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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
夏の都のミラーソード I
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209. 胡乱な三択

「俺はイクタス・バーナバの使徒ではない。神王でもない。分霊になるのさ」


 できるだけ優しく聞こえるように声を選んだのだが、娘受けはよろしくなかった。


「死を免れる為に神に魂を売る気か、ミラーソード」

「婆ちゃんに不死を願うと間違いなく亡者になっちまうだろうからな。だけど俺、お化けはダメなんだよ」

「俺だってダメだが、しかし……」


 幽霊恐怖症の亡者だなんて冗談みたいな存在になってしまったなら、生き苦しくて仕方ねえと思うんだよ。祖母が有する腐敗の権能は死霊術との関わりが深いそうだが、死霊術への適正が絶無の俺では活用できずにいる。

 使徒が神に授かる不老の異能とは不死ではない。殺されれば死ぬし、寿命を大きく超過した歳月を経ると自然死もするそうでな。俺に殺されるまで182年生きていたアステールは稀有な例だ。アガソニアンはだいたい六十歳辺りで死ぬそうだが、生物的な限界は百歳辺りにあるらしい。アガシアが生かし続ければ二百歳を越えられた可能性があったらしいぞ。


「なあ、デオマイア。コラプション スライムの生物としての寿命が何歳なのか俺は知らないが、そんなに長く生きる種族じゃねえんだ。ダラルロートは占いで知っているか?」

神子(みこ)によって個体差が大き過ぎる為、参考にならないと結論すべき結果しか得られませんでした」

「誤魔化さなくていいぞ、大君。長くない事は知っている。

 素の俺のままなら、アステールのように182年も生きられはしない」


 ダラルロートにしては下手な誤魔化し方だと思うが、デオマイアに伝わり易くする為の演技かね。ダラルロートの手に触れられている鱗から少しばかり不要な熱を奪われるようで気持ちいいな。


「だからと言って神降ろしを繰り返して寿命を縮めた挙句、分霊になるなどと……」

「まあ聞けよ、デオマイア。俺は神に利用と言うか憑依され易い体質―――魂質と言うべきか? 何でもいいや、馴染みのいい性質らしくてさ。やろうと思えばアディケオも降ろせるだろう。さっきも婆ちゃんがしれっと降りて来ていたらしい」


 瞼に不快な熱を感じて拭おうとしたが、手が上がらない。冷水で濡らした薄手の綿布を創造して顔面に落としてみたが、拭う力がない。


「口頭でお命じ下されば御用意致しますよ。妙な横着をなさいますな」

「何なんだよ、手が掛かるのか掛からないのか……」


 文句を言いながらもダラルロートが顔を拭き清めてくれた。

 デオマイアが寝台の傍に置かれていた空の(たらい)を六つある目のうち一つだけ動かして睨み、元素術で水を注いでもくれた。大君は(たらい)の水で布を濡らして絞り、首筋も拭いてくれた。


「ああ、熱が取れると気持ちいいな」

「お休みになった方がよろしいとは存じますがねえ」

「デオマイアが訪ねて来てくれる機会など多くあるまい。好かれる事は難しかろうからな」

「自覚されている内容は間違ってはおりませんがねえ」


 口から水も含ませて貰い、デオマイアを相手に話を続けた。


「元々、それほど長く生きられる気はしなくてな。俺が死ぬと分体の皆も道連れで死ぬから、そなたの望みを叶えてやろうとすれば手段は限られている」

「俺の望みだと? 俺の為だとでも言う気か?」

「カーリタースとコルピティオのどちらだとしても、母と結婚したいのだろう」

「どちらも愛しい母には違いない。できる事なら本当の名前を取り戻してやりたいがね」


 俺が予知してみた限りでは、真名を持っている母とは随分と恐ろしげな存在に見えるがね……。会えないデオマイアに教える事ではあるまい。


「ならば現世に母を留めてやれる身分にならないとな。

 何がしかの神々の契印を奪い取れれば神格を得られようが、神々にも敵対関係や同盟関係、もしくは上下関係がある。迂闊に弱い神として昇神すると真新しくて美味そうな、攻撃しない理由のない生贄にしかならん」


