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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
夏の都のミラーソード I
201/502

200. コルピティオとの対峙

 妻は夏の宮殿を長時間空けたくないそうでな。残敵の掃討と略奪に関わるエムブレポ兵を残し、主力は夏の宮殿へと引き揚げた。夏の都とカルポスを繋ぐ転移門(ポータル)は交代で維持されており、略奪品が運び込まれ続けているようだ。出入りは多い。今夜のカルポスは夫を求めるエムブレピアンが好きなように略奪する時間さ。

 宮殿と都では宴もやるそうだ。俺はゼナイダに約束した肉と酒を創造して陽銀に下賜してやった。下々は好きなように楽しめばいい。


 出迎えてくれた女王は俺に労いの言葉をかけてくれた。穏やかな立ち居振る舞いで安らぎを感じさせてくれる、いい嫁だと思う。腹部に触れてみれば根付いた腐敗の種子が眠りを楽しんでいるように感じられた。比較的穏やかな気性の種子を取って来れたのかね? 急速な反応で女王を殺さなかっただけでも褒めてやりたい。今暫くは母体の中で眠るよう勧めておいた。



 皆で煉獄へ降りて母の魂洗いも執り行った。スダ・ロンに言われていた通り、今晩の井戸は非常に少ない魔力で源泉の汲み上げを許してくれた。地上で魔力を集めて煉獄へ捧げる事を真剣に考えるべきだと思わされたよ。パラクレートス線の扱いについて研究しよう。プロバトンの諸都市から魔力を奪えるのなら外征する理由になる。

 煉獄からは現世の様子を知る事はできなかった。分体に仕組んだ俺への経路が消えた訳ではないものの、煉獄では遠く感じられる妻よりも明確な断絶だった。『死者は冥府から生者を見守っている』などと教える宗教団体は嘘吐きだと思う。少なくとも今の俺には冥府から現世の様子を知る事はできない。見守っているとしたら、死してなお現世に留まっているのではないのかね。


「ミラー、そなたがイクタス・バーナバの神域へ赴く前に聞きたい事がある」


 煉獄から離宮へ戻った後、すぐには神域へ行けなかった。強く俺の肩を掴む母の関心は娘に向いていた。長話になりそうだと察した俺は母を本殿の私室へ誘い、アステールとゼナイダにはスダ・ロンの警護を頼んで別れた。


「デミの様子はどうなのだ、ミラー」

「一日、楽しそうに過ごしていたよ。機嫌はいい」


 ピーちゃんの視覚と聴覚を借りるのが後ろめたくなる程度には、デオマイアは終始機嫌が良かった。エファに対して示す親愛から、俺と父と妻がいかに嫌われているか実感してしまったよ。好かれたい相手から嫌われると言うのは辛いものだ。

 長椅子に座す母の為にミーセオの流儀で茶を点て、砂糖で甘くした餅を茶菓子に供した。横にならない母に倣い、俺も向かいの長椅子に腰掛けている。


「デオマイアは可愛らしい声も出せるのだな」

「ダラルロートが教育している以上、いずれは淑女らしく振舞うようになるだろう」

「そうね」

「デオマイア自身が望むなら何者にでもなれよう」


 淑女! なんだそれは、俺の知らない生き物だな? そう思ったのはどうやら俺だけであったようで、危うい所で沈黙を守った。父と妻の反応からすれば、爆笑していたら真顔の母に殺されかねなかった。……淑女とはまた、俺の半身を指す単語としては随分な響きだ。


『こうして上から見るとリンミ湖はいい眺めだな』

『デミの愛らしいお顔の方がいい眺めだよ。エファの腕の中にいてくれるのが嬉しくてならない』

『……ああ、俺も心地よいよ』


 デオマイアとエファの行動をピーちゃんに思い出させる。エファが御す巨鳥の背の上に座り込んだ娘の感触と、リンミ上空を飛行する間 穏やかに交わされていた会話が羨ましい。俺に対してああまで心を開いてくれる日は来るだろうか。

 ダラルロートは距離を取ってこそいたが、理力術で飛翔して影のように付き従ってくれていた。リンミニアの大君自ら間食を詰めた籠を手にして従者面をしていたぞ。下手をするとデオマイアの方が俺よりも偉そうではないか?


