196. カルポス動力部
大地精はカルポスの地下へと降りる道を繋いでくれたし、エムブレポ兵の先遣部隊も安全を確保はしてくれたのだがね。
「世の地下迷宮などと言う代物は全て埋め立てるべきだと思う」
「ミラーソード様は迷宮がお嫌いですか」
「大ッ嫌いだ」
スダ・ロンに訊かれて俺が即答したのは当然だろう。
何度も出入りするのなら変成術で鉄の梯子でも創造する所だが、妻はカルポスの動力部を潰す気のようだ。一度しか出入りしないなら徒歩と理力術で降り、帰りは転移すればよい。嫌々ではあったが仕事として踏み込んだ。
「シュネコーが建造したイクタス・バーナバを拒む仕組みだ。再建できぬよう破壊したい」
「カルポスの市民は生活が立ち行かなくなると思われますが、イクタス・バーナバは完全な破壊がお望みですか。生命力徴収方式を採用した都市は地上に住む住人から微量の生命力を収奪して魔力に変換し、動力部が蓄えた魔力を市中に分配する機構を備えています。上水道、下水道、街灯、外壁を始めとする各種都市機構が停止致しますよ」
「だからだ」
俺の口を使う妻の機嫌はよろしくない。高度な魔術に通じた文明によって建てられた都市の存在そのものが気に入らないようだ。
「望むと望まざるとに関わらず民の命を捧げさせるやり口を文明と称するシュネコーにイクタス・バーナバは親しまない」
「妻の希望としては、動力部が蓄えている魔力を抜いた上で都市機能を破壊する方針でよいのだな」
「そうだ。シュネコーを奉じる住民が離散した後ならば一帯を夏の権能で満たせよう」
ミーセオにせよ旧アガソスにせよ、こんな仕組みはない。俺にはプロバトンの文明が随分と高度に思える。妻は市民の離散を誘導して追い出す気のようだがな。
「面白い仕組みではあるよね。上に住んでるだけで徴税されてるようなものよ。スダちゃんは好きなんじゃない?」
「さて……。個人的な見解としては、健康を害し易く、負傷は治り難くなり、寿命に有害な影響があるとされる生命力徴収型都市よりかは、金銭なり農作物の税で済ませる税制の方がよほど有情だと考えます」
父とスダ・ロンがそんな言葉を交わしていた。横から訊いてみる。
「税率が八割でもか?」
「命あっての物種とミーセオニーズは申しますので」
煉獄で井戸の使用料として八割の魔力を持って行く神自身は有情な気でいるらしいぞ。徴税している当人は自身を酷吏とは考えていないようだ。自覚がないのか確信犯なのかわかんねえぞ。悪神であるならば確信犯か。
「入口は封印されておるぞ」
「俺が破壊してやろうか」
「いえ、私が解除致しましょう」
今日のスダ・ロンはいやに協力的だ。エムブレポ兵と共に先行していたアステールが報告すれば、鍵がなく脇に盤のようなものが付いていた多重扉を難なく開けてしまった。
「……器用な男じゃの。儂には破壊するしかないと思えた」
「理力術の解錠と理屈はそう違いません。鍵を用いて装置を騙したまでです」
「盗賊が用いる類の鍵であろうに」
「大漁の小権能あらばこそ略奪を生業とする者に信仰されているイクタス・バーナバのお言葉としては辛辣ですな」
スダ・ロンが何をしたのか俺にはさっぱり解らなかった。父も唸っていた。
「父よ、スダ・ロンは一体何をしたのだ?」
「不正の異能で封印を騙したのかしら……? 扉の脇にあった盤が錠前だね。通行を許されている登録者が触れないと開かない仕組みのはずよ」
「不正の異能を弱いと思った事はないが、鍵開けができるとは知らなかった」
制御室の扉を開けてくれた後もスダ・ロンの独断場だった。
地下に建造されていたのは術具と呼ぶには規模の大きな魔力集積装置で、相当量の魔力を蓄えているのは一目で視認できた。装置に刻み込まれ、都市へと繋がっているらしい魔力回路は相当に複雑で難解だ。