 アガシアの契印を現世に顕現させた時、俺がアディケオに捧げた理由だ。

 あの時、アガシアの契印を使って神格を得ていたなら存続はできなかっただろう。愛と美の権能を統合したいアディケオがスカンダロンを従えて襲撃なり脅迫して来たなら、幽霊恐怖症持ちの俺は屈服するしかない。神格を得ても弱点が克服される訳ではないそうだからな。


「使徒では足りないんだよ。不老では生物としての限界寿命の二倍が精一杯らしくてな。エムブレピアンの使徒なら八十年、アガソニアンの使徒なら二百年かそこららしいんだ」


 今朝頭を整理して貰ったついでに、ダラルロートに色々と仕込んで貰ったのさ。俺が疑問に思っていたような事や、スタウロス公爵家の歴史書やティリンス侯爵家の記録を読んだら得られる知識について一通り教えて貰えた。


「コラプション スライムは生まれた時から強いが、おそらく寿命は長くない。倍では足りねえと思う」

「しかも頻繁に神降ろしをなさって削っておられますからねえ」


 咎めの色の強い声でダラルロートが言って来る。眼球のない眼では視線で訴える力が弱い気はするが、同意はしたよ。


「神降ろしの疲労は術で活性化していても拭えなくてな。治癒術も効かない」


 軽傷や軽度の疲労なら、俺は直ちに回復できるんだよ。常に維持している変成術で身体強化し続けているからな。活性化していても一撃で殺されたらどうもならん。


「それでも妻の力を借りた方がいいと思ったら借りている」

「不要な神降ろしで余命を磨り減らしてまでやる事ではないだろう!」

「俺がしたいんだから、必要な事なのさ。やり残したまま死にたくはない。

 分体を死なせずに済む算段ができるなら、苗床を選んで世代交代してもいい。

 分体を相手に世代交代できるならダラルロートでいいのだがな。……何なら試してみようか?」


 デオマイアに怒鳴られながらも腐敗の異能を這わせる。ダラルロートは抗わずに受け入れ、人の形を捨てた。衣服から抜け出した黒いスライムの触手が俺を支えるように這い回れば分体の持つ活力が浸透し、不快な熱を払ってくれた。


「何だと!? ミラーソード、ダラルロートを離せ!」

「何故です? 私を苗床に選んで下さるのなら光栄な事だ」


 どこから声を出しているのかは謎だが、俺に絡み付いて融けているスライムがダラルロートの声で喋った。


「ダラルロートよ、匙を投げたいのではなかったのか!」

「苗床にされるのならば我が主の全てを我が物にできますからねえ。恐怖症だけは頂けませんが、対処する手段はなくもない」

「そなたの魂は俺と共に地獄へ行くがね」

「来世を得るまでの仮住まいとしてさほど悪い冥府ではございますまい」


 融けた箇所から流れ込んで来る意志も心地よいな。妻ほど強い力ではなく、母のような地獄の熱もないが、不思議と操られてやりたくなる。妻は静観してくれている。


「無理矢理されるのが好みとは実に卑しい性癖ですよねえ」

「俺のせいと言うよりは父のせいだと思うんだがなあ」

「よろしいのですか。素直でいらっしゃると今すぐにでも頂いてしまいますよ」


 耳元で囁かれるように聞こえていた声が力を増し、俺を鎖めいた強さで縛った。ダラルロートの操る腕が俺の肉体を変質させ、薄皮を剥がされるような痛みを伴って顔面に生えていた白い鱗を剥がす。六つあった目は上の二つだけに減らされた。


「御覧なさい、デオマイア様。そのように恐れる事はない。

 ミラーソードなどこんなものですよ。素直過ぎて刺激が足りないほどだ」


 ダラルロートに擬態していたスライムを全身から吸収し終えた肉体は軽く感じられた。魔術師から老練な闘士へ組み替えられたのも解る。口を使っている意志はダラルロート寄りだが、混ざっている。


