198. カルポスの日没
陽銀の部族の手を借り、即席人形と屍兵も動員して郊外の火葬には一段落付けた。
遺灰は元素術で起した風に乗せて吹き飛ばし、広範囲に散らしてやった。数日中には夏の権能が前進し、切り株と焦げ跡の目立つ密林跡を密林に変えてしまうだろう。後には何も残らない。めでたしめでたし、だ。
「こんなもんか。手伝ってくれてありがとうよ、母に父よ」
「どう致しまして、ミラー」
「我が子が良しとするならば異論はない」
俺が火葬を終える頃には、母が大母へ捧げた巨竜も余す所なく地獄へ引き取られたようだ。
「ゼナイダも付き合わせて済まんな。野晒しの亡骸を放置していては他の仕事に取り掛かれない性分でよ」
「女神の御意志でミラーの要望だもの、お手伝いするのは当然なのだ」
「そうかい。そなたの配下へも何かしらの労いを用意するよ」
「陽銀のみんなはミラーがくれるお肉とお酒が大好きだからきっと喜ぶよ」
腐敗し切った竜が残した腐汁めいた残滓は元素術で土を掘り返し、埋めてやった。ゼナイダは悪臭を気にしていたからな、俺なりの配慮だ。一通りの処理を終えた跡地でゼナイダは母を称える言葉を口にした。
「それにしてもミラーのお母さんは凄いのだ。古竜を倒した人は勇者と称えられておかしくないのだよ」
「たかが竜になど遅れは取らない。アステールでも討伐はできようし、ゼナイダの弓でもやれるのではないか?」
「アステールはあんまりやりたがらんのではないか? 討伐に失敗して怒らせた時の危険性だとか色々考えそうだからな」
「そうよ、お母さんでないと思い切り良く処理できなかったでしょ」
「そうなのだ、ゼナイダは成竜までしか狩った事がないのだ」
「二次災害に気を回して一次災害を防がない軟弱さとは無縁でありたいものだ」
父としても母の機嫌を損ねていると感じてはいるのだろう。何やら賞賛している。母自身も僥倖だったと言ってはいた。俺も機嫌を取りに回ろうかね。
「本来なら、私が戦う場合に問題となるのは逃げようとする竜を封じる手段の乏しさだ。竜は狡猾な生物だ。王者の如く振舞っていようとも、戦いの勘は決して鈍くない」
「占術で視たけどよ。母は逃げる暇を与えずに撲殺してたじゃないか」
「竜の降下した現場に弱者が数多くいたからだ。あのような状況の再現はなかなかに望み難いであろう」
母の振るう戦槌の威力は凄まじい。幸いにして俺は我が身で味わった事はないが、暗黒騎士としての力を源泉から引き出して振るった事ならある。単身で軍勢を殺せてしまう武力だ。俺なら止められるとは思うが、そもそも愛しい母と戦いたくはない。戦い方を考えるよりは、気分よく過ごして貰えるように接したい。
「僕も竜退治は成竜までなのよ。栓をして一方的に殺せたから強いとは思わない。古竜だと術に抵抗されるかもね」
「神子よ、私を煽てたいにしても卑下する事はない。そなたは鏡の剣に隠れたまま、通じるまで致死術の行使を繰り返せば済む事ではないか」
「まーね、僕だって神子様だもの」
父も母を褒めようとはしたが、むしろ銀の宝珠に触れる母に煽てられて調子に乗っている。任せてはおけんな。
「竜一頭まるまる捧げてしまえるお母さんは大胆なのだよ。牙、爪、鱗。血や肉にも凄く価値があるのに」
ゼナイダに訊いた古竜の素材の価値は今ひとつ理解できなかった。硬質の鱗を綴って鎧にしたなら相当な強度になり、牙・爪・骨と言ったものを利用して造る武具は竜の魔力を帯びると言う実利面なら理解できる。『三代と言わず五代くらいは一族が遊んで暮らせるお金になる』とは俺には実感し難い喩えだった。
「ゼナイダよ、生贄として価値があるからこそ捧げるのだ。羊を一頭捧げる者と竜を一頭捧げる者のどちらを大母が評価して下さるかは自明だ」
「それはそうなのだ。代償が貴く、神の好みに沿ったものであればあるほど願いを聞き入れて貰い易いはずだね」