 母の尋問めいた質問攻めを受けてみると、俺には答え辛い質問が多かった。娘とエファは三食と間食に何を食べたのか、どんな話題でどのような結論に到達したのか、何時間外にいたのか、ダラルロートはどのように二人に付き従っていたのかと実に事細かく訊ねられた。ダラルロートの事なら比較的答えられたが、母には指摘を貰ってしまった。


「ミラー。そなたはデミよりもダラルロートに関心があるのではないのか?」

「……否定できねえな。詳しい事は大君から聞いてくれよ」


 何だかんだ言っても俺、大君の事を気に掛けていたのだな。認識欺瞞でよう解らずともダラルロートの気配の変化は何となく察せる。娘よりも関心があると指摘されてしまった点は反省しなくもない。


「ミラー、そなたはデミの事をよく知るべきだ。愛らしい一面がある事は半日覗いて理解できたであろう」

「そうよな」


 母の言う事だ、息子として聞く気はあるさ。だが、どうやって距離を詰めたらいいのかは解らんのだ。母とエファはデオマイアに嫌われていなかった。


「できる事ならミラーが他の子供に強い愛情を示すようになる前に和解させたい。

 イクタス・バーナバと女王が産むであろう子に限った話ではないぞ。愛情深いそなたの事だ、拾ったバシレイアンの奴隷にも構ってやる気なのではないか?」


 前半はエファにも言われた事だな。奴隷なあ? 確かに大地の異能には興味がある。そうさな、夏の宮殿で種籾めいて使われるにしても目をかけてやってもいい。


「わざわざ妻が蘇生させて欲しいと言って来た命だ、関心はある」

「デミから見てどう映るか想像できるか、ミラー。分かたれた半身よりも重んじる事のないよう気を付けよ。そなたは好意を向けて来る対象に対しては随分と甘い。デミを嫉妬させてしまえば和解が遠退きかねない」

「そんなに甘いかね? 愛しい両親は俺にとって特別なのだぞ。無論、愛しい愛娘も」


 今晩の母は随分と熱心だ。魂洗いを重ねるにつれて情緒の幅が広がっている事は歓迎したい。しかし……


「なあ、カーリタース」


 六眼を瞬き、妻が拓いてくれた視界で母を視る。こいつはカーリタースだ。母には違いないが、言動に偏りを感じてならない。


「……どうした、ミラー。愛しい我が子よ」

「どうしたの、ミラー」

「愛しているとも。……どちらの母もな」


 穏やかな目付きと温かみのある声で語り掛けて来る金髪のバシレイアンであっても、腐敗の邪神に仕える暗黒騎士には違いないのだがな。両肩の烙印が疼いていけない。


「カーリタースの言いたい事は解ったよ。俺が話した事のない方、凶暴性の強い方と話させて貰ってもいいかね? カーリタースとは違う事を考えてるんじゃねえか?」

「あれに向いた話題ではない」

「話してみた方がいいと思うんだよ」


 母は席を立ち、俺の側に立った。見下ろして来る母の瞳に優しさを感じるのはやはり慣れない。望ましい事のはずなのにどうしてか胸騒ぎがする。


「もう一人の母に主導権を渡すのは嫌かい、カーリタース」

「あれも私ではある。神子(みこ)よ、呼べ」

「コルピティオ、おいで。ミラーがお話ししたいってさ」


 父に呼ばれてすぐ、穏やかさを装っていた表情が消えた。一転して感情を感じさせない面差しの母は、鎧こそ着けていないが充分に威圧的だ。


「カーリタースは(ぬる)い。大地の異能持ちなど殺してやればいいものを」

「コルピティオはそう思うのか」

「ノモスケファーラが吹き込んだ恩寵だぞ。我が子は憎しみを感じないのか?」

「……どうだろう?」


 淡々とした声から滲む憎悪がどうしてか嬉しい。憎むには奴隷の子についてよく知らない。まだ言葉の一つさえ交わしていない対象を憎む気持ちはないぞ。


「ミラー、そなたも(ぬる)い。カルポスではもっと殺せただろう」

「勝者が敗者から略奪する権利を邪魔しては悪かろうよ」

「そなた自身が主導して陥とせば主張できていた権利だ」

「イクタス・バーナバと争ってまで生贄を得る意味はあるまい。妻は報復する正当な権利を持っていた。俺は手を貸したまでだ」


 カルポスでは火葬ばかりしていたな。言われてみると俺自身は命に対して手を出さなかったか。都市の中核を破壊した事は『殺した』うちに入れて貰えていないようだ。


「どうして神子(みこ)と我が子の戦意はこうも低いのか」


 いずれにしても母には気に入らぬ答えだったようだ。両肩に触れられ、母の手で長椅子の上に押し倒される事には逆らわなかった。


「必要ないんだから戦わなくたっていいじゃない」

「俺達からしたらどうして母が血に飢えているのか解らんのだ」


 両肩に地獄の熱を感じる。俺には温かいが、殆どの生物にとっては有害だろう。元は鏡写しだった母の肉体をどこか遠いものとして恋しく思う。怒りをちらつかせる眼を六つある眼で覗き込めば、腐敗の邪神の司直が溜め込んでいる鬱憤を見て取れた。


