193. 隠れ神の権能
俺自身は気の向くままに変成術を振るって菓子や飲み物を創り出し、好きなように食っている。ミーセオとエムブレポの話し合いに参加せず眺めているのは退屈な仕事ではある。妻と話そうにも、沈黙している妻はどうやら母とアステールの様子に注意を向けているらしい。そうなるとスダ・ロンへの監視は俺の担当だ。ミーセオの大使にしてサイ大師、崩落の大君スカンダロンの分霊だと言う扱いを間違えば面倒な事になる男だ。
母と娘の魂洗いを終えるまであと何日要るだろうなあ。煉獄の税率が八割と高くなければ今頃は五倍進捗が良かったのか? と考えてしまうのはいい傾向ではない。
でもなあ。両肩の烙印はイクタス・バーナバの契印は手が届かない存在ではないと囁く一方、スカンダロンと事を構えろとは言って来ない。小権能が二つしかない小神が俺よりも強そうに見える訳がないとは思う。最低でも大権能を一つは持っているのだろうとは思うが、スカンダロンに関しては知識が足りなさ過ぎる。何を捧げて祀ればいいのかヤン・グァンに訊ねたら、存在そのものを知らなかった。
『ヤン・グァンが名前さえ知らんのか? 実在はしているぞ。煉獄の神で、俺に魂洗いの秘儀を教えてくれた。アディケオの配下で、従属神だろうと母は言っていた』
『……すると隠れ神でありましょうかな』
『隠れ神? 信仰される必要のある神が隠れていられるのか?』
『神々の権能の中には信仰していると認識していない者からも信奉を集める性質を持つものがありますぞ、ミラーソード様』
『具体的にはどんな権能だ?』
『季節の権能が代表格ですな。夏の訪れを喜ぶ心、成長を促してくれる夏を謳歌する行為そのもの、夏祭りとして執り行われる祭事も夏の大神への奉献となります。たとえ民がイクタス・バーナバの名と権能を知らずとも、夏の権能は多くの信奉を集める性質を有しております』
『冬の権能に捧げられるのは氷と雪に閉ざされる事による戦の停止への感謝、豪雪を鎮めて欲しいと願う祈り、恵みの無い寒さの中で真摯に請われる慈悲と言った諸事ですかの。冬の大神が必要とするだけの信奉が満たされた時、春の大神への交代を考えさせると言われております』
『すると我が妻は相当に強そうだな。神自身が隠れていても信仰を得られる権能があるのは解った。スカンダロンがどのくらい強いのか察しを付けたいんだがなあ』
『難しいと存じますぞ。真にアディケオの従属神であれば、上手に隠れておりましょうからのう……』
ヤン・グァンに言わせると隠れ神ではないかと言う話だった。サイ大師はそんな大人しそうな存在には見えないんだがな。母はアディケオの関与を疑えと言っていたか。魂洗いから連想される水、もしくは崩落なり陥穽から連想される地絡みの権能を持っている神の別名である可能性を考慮して調べて貰ってはいる。何らかの形で信仰されてはいるはずなのだ。
『神と戦うならば神自身と権能について調べ上げるべきだ』
『調べる……なあ。母がそう言うのだから重要なのだな?』
『弱点を持つ神ならば、弱点を突く事で容易に殺せる。私が殺めた中で最も容易く殺せた神はある種の魚の薫香を苦手としていた』
『燻した魚……? 神なのにか』
『長く生きた獣から昇神した弱き神はつまらぬ弱点を残していた。そなたの幽霊恐怖症のようなものだ』
母がそう言っていたよ。もし俺が昇神しても弱点が残るとしたら笑えない話だ。お化けを怖がる美食を擁護する神など容易く討たれそうではないか?
もしかしたら俺の『サイ大師には勝てる気がしない』と言う子分めいた意識は認識欺瞞の産物ないし誤認なのではないか、と仮定して戦い方を考えてみた事もある。だとしても、権能の見当すら付かない状態で戦いを挑んだら厳しく仕置きされそうだ。第一使徒としてアディケオから不正と水と統治の異能を誰よりも強く授かっている上、自身も神であると言う存在が生半可な強さの筈がない。
サイ大師の事はそれなりに尊敬していたし、嫁に欲しいと思ってはいるのだがな。スカンダロンに捧げるべき供物は解らぬままだから、時折思い出しては謎めいた神に母と娘の魂洗いを無事に終えさせて欲しいと祈るだけだ。熱心な信奉者に対しては権能を教えてくれるのではないかな。裏切りが前提だと見抜かれていてはダメかね? 喰いたいとは思っているからなあ。
片目を閉じてリンミにいるピーちゃんの視野を覗けば、娘とエファは何やら楽しげにミーセオ風の昼食を摂っている。まず匂いがいい。美味いのも知っている。すると涎が分泌される。自作した煎餅で紛らわせるが、もっと美味いものが食いたいとは思う。命も喰いたい。
ダラルロートは認識欺瞞でよう判らんが、席には着かずデオマイアの脇に控えている。エファ達は午後には間食を持ち運び、ピーちゃんに乗ってデートだそうな。
「ピーちゃんには二人乗りできるのだよ。午後はデミとリンミ湖の上を飛んで遊びたいのだ。どうだろう、ダラルロート」
「例年よりは温かな日が続いてはおりますがねえ」
「気温は俺が元素術でどうとでもする。寒い思いをする事はない」
「デートしよう、デート。ね、デミ」
「デートか。響きは悪くない」
「出掛けた先でおやつを食べよう」
「デオマイア様の情緒にはよろしいかもしれませんな。携行する間食と飲料の用意をさせましょう」
……娘はまんざらでもなさそうにしているし、エファは浮かれているようだ。
羨ましく思いさえしたが、俺は子供として振舞える身ではない。むしろ暴走しかねない母の抑えに回らねばならん。妻からの警鐘と共に、視野が夏の宮殿から夏の版図の東側の境界に変えられた。見せられた光景は俺を立ち上がりざま怒鳴り付けさせた。
「スダ・ロン、会議は中座する! 母がなんかやらかしたぞ!?」
「出向かれるのですか?」
「貴様から目を離す気はねえ、大使も来い! 妻よ!」
呼び掛ければ妻は現地へ繋がる転移門を開いてくれた。ゼナイダが真っ先に飛び込み、マカリオスも迷い無く姿を消した。俺はスダ・ロンを先に行かせ、幾つかの術式を準備し直した上で転移門へ踏み込んだ。