「何を授かるにしても神の恩寵を受けるに相応しい魂でなくてはならないがな」
ゼナイダに教え諭すように話しながらも、母は俺を見ていた。相応しい魂なあ。俺、狂った悪になった方が祖母と母からの受けはいいんだろうな。そうした方がいいようにも思うのだが、父は中立にして中庸の方が都合がいいと考えているようだ。妻は善と悪のどちらにも振れて欲しくないらしい。間を取ると言う半端な態度だからこそ何でもできる利点を感じてはいるよ。
「ミラーも覚えておくがいい。最も価値ある捧げ物は神の契印だ。
権能への適正は人以上に問題となるが、神であれば契印を割る事ができる。世界を構成する根源的な力である大権能と小権能はより小さな要素へ解体され得る」
「あんまり小さくすると権能から異能に格落ちしちゃうけどね。契印は力の強い人や魔性が創っちゃう事もある。ミラーに神格が欲しいなら契印を奪いたい所よね」
「へえ。自分に合う力だけ抜けるんだな?」
「そうだ。ノモスケファーラが自身の資質に合うよう契印を磨き上げる事で五権能の神へと成り上がったようにな」
契印は創る事もできるが、奪う方が簡単なのだそうだ。俺はどれだけ長く生きられるか解らんからなあ。
「シュネコーの大権能は教導と価値だそうだな。プロバトンを攻めて俺が契印を奪ったとして、神格を得られるだろうか?」
「奴隷商人の擁護者として知られる羊達の教導者シュネコーか。元素術に恩恵を与える側面を持っていたと記憶している。魔術師としてのそなたに適正が全くない訳ではないと思われるが……」
母は考え込んでしまったぞ。俺には適正なしか?
「教導と価値ねえ。ミラー、三度の御飯よりお勉強は好き? 特に計算」
「父よ、飯の方が好きに決まってるだろ。今も今晩の夕食に何を食おうか考えている」
「そうよね。明らかにガリ勉な組み合わせだもの。奴隷に対して特別な思い入れもないよね?」
「ないな」
「そうなると難しいと思うよ」
父はそもそもやる気がなさそうだしよ。俺がシュネコーと戦う利は乏しいのかね。俺達の話を聞いていた妻は助言をくれた。
「我が夫に適正がある契印を欲するのなら大母の大権能に近いものを探すべきだ。神子や神族の才能は血統に強く影響される」
「そうか、シュネコーの契印が俺に合いそうにないのは仕方ねえさ。だが、妻がプロバトンを滅ぼしたいと言うのならもちろん手を貸すからな」
妻にも俺に教導と価値は合わないだろうと言われてはな。俺に合いそうな契印を持っている神もどこかにはいるのかね。
「愛しい俺の女神の戦いは俺の戦いでもあろう」
「イクタス・バーナバはミラーソードの愛を感じているとも」
娘とエファの語らいに影響されたかもな。両親とゼナイダの前ではあったが、愛しい女神への呼び掛けに妻は応えてくれた。重ね合わせた奥深くから神力が伝わり、俺に注がれていると実感すればこの上ない一体感を得られる。どうして娘には幸福な事だと思えなかったのだろう。神との合一はこんなにも心地よいと言うのに。
神降ろしの悦楽に身を委ねて笑声を上げた。妻の歓喜と共に笑う。陽銀の部族の者はゼナイダを除いて平伏し、鏡の剣を佩いた母は直立不動で耐えた。膝を突きたいなら跪いてくれていいものを。俺の母だ、大切に扱うとも。
「ミラー、長過ぎる自失は有害だ」
「イクちゃん、イクちゃん。嬉しいのは解るんだけどさ、お母さんの機嫌が危ないからミラーを離してあげてくれない?」
―――名残惜しげに妻が俺を解放してくれた時、周囲はもはや焼け焦げた密林跡ではなかった。
妻が神力を放出した周囲には膝丈ほどの高さにまで草木が生えている。夕陽が沈みつつある中、火葬の跡と土を掘り返した跡のどちらも覆い隠された。変事を証言するのは俺が外壁に開けた穴だけかもしれんな。