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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
夏の都のミラーソード I
192/502

191. エムブレポの実情

 エファはデオマイアと上手くやれそうだな。ダラルロートもいる。余程の事がなければ俺が手を出すべきではなさそうだ。心の痛む会話はあまり聞きたくもない。

 母は朝食の後にアステールと父を連れて出掛けた。大物を狩りたいそうで少し遠出をする気らしかったが、大丈夫かね。


 夏の宮殿に滞在する偽りの神王はと言えば、エムブレポの有力者との面会をこなしていた。多くの者は眼球のない六眼と白い鱗に驚き、妻の発する神威に平伏するばかりだ。妻の第一使徒マカリオスと第二使徒ゼナイダが同席しているので尚更だろう。

 今退出したばかりの陰銀の部族の精霊導師のように比較的冷静な者の口からは、エムブレポの民がどのような暮らしをしているのか訊く機会も少しはあった。大使スダ・ロンは俺が何を考えていたかお見通しとでも言いたげだ。微笑みを崩してはいないが、サイ大師の咎めの色を感じなくもない。


「心ここに非ずと言った御様子ですね、ミラーソード様」

「俺とても娘は可愛い。なあ、妻よ」

「イクタス・バーナバの夫はまだ神としての視野に慣れていない」


 夏の宮殿は現世における妻の本拠地だ、サイ大師に勝手をさせる気はあるまいがね。

 俺の口で語る妻は神として複雑化かつ高速化した思考をする事に慣れているようだが、俺の頭は一つしかない。分体達も出払っている今、何かを決めるつもりはない。

 デオマイアと自宅で暮らせるようになる為にも、帝国との同盟交渉を進める必要性を感じてはいる。マカリオスとゼナイダに座って貰い、ミーセオ側とエムブレポ側で卓を囲む格好にした。


「俺は数日、エムブレポの民に会って拝まれながら話を聞いていた訳だけどよ」

「婿殿は我等が女神の地をどう感じられた?」


 マカリオスの六眼が俺を見る眼に冷たさはない。ただ、俺がいかに異質な魔性であるか知っている者の眼だ。妻が命じれば俺を討つ為に斧を振るうだろう。命じられなければ女神の夫、婿殿待遇だ。常に妻の意志を第一に優先してくれるのはいいが、マカリオス自身の意志を見せている事は少ないのではないか。もうちと仲良くなりたいが、難しいかね。


「民が強い」


 狂土エムブレポを一言で言うとこうだ。リンミニア領は当然としてミーセオ帝国ともレベルがまるで違う。陰銀の部族の漁師や猟師は夏の都の周辺にいる獣を狩れる強さで、下手をすれば術も使う。陽銀の部族の戦士ならば術が扱えずとも血の力を振るう者もいる。実質的に陽銀の全員が何らかの魔法を使うようなものだ。夏の宮殿で側仕えとして振舞っている陽銀の部族の者は精霊徒と精霊導師ばかりだ。戦えない者は見当たらない。

 5人に1人が魔法を扱えると言うのは凄まじいぞ。他国からは未開の地だと言われているが、そこいら中に魔法が溢れている。もしシャンディがリンミからエムブレポに攫って来られたなら、陰銀の部族の術師にさえ埋没しかねない。

 子供を除き、戦えない王族は一人もいない。精霊神であるイクタス・バーナバの権能の都合で武芸よりも魔術の方が強いにしても、狂魚の鱗は兵に超軽量の板金鎧を着せているようなものだ。俺に生えた白い鱗ならば更に強靭だ。


「俺の食欲を刺激するほどではないが、それでもリンミの市民とは隔絶している」

「我が夫とリンミの大君は民を養ってはいるが、民を磨いていないからだ」


 妻に言わせるとそう言う事なんだよ。スダ・ロンに視線を遣るが、微笑みを崩す様子がない。


「マカリオス向けに説明するとさ、俺はリンミの聖火堂に術具を二つ置いている。

 一つは絶えざる油壺。死んだ民を火葬して灰にする清めの術具だ。もう一つは満たされし聖釜。一杯飲んだら一日働けるだけの栄養と活力を与えるスープを湧き出させる術具さ。供給量が足りなくなったと言う報告は一度も受けていない。救貧を求める民にスープを与えている。カネがなくても狩りができなくても、生きて働けるようにはしてやるのさ」