「二人とも、何を……」

「いらっしゃいな、デオマイア様。二日分の稽古の詰め込みでお疲れでしょう」


 操り糸を僅かばかり引くようにしてデオマイアに促せば、戸惑ったまま寝台に上がって来た。俺は娘に対して食欲を感じてしまい涎を垂らさんばかりだが、肉体を制圧した意志は平然としている。異能によって強化された心術を興味深そうに準備し、創造の異能を生かして即興術も組み上げている。


「どっちなんだよ」

「ミラーソードがダラルロートを苗床として世代交代したなら現れるであろう個体を模したもの、ですかねえ?」


 デオマイアの瞳を覗き込めば、ミラーソードとダラルロートのどちらでもなく誰でもない見知らぬ顔の男がいた。強いて言えば目付きがダラルロートで顔立ちが俺、口許はどちらでもない? 俺にしては性格が悪そうな目付きだよ。俺と大君を溶かして世代交代するとこうなるのかね。


「こんなものを地獄から見たら乗っ取りたくなるでしょうな」


 大君は俺を弄り回すのが好きなのは知っているが、漏れた声は冗談ではないように聞こえた。低く暗く、それでも明らかに嬉しげに笑いながらデオマイアを抱き寄せる。


「短命種ゆえ一時凌ぎではありますが、世代交代でしたらこのような様相になると思われます。亡者化と分霊化と世代交代、どれがよろしいですかねえ? 愛しいデオマイア様はどう思われますか」


 自制を(なげう)つ気配を察知し、俺は鎖を引く。こいつ今、舌でデオマイアの唇を舐めようとしたぞ! 娘を味わいたいと言う強い欲望に唆されたがる肉体を抑圧する。全く平気そうな顔をしていたのにな。内側にいなければ騙される所だった。


「もう少しまともな選択肢はないのか」

「先に御話しした通りですよ。ミラーソードに死を受け入れさせた上で、死者の魂を引き剥がして無機物や有機物に封じ込めたものを従属させると言うのが比較的無難な案でしょうな」

「死霊術さえ使えれば俺自身がやるものを……」

「下僕に行使させるか、下僕に術具を作らせる事は必要でしょうねえ。

 お母君の支配を他者に委ねる事はデオマイア様の急所を握られるに等しいのですから、反逆されぬようお気を付け下さい」


 死霊術を全く扱えないと言うのは不便なもんだぞ、本当に。死と魂を扱えないから、寿命を乗り越えたい魔術師としては大いに困る。デオマイアを抱いていると静かな声で娘が言った。


「ダラルソードかミラーロートか解らんが、俺にはそなたが化け物めいて見える」


 ……デオマイアに名付けをさせてはダメだな。俺の半身なんだから俺と同じような感性のはずなのだが、ダラルロートが殆ど拒絶反応を起こしたのを感じたぞ。化け物呼ばわりも俺達の混ぜ物は気に入らなかったようだ。


「私ではお嫌ですか」

「そなたはダラルロートの方がいい。変にミラーソードが混ざっていて気色悪い」


 俺の要素に関して全否定を喰らったぞ!? 娘よ、そんなに俺が嫌いなのか!! ダラルロートめ、そなたばかり好かれおってから!


「神とミラーソードが混ざっているのはまだ我慢できるが、ダラルロートは返せ。本当に世代交代した訳ではなく、試しに化けただけなんだろう?」

「我慢できる、とは」


 今まで黙っていた妻が口を使った。


「消極的な肯定と受け取ってよいのだろうか」

「限界目一杯の妥協だ、イクタス・バーナバ。ミラーソードは俺の父親で、イクタス・バーナバは俺の母親だ。必要なら曾祖母に……腐敗の邪神にも誓ってやろう」


 だからさっさとダラルロートを返せ、と言う酷い言い草が眠そうな娘の唇から掠れるようにして聞こえた。俺は釈然としなかったが、必要な答えを引き出したダラルロートは鎖を解き、薄情にも冷淡を極めた態度で俺を突き放してくれやがった。言い寄られた相手に身を委ねた後に捨てられるとこんな気持ちになるのか?

 ダラルロートは分体を引き剥がすようにして出て行ったから、俺自身は酷く重い疲労に見舞われて意識を混濁させた。隣でデオマイアが寝かされているのを感じながら、そのまま寝入ってしまうしかなかったよ。

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