23. リンミの太守ダラルロート
「このお部屋に最初から、ずっと。鏡殿の御指示でして」
俺の思考はほぼ完全に恐慌によって停止していた。
中年の男はダラルロート。太守の館の主。俺に従属する三人の腹心の……筆頭。
「今死ぬほど恥ずかしい思いをしているだろうけど死なないでよね、ミラー」
「鏡よ、貴様! どうして俺に、無断で!」
寝台から滑るように鞘毎逃げ出した鏡に対する怒りで我に返った俺は鏡を怒鳴り―――寝台の脇で微笑むダラルロートと目が合った。長く伸ばして整えた黒髪。思考の読めない黒い瞳。酷く愉しげな口元。俺に屈する以前は曲者として知られていたリンミの太守。
「失礼」
一言断り、ダラルロートは音もなく抜剣した。俺が与えた剣を。俺の鏡と同じように刀身を鏡のように仕上げた鏡の剣を。
「ミラーソード様に授かったこの鏡の剣には鏡殿が細工をなさっておりましてねえ」
細……工……だと……?
混乱の極地で俺に言葉はない。寝台に半身を起こし、呆然とダラルロートの言葉を聴く。
「お二人の会話、私には拝聴を許されております。
ああ、司教殿とシャンディ嬢は御存知ないですよ。今の所コレは私だけの独占です。そうですよねえ、鏡殿?」
「そうだよ」
鏡が答える。しれっとしたものだ。
「普段は一番辛そうにしてるけど、腹心筆頭ってダラルロートだからねミラー。
仕事量は実に司教の四倍、魔女の二十倍はあるの捌いてる結構な超人さんだよ?」
「嫌ですねえ、そこは伏せておいて下さい鏡殿。やり甲斐は感じています」
ダラルロートと鏡の間にはどこか慣れた空気がある。俺の知らない所で会話していた時間がある……?
「そう言う次第でしてミラー様。ミラーソード様の事情は一通り伺っております。
面目なくはありましたよ。シャンディ嬢に配慮や腹芸を求めるのは難しいのですが、私が止めるべきではありました。その話題は拙いとサインを出しても彼女、解って下さいませんでしたものでねえ」
苦笑して見せるダラルロートの口元は妙に愉しげだ。
「司教殿ほどでなくとも良いですから、シャンディ嬢にはもうちと機微を弁えて頂きませんといけません。
御許可を頂けるならば私が教育を致しますよ、ミラーソード様。魔術だけに長じている者など腹心に相応しくありません。あくまでも私の見解として、ね」
俺は喋る気力がない。ダラルロートが話すに任せる。
「いかんせんミラーソード様はお若いですからな。
1歳にもなっておられないと伺った時には私自身正気を疑いましたが、今日の有様を拝見して納得は致しましたのでねえ」
すっと目が細まる。俺は射竦められる。力尽くで制圧したはずの男に。
「我が主よ。私を制圧してリンミを支配される以上、投げ出させるような真似はさせませんので御覚悟のほどを」
「ちなみに。最初はダラルロートが鏡に話し掛けて来たんだよ。お役に立てると思いますがねえ、って」
鏡がダラルロートの声真似をする。鏡は完全に遊んでいる。
鏡の剣の切っ先が刹那、俺に向く。ダラルロートは剣を手に俺へ礼を捧げて寄越す。
「お命じ下さいな、ミラーソード様。貴方様の憂いを断て、と。
ただ一言で済む事ですよ、今回の件は。我ら腹心三人組、何しろ一蓮托生につき必死で働きますよ?
もうアガソスとミーセオの開戦が近いと言うのに、たかがお化け怖さに殺せだの死ぬだのと……。主君が弱気では家臣一同困ってしまいますよ、ミラーソード様」
俺は両手を小さく挙げた。投降の意を込めて。
俺は腹心の能力を過小評価していたようだ。もっと仕事を積んでやってもいい男だった、この男は。
「この件はそなたが采配せよ、ダラルロート」
「ああ、初めて名を呼んで頂けましたね! ようやく司教殿を悔しがらせてやれそうだ」
愉快そうに笑いながら納剣したダラルロートが礼を寄越す。
「承りました、我が主。後ほど夕食を御一緒致しましょう」
「つまりね、ミラーは人を使う事を覚えてねと鏡は言いたかったの」
……もう一度卒倒してもいいだろうか。鏡とダラルロートの二人を前にして俺は寝台に突っ伏した。




