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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
夏の都のミラーソード I
195/502

194. プロバトンとの国境

 妻が俺に見せたエムブレポ東端の情景は大量の死体、倒れ伏して急速に腐敗しつつある一匹の巨竜、全身に返り血を浴びて笑う母、恐慌状態に陥って高く分厚そうな壁へ向かって逃げ出そうとする異国の軍だ。何やら楽しそうだが、どうやら俺は母を問い質さねばならんなあ。


 転移門(ポータル)から一歩出れば夏の権能が及んでいる範囲の境、密林の切れ目と思しき地点だった。俺は伐採された木々の切り株と多数の死体に出迎えられた。死体は四種類ある。武装らしい武装をしておらず、労働者と思しき死体。異国の一般兵と思しき死体。ある程度位の高い士官と思しき兵の死体。六眼と銀の鱗を持つ者が混ざっている皮鎧の集団はエムブレポ兵だろう。死因は特定できない。斬り傷、刺し傷、矢傷、打撃によって陥没したもの、恐るべき質量に潰されたもの。


 ゼナイダがエムブレピアンらしき集団の生死を確認して回っている。スダ・ロンは占術で死者らの死因を調べているようだ。


「彼女達は晩夏の部族なのだ、ミラー」

「命のある者はいそうかね」

「……難しいと思う。死の間際まで随分と無理をして戦ったようなのだ」


 晩夏の部族はエムブレポの八部族のうちの一つだ。ゼナイダが調べている死体は腐敗はしていない。ここいらにあるエムブレピアンの死体は母が腐敗によって殺して地獄へ送った訳ではなさそうだが……。


「妻よ、何が起きたのだ?」


 晩夏の部族の死者は俺が蘇生させてやるべきかね? 移動前に準備し直したのは主に治癒術だ。蘇生など普段は準備しておらん。


「イクタス・バーナバの視る所、プロバトンの奴隷商人どもが欲の皮を突っ張らせおったな」

「概ね仰る通りです、イクタス・バーナバ」


 妻が知識を流し込んで来るので読み取る努力をする。俺の頭には速くて情報量が多いがね。噛み砕いて理解に努める。

 狂土エムブレポの東側は商業連合プロバトンと国境を接している。プロバトン側は国境都市に魔力回路を刻み込んだ巨大な石壁を築いて夏の権能の侵食を阻みつつ、冬であっても常夏で森の恵みを得られるエムブレポの密林から糧を得ていた。晩夏の部族は密林に立ち入るプロバトンの民と取引し、ある程度の採集や狩猟に対しては目溢ししていたらしい。


「プロバトン側が晩夏の部族に警告された限度を超えて採取と伐採を行ったようです。公式に宣戦を布告して報復すべき案件ではないでしょうか、イクタス・バーナバよ?」

「対等な同盟を締結した上でならば、同盟相手であるミーセオ帝国からの要望に応じてやっても良いのだがな」

「帝国にとっては歓迎すべき御言葉です」


 スダ・ロンが剣呑な声を出す妻に何やら進言めいた事を言っているが、要はミーセオ帝国と東部戦線で交戦状態にあるプロバトンに南西側から攻め入って欲しいのだろ。


「竜の死体は何だ? エムブレポとプロバトンだけの争いではないな?」

「少々お待ち下さい。状況を知っていそうな魂を詰問しておりますので」


 ……スダ・ロンが行使しているのは死霊術か? それとも煉獄へ堕として問い詰めてでもいるのか。どちらとも取れる言い方をしやがったぞ。

 妻から流れ込んで来た情報をもう少し咀嚼してみる。晩夏の部族はプロバトン側による密林への立ち入りを見逃してはいたが、大規模な伐採までは許していなかった。晩夏の部族はプロバトンの労働者を拉致や殺害したものの、プロバトン側は労働者と共に結構な数の兵を出して来たようだ。広く伐採された密林を上空から見て取り、二者の争いを食べ易そうな肉の群れと看做した黄の鱗の巨竜が食事をしようと降りて来た。それだけなら竜の圧勝だったのだろうが。


「ミラーソードの母が我が子らとプロバトン兵 諸共に殺したようだな」


 どうしよう、眼球のない六つの眼が全てあらぬ方へ泳ぐのを感じる。アステールよ、母を止めてはくれなかったか。それとも母の決断が速過ぎたか。どう見たってこの屍骸の量は事後だぞ。俺の周囲は妻の力が及び易いのか、焼け焦げて燻る大地の下から新たな草木が萌え出ようとしている気配がある。