都市の基幹設定を変更する場合は動力部で直接制御するそうだ。制御盤だと言う装置を操ったスダ・ロンは都市への魔力供給を停止し、防衛機構を沈黙させてくれたらしい。横で見ている俺には高度過ぎてさっぱり解らん。
「魔力についてはどのように消費致しましょう、イクタス・バーナバ。浪費しなければカルポスを二ヶ月運用できる程度の蓄積がございます」
「全量を我が夫が執り行う魂洗いに回せ。受け取れよう、スカンダロン」
妻にスカンダロンと呼ばれてなおスダ・ロンは曖昧に微笑んだ。
「魔力を御指定の目的で冥府に献上する事は可能です。徴税に関しては御理解を頂きたく存じます」
「ちょっとは割り引いて欲しいもんだと思うがね」
スダ・ロンでいいから喰ってしまえば、このような訳の解らぬ装置に対する知識が手に入るのだろうか。ぼやきながらも食欲を感じさせられる。それともスダ・ロンを襲っても切り離された蜥蜴の尻尾だけ食べるようなものだろうか。
「税の軽減を願われるとして、ミラーソード様は何を引き換えになさいます?」
「……その言い方だと八割収めた方がマシなもんしか要求されねえ気がする」
何となくだがデオマイアとの婚姻を認めたら身内価格の無税でいいよ、とは言わん気がする。税に拘りがあるのか?
「デミはやるべきではないぞ、ミラー」
「解ってるよ。俺が応じた日には間違いなく愛娘の機嫌を損ねる」
母も釘を刺して来るしよ。愛娘と母と大君とエファに結託して反逆されたら余裕で負けると思うぞ、俺。
結局、スダ・ロンは動力部から魔力を消し去るようにして処理してくれた。俺の感覚で言うと装置に蓄積されていた魔力が下方へと吸引されたように感じられた。
「なあ、大使。そなたはパラクレートス線が集めているはずの魔力でも同じ事ができるか?」
「パラクレートス線は大気中と地中の魔素を吸収し、夏の権能を阻害する機構として運用されている装置です。生命力吸収型と魔素吸収型と言う様式の違いはあるとしても、魔力をどなたかへ捧げる事に大きな違いはないものと御理解下さい」
「供物を捧げる要領でいいんだろうか」
「大きくは違いません。イクタス・バーナバからお譲り頂いたカルポスの魔力は先払いされたと看做され、暫くの間は魂洗いが容易になると思われます」
「そうか。母の魂を癒せるなら喜ばしい」
すると母の魂洗いを進めるのが楽になるかね? 今は妻にカルポスを統治する気がなかったから全て奪い取ってしまったが、こういう仕組みのある都市に満たされし聖釜を置いて弱い命を飼う事を考えてもいいのかもな。
「高度な機構ではあるので破壊を惜しくは思います」
「イクタス・バーナバには必要ない。このような呪わしい仕組みを用いねば生きられぬ弱き民は奴隷にしかならぬ」
妻のお気に召す考え方ではないようで、制御室の封印と言った温いやり方では嫌だそうだ。妻の望みとあらば腐敗させてやるよ。
「かつてシュネコーは奴隷の擁護者だった。今のシュネコーは奴隷商人の擁護者だ。
シュネコーの大権能は二つ。教導と価値だ。学習を助け、民の持つ才能を開花する道を教える。民を磨く神ではあったのだがな」
俺の術で腐り落ちる動力部を眺めながら妻が教えてくれた。
「シュネコーは奴隷に受容と納得を説き、諦念を植え付けて奴隷の身に留め置こうとする悪神だ。シュネコーをよく奉じ教育と取引に秀でた奴隷は奴隷商人の一人として祝福され、奴隷と傭兵の売買に携わる。プロバトンの民は救い難い奴隷ばかり育てている」
俺の女神は哀れな魂の救済と民を磨く事に関心を持っている。プロバトンのやり方は気に入らないものの、隣国として許容してはいたそうな。
「夏殺しに後背を突かれる恐れのない今、プロバトンを攻め滅ぼす事を考えるべきなのかもしれぬ」
妻はまだ意志を定めてはいない。しかし戦を考えてはいるようだった。