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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
夏の都のミラーソード I
202/502

201. プロバトンの奴隷

 母の凶暴性を煮詰められたようなコルピティオ相手に説教はしたが、どれだけ長く効いてくれるかは知れたものではない。カーリタースを表出させておけばいいと言う話ではないように思えてならんのだよ。烙印の疼きは今の所収まっているが、明朝にでもダラルロートに相談したい。


 リンミへ意識を向ければ、座敷でエファとデオマイアが楽しげに言葉を交わしているのをピーちゃんとフィロスが何も言わずに眺めている。黒いスライムと孔雀の隣にダラルロートが座っているのは妙な光景だよ。大君は注意深く二人の会話を聞いているものの、デオマイアに対する心術干渉は控えているようだ。エファと一緒にいる間は支えが必要ないと判断したのかね? いい傾向ではあると思う。


「お話は終わりでいいよね。カーリタース、おいで」


 父が呼び掛ければ母は逆らわずに目を閉じ、暫くして俺を見た。理力術で首から下を多重に拘束された肉体を目で示し、物言いたげな様子でいる。


「あれ向きの話題ではないと言っただろう」

「俺が話す必要はあったのさ」


 織って布にした糸を手にした糸巻へ戻すようにして魔力を魔素へ解体し、母の拘束を解いてやった。負傷させてはいないが、解放された母は首と肩を回していた。少々固め過ぎてはいたかね。

 何となく申し訳なさを感じた俺は夜食に摘めるよう幾つか茶菓子と肴を創り出し、折り詰めにしたものを風呂敷で包んでやった。茶菓子は饅頭と素甘に羊羹、肴は干し肉とチーズ。塩も小瓶で付けてやる。


「茶は父に淹れて貰ってくれ」

「ミラーは本当にお母さんが好きよね」

「いつも言っているだろうに、愛していると。好き嫌いなく食べてくれるのは嬉しいが、要望があれば言ってくれよ」

「そなたは料理には熱心だからな。離宮で馳走になるとしよう」

「そうしてくれると嬉しいよ」


 包みを手渡し、僅かばかり肩を竦めた。料理には、と言われたのはカーリタースとしても本業の暗黒騎士に力を入れて欲しいとは考えているのだな。コルピティオよりは気が長そうだが母には違いない。

 母の腰に佩かれた剣に目を遣る。鏡の剣を常に帯剣した方が俺は落ち着けるだろう。母の魂洗いさえ済めば父に分体を与えてもいいし、母と父を鏡の剣の中に入れておいてもいい。夏の宮殿に滞在する間は妻の神域へ通う気でいるが、夜毎に両親と別れる事に寂しさを感じてはいる。二人とも鏡の剣に封じて神域へ連れて行けば解決する寂しさだと思えばこそ、母の魂洗いの優先順位は高い。目線を上げれば物言いたげな母。


「俺はそろそろ神域に行く。おやすみ、母に父よ」

「おやすみ、ミラー」

「おやすみ、我が子よ」


 長く同室にいるとデオマイアの様子を知りたい母に質問攻めにされそうな兆候を察し、俺は両親と就寝の挨拶を交わして私室を出た。行き先は神域ではない。妻は俺にある場所へ行って欲しいそうだ。




 回廊を歩けば、宴の今宵は宮殿を満たす夏の熱狂が平素よりも一際強く感じられる。俺には心地よいだけだが、ミーセオの官僚どもは平常心を保つ為にアステールの呪面を拝み倒している事だろう。

 夏の宮殿の住人は原則として陽銀の部族と王族だ。扉のない戸口の前を通り掛かれば交合の気配がそこかしこからする。結構な事だと思う。エムブレピアンはもっと殖えてくれていい。食糧が足りないなら俺が養ってやろう、と言う発想は妻の好みではないのが残念だがね。


 妻が俺に足を向けさせたのは宮殿の一角、精霊導師と治癒術師が詰める宮中施療院だった。平伏し畏まろうとするエムブレピアンらに仕事を続けるよう命じる。妻が俺に知識を流し込んで来るのをゆっくりと咀嚼しながら、意識のない男の首に宛がわれた焼鏝(やきごて)が肉を焼く音を聞く。


 プロバトンの民の大多数は奴隷だ。プロバティアンと呼び得るプロバトン固有の種族はシュネコーの血を受け継ぐ王族と最上位の奴隷商にしかいない。プロバトンの国家人口の九割以上がシュネコーに教化された奴隷階級で占められている。