「ミラーは感じないのか。より多くの生贄を求める大母の意志を」

「俺が感じるのは別の示唆だな。父はどうよ?」

「幻聴なんじゃないの。お母さんの狂気は僕らより深刻だもの」


 鏡の剣から響く父の声には母の身を案じる気遣いを感じられる。だが発言そのものは冷淡であった。


「かーちゃんがそんなに暇だと思うの、お母さん」

「偉大な我らが神をそのように言うものではないぞ、神子(みこ)よ。そなたらとデミを見守っていらっしゃるのだ」

「そう信じてるのは家族四人の中で一人しかいない事はどう考えてるのよ」

「デミは解ってくれようさ」

「デオマイアちゃんは信仰を禁止されてる。かーちゃんの話題になると寝るって知ってて言ってるよね?」

「眠らされていようとも触れる事はできる。我が身を介して神力を注ぎ、加護を認識させてやれる。いずれは信じられるようになろうさ」

「力尽くで説得できるって考えてるのはどっちもよね」


 父と話しながらも俺の上に圧し掛かろうとする母の動きは制した。上下を入れ替えようとすれば凝視を向けて来る。俺には効かぬと拒んだが、受け入れれば愉しかろうな。


「ミラー、そなたが幾度私を拒んだか覚えているか。求める度に拒まれ、捻じ伏せられた私の望みを聞き入れる気はなかろう。こうしてそなたらの無理解を認識させられるのは嘆かわしい事だ」

「ハッ、母は危なっかしいからな! 暴れたいなら魂洗いを進めるのが先だ」

「魂洗いを済ませても義務について考えてくれる訳ではあるまい」


 情に訴えようなんて母に向いた作戦じゃねえぞ。虚言を弄するよりも母には相応しい態度があろうよ。

 竜殺しが何だ、コラプション スライムの俺の方が強い。理力術で母の胴を掴み上げれば、既に展開済みの障壁の上から手加減なしの蹴りを見舞ってくれた。障壁がなかったら俺の頭を蹴り潰せたかもな。唸りを上げた筋肉の束が反れた先には幸いにして何もない。


「そんな小さな魂しかない母を前線に立たせてはやらん。殺しがしたいならまず魂洗いを済ませてくれ」


 全身に力を漲らせ、拘束を引き千切ろうする戦意の高さには敬意を払ってやるべきなのだろうな。一度では成功せずとも母なら三度か四度で脱するであろう事は認識している。包囲網を狭めるようにして十重二十重(とえはたえ)に下級術の拘束を重ねてやる。術式そのものは単純でも俺の魔術だ、父ならば解除は簡単でも母には容易くなかろう。


「いいか、コルピティオ。俺は話を聞く気がない訳じゃねえぞ。優先順位の問題だ。母をこのように力尽くで扱う事は決して本意ではない」


 真っ向戦うなら俺が負ける理由はねえよ。静観してくれている妻も俺が降ろせば武芸と魔術を両方使える。いっそ神の戦い振りを見せてやったら納得してくれねえかなと思うが、母の場合は『私にも同じような事はできる』と判断しかねない。


「理解してくれると嬉しいんだがなあ。力なら俺の方が上だろうに」

「そなたに不足しているのは暴力や魔力ではない。大母の意志を遂行しようと言う意志だ。委ねてくれさえすれば私の意志でそなたの力を振るってやれる」


 意志なあ。コルピティオを満足させるほど高い戦意とは狂気そのものではないのかな。狂信的な眼で俺に訴える母からは堕落の異能を感じさせられる。


「生憎と不正や支配相手に正気を投げ捨てるのは不利だと教わっていてよ。コルピティオのように発狂しちまったら、俺は大母の望みを叶えられまい」

「……ほう? 意志はあると?」


 興味は引けたかね。やる気がない訳じゃない、力が足りんのだと解ってくれまいか。素の母が毎回俺に手を出そうとするのは正気じゃねえからだよ……。狂気に陥って物事を考えられる幅が狭くなっていやがるんだ。


「妻の誘うままに狂った方が俺自身はきっと愉しいぞ。イクタス・バーナバが狂神だって事は忘れちゃおるまい?」

「当然だ。狂神でなかったなら、我らが神は試練など課す事なく侵略の手を打っていたであろうからな」

「そうだろ。あんまり短い間隔で暴れられると息子として悲しいぜ。俺のやる事はもうちと長い目で見てやってくれると嬉しいな」


 アディケオよ、解ってくれていると思うが母用の建前だからな! 欺きに援けをくれよ。建前として今は時期ではないのだと訴える。


「俺にとって大切なのは愛しい母が存在してくれている事だ。母が存在してくれなくなったら、地獄へ降りて婆ちゃん専属の茶坊主にでも転職してやるからな」

「……愛しているとも、我が子よ。そなたを遺して滅びはしない」

「そうかい。だったら魂洗いが先だ、いいな」

「ああ」


 母は神妙な面を作ってそう言ってはくれたが、俺としては安堵できる回答ではなかった。何しろ少しマシな方の母が老竜(エルダードラゴン)相手に突撃してくれた当日だ。凶暴性が強い方の母を宥める話の種も何か用意しないとならねえだろうな。

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