された。今の所は調整してくれたダラルロートの思惑通りに機能しているそうだ。

 俺に対しては毎日のように手を出して来るんだがね。完全に抑えようとすると内側に不満を溜め込んでいつ爆発するか解らなくなるから、毎日欲求を発散させて溜め込ませずに宥めているそうだ。母と娘についてはダラルロートを働かせ過ぎかもしれん。控える大君はどこか得体の知れぬ感情を伴って俺達を見ている。


「それにしてもこの白服は何だ?」

「お母さんの腐敗の権能に対する理解が浅いから着せてみたのよ」

「……浅いだろうか」

神子(みこ)から言わせて貰えば浅い。醸造と発酵について何一つ理解してなかったじゃない。お酒の熟成はやり方を知らない、乳からヨーグルト一つ用意できない有様でかーちゃんの司直を名乗るのは正直言って冗談きついわ」

「料理について私はよい生徒ではないとは思うが、必要なのか?」

「大権能を構成する小権能に()く親和をする事なしに異能を振るえるのは神族と神子(みこ)くらいのもんよ。お母さんは世俗の定命の者上がりだし、側面への理解も深めた方が結局は近道なんじゃないの」


 料理の心得のない母に父は説教臭く言い募り始めた。父が適当な事を言っている気配はするが、俺とデオマイアは視線を交わして沈黙を決め込んだ。小さなケーキを攻めながら二人で果汁を飲む。


「俺には作れる気がせんな」

「素材を用意するのに朝から二刻は費やして厨房を果物だらけにしていたぞ」

「鏡の本気は有難いのか迷惑なのか……」

「誰も不幸にはならんのだから温かい目で見ようではないか。愛しい家族とこうして過ごせる時間は大切にしたい」

「そうさな」


 娘の青い目が宙を抜き身で舞う鏡の剣と話す母に向く。構って欲しそうな眼差しに妻が手を伸ばし、娘を俺の膝の上に座らせた。たまには母の膝の上から借りてもよかろう。父はと言えばまだまだ言い足りないようだ。


「腐敗に醸造と発酵がなかったらかーちゃんなんてただの疫病神じゃないか」

「ただの、と腐敗の権能を貶める事はあるまい。我らを現世に存在させ給うた偉大な権能だ」

「僕よりもよっぽど深くかーちゃんに帰依しているのにどうして異能が弱いって、小権能の全てを見る事ができていないからよ。衰亡については知らない方が今何歳のつもりでいるのか知れないチャレンジャー精神の塊でいられるのかもしれないけどね。触れたお酒を腐らせる事しかできないなら理解が足りていない。聞いてるの、お母さん。返事は?」

「聞いている。そなたが私に説法をしてくれる機会は珍しい」

「説法だと!? 説法に聞こえるのかい! 暗黒騎士様の頭の中はどうなってるのよ。衰亡ってのは―――」


 話しながらも母は二個目のケーキを食べ終えているからなあ。どの程度真剣に話を聞いているのかは怪しく思う。

 父曰く腐敗の大権能は強力だが、衰亡と言う難点を抱え込んでもいる。衰亡の小権能は敵対者を弱体化し、破滅へと導いてくれる力だ。但し祖母である腐敗の邪神自らも衰亡の影響下にあり、絶えず命を喰らい続ける事で死滅するよりも多くの命を産もうと懸命に生贄を口にしているそうな。

 祖母が持つ権能の中でならば、衰亡の対抗権能は増殖の大権能が含んでいる繁栄だそうだ。繁栄の力が強まれば衰亡の悪影響を抑えられると聞かされた。


「婆ちゃんの権能について父から説明される機会は少なかったと思うぞ」

「俺の記憶もそんなにないな」

「そんな馬鹿な。……あー? もしかして僕、話した気になってたけど実は話してなかったりした?」

「思うに、我々が知るべき事は多いのではないのか」


 娘のよく梳かれた銀の髪を愛でる妻の手付きは優しい。娘もイクタス・バーナバに抱かれていると理解してくれている。穏やかに家族で過ごす時間は愛おしく、俺を満たしてくれる。


「俺も創造については解らん事しかないんだよ。知っている事があるなら教えてくれねえ?」

「僕もそんなに知らないよ。かーちゃんが持ってる権能の中では創造が他の三つよりも段違いに強い分、理解に至るのが難しい。ミラーは固有の部屋から始めて扉や箱庭を創れるようになったけど、ダラちゃんでも創造を身に着けるのは難しいんじゃないの」

「箱庭ってのは最近創った塔の事だな」

「そうよ。強い神子(みこ)は下位の世界に命を満たして丸ごとかーちゃんへの捧げ物にするらしいわ」

「……捧げ物としての価値は高かろうな」


 俺達の血統の持つ異能について訊ねると父は毎回何かしら違う事を言う。デオマイアは理解に努めているものの、祖母からの注視に何と応えるべきか思案しているようだ。そう悩む事はない。増殖の大母は俺達を愛してくれている。


 家族で間食を食べた後は夕食の準備をする父を眺めて過ごし、食後は魂洗いをしに煉獄へ降りる。毎日こうするには支障があるものの、隔日で琥珀の館に家族を集める習慣は定着させたいな。女王ファエドラに宿った俺の子は少しずつ大きくなっている。妻が神域で養っている俺の子の卵もある。憂いなく血族と共に暮らしたいと言うのは大それた望みではないはずだ。

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