 プロバトンの奴隷の首筋には《シュネコーの教鞭》と名を知られる魔力回路が刻み込まれている。極小化された高度な回路は奴隷の所有者が何者であるか記録し、刻まれた奴隷の取引価格をシュネコーが定めた基準に従って算定し、禁則に背いた奴隷を激痛によって鞭打つ。

 奴隷に課される禁則は二つ。一つ目は所有者の命令に奴隷が背けば激痛を与える。《奴隷の首輪》の魔力回路の効果として広く知られる禁則だ。

 略奪した側からすれば曲者なのがもう一つの禁則だ。シュネコーは奴隷商人の擁護者として、商品の不当な略奪に対する不服従を命じている。略奪された奴隷は略奪者の隙を伺って反逆や脱走を試みる。表向きは従順だからと回路を放置していると、刺し殺され、毒を盛られ、或いは使いに出したらそのまま帰宅しないなどするそうな。


 厄介な禁則を強制する回路を処理しているのが施療院だ。プロバトン製の魔力回路はエムブレポの魔法技術水準から見て高度だが、施療院では心得のある精霊導師が焼鏝(やきごて)で《消尽》の魔力回路を上書きして破壊している。魔力そのものはエムブレピアンの方がプロバトンの奴隷商人の殆どよりも上だ。

 価値のある奴隷であれば妻自身が力を貸す事もある。或いは妻に頼まれて蘇生させたバシレイアンの男児のように、遺品を元にして肉体を無から創造して蘇生させれば回路を跡形もなく除去できる。会頭と呼ばれるプロバトンの国王や使徒が刻んだ回路でもない限り、施療院の《消尽》で消せるそうだ。


 今、焼鏝(やきごて)で施術された者の首筋にある回路は消えなかった。火傷させただけだ。


「そなたの手に負えぬ回路を刻まれた男か」


 精霊導師を鑑定がてら眺める。レベル13、魔力回路を習得した魔術師寄りの精霊導師だ。リンミニアでならば最高幹部が務まるであろうに、宮中施療院の院長をしている。この者より優れた精霊導師は女王ファエドラと妻の第三使徒しか夏の宮殿にはいない。

 年の割に古傷が目立つ略奪品を鑑定するとアガソニアンの元素術師だった。レベルは8あり、技能からすると行政官かね。書類仕事ならシャンディより有能そうだな。リンミニアの補佐官として採用したいくらいだ。強い魔力で魔力回路を刻まれていた理由は読み取れないが、妻の聖域で国外における身分や経歴は大きな意味を持たない。今アガソニアンの30歳なら、奴隷として大事に使えばもう三十年ほど生きてくれるだろう。


 男の首筋に刻まれた極小の回路を眺める。視力を強化した上で六つある眼を凝らし、統合された上に多重化されているらしき意味を読み取ろうとしたが《シュネコーの教鞭》は難解だ。俺の手ではこうも小さく複雑な回路を刻む事はできまい。使われている染料も墨ではないな。金属質の輝きがある。高度な魔力回路をただ《消尽》で焼き消すのは芸がないように思えた。

 俺は即興で変成術を組み上げた。回路がある首筋の皮膚と筋肉を腫れ上がった腫瘍のようにした上で首との繋がりを細め、切り離す。体内の臓器に有害な詮を造って生物を殺す父の得意技の応用だ。摘出した回路はガラスに封じ込めてやる。


「回路は貰うぞ。その者に施術してやるがいい」


 魔力回路を破壊した後、エムブレポではプロバトンの奴隷を記憶操作する。操作せずにいるとプロバトンで施された洗脳じみた奴隷教育を実践し、不当な略奪者の下から正当な所有者の下へ帰りたがる。魔力回路と洗脳の二段構えで奴隷とされた者は、率先して奴隷階級に留まる努力さえすると言う。カルポスで妻が『プロバトンの民は救い難い奴隷ばかり育てている』と不満げに言っていた原因だ。

 取引した奴隷を使役するなら識字率が高く、算術に優れた者が多いそうなのだがね。夏の都で暮らしていればどの道何らかの狂気には陥る。記憶操作で『譲渡された』と認識させ、交合に熱狂させてやるのは妻なりの慈悲なのであろうよ。

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