「ええ。竜はまず上空から炎を吐いてプロバトンへの退路を塞ぎ、炎と密林に挟まれた格好となったプロバトンの民と兵を喰らったようです。晩夏の部族は殿(しんがり)働きをした以外の相当数が混乱に乗じて退却できたのではないですか?」

「我が子らは血を流した」

「母の巻き添えやプロバトン兵の犠牲になった蘇生できそうな子については俺が呼び戻そう」


 妻の機嫌が大分よろしくない。愛しい母がやらかしたのならば庇う必要はある。

 焼け焦げてまだ熱い大地を術で冷やしながらプロバトン側へ向かって歩く。俺一人なら理力術で飛翔すればいいが、着いて来るゼナイダとスダ・ロンは歩きなのでな。腐敗が進行し、腐り落ちつつある竜の血肉が悪臭を発している。母は随分と長く生きた竜の魂を大母へ捧げたようだ。腐臭を嗅ぐと両肩の烙印が疼いた。俺にとっては不快ではないが、ゼナイダは元素術で風を起こし匂いを他所へと流し始めた。


「状況の説明を求めても良かろうな、母に父よ。アステールでも構わんぞ」


 マカリオスは転移門(ポータル)を通過した後、真っ先に血塗れの母らと合流しプロバトン兵に向けて斧を構えていたようだ。銀の鱗に覆われた総身から威圧感を発し、両手で斧を手に石壁を睨んでいる。逃げて行くプロバトン兵に対して母には追撃の意思がないようで、アステールが元素術で出したらしい大きな水球で装備を洗っている。


「ミラー、お母さんが張り切り過ぎたのよ」

「随分と早かったな、ミラー」

「……手頃な獲物を見つけた暗黒騎士殿が飛び出してしもうての」


 手頃? 成竜(アダルトドラゴン)よりも歳経た竜は、母でも単独での討伐を見送る強さの魔獣ではなかったのか?


「大母には喜んで頂けたと思うぞ。老黄竜エルダーイエロードラゴンを捧げる事ができたのは僥倖(ぎょうこう)だ」

「巣に貯め込んでるはずの財宝がどこにあるのか分かんないのは残念だけどね。南側の山から飛んで来たみたいよ」


 血を洗い流している母は戦果について誇らしげだし、父が残念がっているのは竜の財宝の所在が不明な事だ。母は逆らう者に容赦ないが、逆らわなくても容赦ない。弱者の命は生贄としか考えておるまい。


「母とアステールに負傷がないのはいいがね。夏の宮殿で妻に知らされた時は驚いたぞ」

「相談に戻っては好機を見逃しそうだったのでな。挑んでしまった」


 占術で至近の過去を視てみれば、数多くの弱者を戦槌で生贄めいて屠り、捧げられた生贄を糧とした邪神その人めいた猛攻で母が巨竜を殴り倒していた。一方的に一体何回殴ったんだよ? 母と敵対する者は雑兵を連れていてはならんのだと思う。生贄として屠られ、理不尽な回数の攻撃で殴り殺されるぞ。暴力で巨竜を捻じ伏せた母の美しさは格別だ。視た情景を宝玉球に封じ、デオマイアにも視せてやりたい。いい土産になるだろう。


「妻よ、目の前の都市は攻め落とすか? 晩夏の子らを殺されたそなたの慰めに滅ぼしてやろうか」


 全面的にプロバトンに罪を擦り付けるべく、俺はそういう言い方をした。ミーセオ帝国と商業連合プロバトンは帝国東部において戦争状態だ。アディケオの第三使徒である俺がエムブレポ側の国境からプロバトンを攻撃するのは別に構わぬだろう。なあ、サイ大師よ?