 マカリオスに水を向ける。ゼナイダでもいいがね。


「エムブレポを護る第一使徒なら疑問点があるだろ、マカリオス」

「……理解が間違っていなければ、婿殿の国は狩りのできない者も飢えないのだな?」

「そうだ。夏の都の周辺にいる獣相手の狩猟はできない民ばかりだ。

 兵にしても緑若竜グリーンヤングドラゴンをリンミニア兵の一部隊だけで狩れたら勲章もんだぞ? 騎士を動員すれば狩れるにしても無傷とはいかねえし、成竜(アダルトドラゴン)以上が相手だと全滅しかねない」


 一方、エムブレピアンだと猟師が三人もいたら若竜(ヤングドラゴン)を狩って来れるそうだ。陽銀と六部族の戦士ではなく、陰銀の部族に大勢いる猟師でいい。


「河と湖があるから商人が多いんだ。荷物を運んで帝国や近隣の小領を相手に商売している民が多い。物を作る工人(こうじん)も狩りには出ない」


 農業はリンミニア領内に点在する集落の生産力と輸入で賄っている。街壁の拡張工事に伴って農地を街壁の内側に開墾させ食糧生産力を増強する計画ではあるが、現時点では商業と工業で上げた利益で穀物を買って来ている勘定だ。


「マカリオスがリンミへ遊びに来たら民の弱々しさに驚くのではないか。

 弱いと言っても、手を出されたら俺が処罰に乗り出す事は忘れて欲しくないがね」


 マカリオスは何やら不思議そうにしとるな。『弱者からは剥ぎ取って当然』的な思考が妻を介して感じられる。ゼナイダは引き裂かれた元がエファだ、ミーセオニーズやアガソニアンの暮らし振りを理解はしている。


「リンミの大君は疑いなく強者だが、民を磨く事には関心が薄い。争わせなければ民は磨かれない」

「大君も争わせてはいるんだぜ、妻よ。芸術やら料理の方面で競っているから、工芸品が美しくなったり飯が美味くなるばっかりだけどよ」


 価値観が違うんだよな。俺はリンミニアの支配者としてリンミを擁護する。


「交易品に支払ったカネでリンミなりミーセオの飯を食べてくれれば解るさ。美味い飯を作らせたいなら料理人は狩りに行かせず、肉なり魚を渡して料理に専念させてやった方がいい」


 エムブレポだと狩って来た者が肉を食い、獲物を分配する。狩りに出ず養われる身分なのは陰銀の子守と子供に、略奪されて来た男奴隷くらいか。獲物を獲れない男奴隷はよほどの使い道を示さねえと売られるそうだが、夫を求める女が多いから食っては行けるらしい。


「戦えない者が何を作っても略奪されるのではないか?」

「リンミの支配者は俺で、大君はダラルロートだ。リンミ市内を荒らされたら誰であろうと聖火堂に送ってやる。腕っ節の弱い民にも特技があって、強者である俺達が保護していると言ったら理解してくれるかね?」

「南頭の部族が従属させている集落のようなものか。手を出せば南頭の部族に報復される。好戦的な虎牙や虎爪であってもよほど飢えなければ襲わない」

「マカリオスの理解で間違ってはいないのだよ」


 南頭の部族と言うのは比較的交渉できそうな部族だ。

 狂土エムブレポの総人口は帝国に較べたら極小数とさえ言えるエムブレピアンの総数そのままではない。夏の都にはエムブレピアンではない男奴隷らも生活しているし、イクタス・バーナバに恭順を誓い農耕して暮らすエムブレポ南方外延部の集落が存在する。

 南頭の部族は比較的外征を好まず、集落を護る兵めいて動く事が多いそうな。ティリンス地方を侵略していた北頭の部族や虎牙の部族とは性格が違う。最も交渉し易いと目されている部族は第一使徒マカリオスが長を務める陽銀だが、南頭も話が通じる見込みはある。

 問題があるとすれば南頭の部族の移動範囲は専らエムブレポの版図の外側で、妻が密林を退かして拓いた道からは遠く離れている。交易路の用心棒役として交渉するには遠い。


 エムブレポの環境は苛酷だ。弱者は長生きできないし、強者であってさえ寿命は他種族よりも短い。妻に『民を磨いていない』と言われた満たされし聖釜は救貧の薬だろうか、それとも命喰らいの魔性が撒いた毒だろうか。思う所はある。