「スダ・ロンはどうだ、俺がアディケオの使徒にしてイクタス・バーナバの夫として不埒なプロバトンを攻撃する事に問題はあるか? 東部戦線はまだ停戦していないよな」

「問題はないものと考えます。東部戦線はプロバトン側からの譲歩を引き出す為に交渉を引き延ばしております」

「強めに殴り付けても問題はないと思うか」

「エムブレポに隣接したプロバトンの都市をミーセオの大君なり守護に治めさせるよりは、エムブレポに譲るべきでございましょう」


 帝国側の意向としては問題なさそうだぞ。エムブレポをプロバトンとの戦争に参戦させる好機と見られている。都市一つの制圧などマカリオス一人でもできそうな案件ではある。


「イクタス・バーナバが挑まれた(いくさ)を恐れる事はない。カルポスへの報復など二刻と要さぬ」


 妻は俺の肉体を窮屈そうにではあるが扱い、大地精を召喚した。以前パラクレートス線で戦ったのと同等の戦術級だ。本来なら四十人前後の精霊徒なり精霊導師が乗り込んで使役すべき代物だが、妻は担い手として第一使徒を指名した。


「マカリオスよ、担え。イクタス・バーナバの怒りを示せ」

「女神の御意志の通りに」


 妻はマカリオスを転移で精霊の内部へ送り込み、支配権を与えたらしい。

 精霊術を極めたマカリオスが担い手となって操る精霊は術師を内蔵しない精霊とは比較にならぬ強さになる。妻の第一使徒は自らの手で斧を振るって戦う事にも優れているが、巨大な精霊に己の武芸を扱わせる事こそが真価だ。マカリオスの操る大地精は岩山めいた外殻の下部を蠢かせ、一本だけ巨大な触手を生やした。黒曜石のような艶のある湾曲した石の斧を握るかのような異形の腕は太く、斧はいかにも鋭く重そうだ。


 更に妻は大地精に接させて転移門(ポータル)を開き、夏の宮殿から陽銀の部族を移動させ始めている。大地精の下部からマカリオスの斧よりは小さな黒曜石めいた触手が生える様からすれば、精霊徒も呼び寄せているようだ。夏の宮殿と都では(いくさ)の召集を告げる狼煙が焚かれている。


「我が夫には石壁の破壊を頼みたい。魔力回路を形成するカルポスの石壁は精霊の力を弱め、夏の権能に対する防護壁でもある」

「いいぜ、腐敗させてやろう」


 カルポスの人口は四千ほどだそうだ。取引相手として有益だったから生かしておいたと言うだけの事だな。プロバトンの対エムブレポ最前線として兵力を手厚く持ってはいるようだが、怒れる妻からすれば大した総兵力ではない。竜と母に減らされた直後でもある。妻の意向を感じ取り、俺が代弁する。


「母よ、カルポス攻略はエムブレポ側に譲ってくれるかね? 逆らう者は殺して構わぬが、妻はある程度の数の有益な奴隷と男が欲しいそうだ」

「女には関心が低いのだな?」

「よほど優秀でない限り、エムブレポに外国の女は必要ないそうだ」

「よかろう」


 一通りの洗浄を済ませて血を洗い流した母が(よこしま)で恐ろしげな笑い方をした。何か企んでいるようだからあまり目を離すべきではないな。アステールにも声を掛ける。


「アステール好みの仕事ではなかろう。スダ・ロンの警護を頼めるか」

「国境付近の様子が知りたいと言われ、転移で連れて来た責任を感じておるのだがな」

「アステールは真面目に考え過ぎよ。お母さんが暴れた責任まで請け負っちゃったらハゲるんじゃない?」

「スタウロス公の手を煩わせる事はない。イクタス・バーナバは愚か者への報復を厭わないが、従順な奴隷には相応の扱いをする」

「……非道は好まぬが、正当な報復を非難はすまい」


 アステールは複雑そうだがね。血は流れるにしても、妻はカルポスを完全に破壊する気はなさそうだ。報復として攻撃し、晩夏の部族が被った被害に見合う数の奴隷を得たら引き揚げるとさ。

 俺は壁の一部を破壊した後、魔力を温存が妥当かな。妻は陽銀の部族を投入する以上は負ける気など微塵もあるまいが、高度な治療はおそらく俺が頭一つ抜けて上手い。魔術師にして暗黒騎士なんだがなあ。治癒術の使い勝手が良過ぎるのがいかんのだ。


「妻よ、兵の用意がよければ言ってくれ。要望通り、石壁は俺が溶かしてやる」

「マカリオスの突入後に都と宮殿から兵を呼び寄せる」

「帝国としてもエムブレポによる奇襲や先制攻撃ではなく、領土侵犯に対するカルポスへの正当な報復行動だったと証言できましょう」


 俺達にとっては難しい仕事ではない。神直々の号令の上、第一使徒級が何人いると思っているのだ。制圧自体はすぐに済むさ。

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