「帝国が希望しているのは戦術級精霊と精霊導師を含む兵力千の提供と通商だよな。

 見返りとして帝国が提案しているのは官僚団による八部族の統一と中央集権化の手伝いやら、各部族が男と食糧を求めて争う事を満たされし聖釜の提供で抑えると。妻が歓迎していなかった理由への理解は深まったと思うぞ」


 出立前から帝国の提案はエムブレポにとって有り難くない内容だとは妻に知らされていた。サイ大師が扮する大使スダ・ロンの本音はどうにも測り難かったし、俺はエムブレポの事を知らなかった。


「兵力として千ってのはなあ。陽銀の部族から千出せってのは無理だろ、マカリオス」

「夏の都と宮殿を護るべき陽銀の戦士が不足する。同意できない」


 妻に諮るまでも無く即答だ。当然だな。出発前の会見でもスダ・ロンは妻に『達成は至難』と言われていた数だ。

 夏の都に定住していて人口の多い陽銀の部族と陰銀の部族だが、近衛にして側仕えを務める陽銀の部族は貴族階級であり最精鋭だ。妻の権能に浴し、六眼か狂魚の鱗を授かっていなければ親が陽銀であっても陽銀の部族の戦士にはなれない。エファほどには強くないとしても、俺の分体と比較する方が間違っている。新米のピーちゃん以外は神に仕える第一使徒が務まる個人ばかりだ。


「陽銀の部族の者から精霊導師と精霊徒を含んで百、兵卒として陰銀他から九百相当ならどうだろう?

 話を聞く限り、猟師でもミーセオ兵より相当強いぞ。半年か一年で人員を交代できるように条文を決めて、臨月の近い妊婦を夏の都へ送って交代させるのも有りなら現実的なんじゃねえの?」

「百か。我らが女神の御意向を伺っても?」

「イクタス・バーナバにとって好ましくはないが、出せなくはあるまい」


 エムブレピアンは女の方が多いし、子作りにも熱心だ。しかし出産を控えて腹を大きくした女は戦わせない方がいい、と言う点はエムブレピアンもミーセオニーズやアガソニアンと変わらない。ではどうしているのか?

 夏の都に住まず、絶えず密林の中を泳ぐように移動する六部族の民には非戦闘要員が存在しない。妊娠した女は臨月が近付くと夏の都へ送られて陰銀の部族の産婆に世話を受け、子を産んで数日 養生したなら生まれた子を預けて戦士として旅立つ。

 妻は夏の権能によって召喚術への習熟を助けており、エムブレピアンの精霊導師は召喚術を得手とする。夏の都へ長距離転移で臨月の近い母や傷病者を送る事を生業として旅する陰銀の部族の精霊導師がいて、どの部族からも手厚く持て成されるそうな。ついさっきまで面会していた陰銀の部族の者から聞いた話だ、頭がよろしくないと評判の俺が娘の様子を伺いながらであっても覚えている。


「ミラーソード様、帝国としては陽銀の部族の方を多くして頂きたいです」


 陽銀ね。エムブレピアンは女が極度に多くて、女の産んだ子は夏の都で育てられる。しかし陽銀の部族は他の部族よりは男が多い。


「スダ・ロンよ、帝国側が提供したがっている商品はエムブレポの現体制にとって魅力的じゃなさそうだ。

 当代の女王は有能だが、継承する次期女王はそこまでじゃない。八部族を強権的に束ねるほどの力はあるまい。俺かデオマイアに即位しろってのはナシな」

「ミラーソード様に神王として即位して頂くのがエムブレポにとって最善であると繰り返し提言はさせて頂きます。官僚制を採る帝国の価値観を近隣諸国に広める事は帝国の安定に寄与します」

「ミーセオ帝国にとって最善の間違いだろ、サイ大師。俺自身は婆ちゃんの意向でやらなきゃならん事があるから、国王だの神王にはなってやれん。両国の利に適うのは女王か妻が男児を産んでくれて、真の神王が即位する事だと思うぞ」


 偽りの神王には父親役までが精一杯さ。


「通商関係を持ちたいんだよな? 要らぬと言われている品を売り付けるよりは、誼を結ぶ事を優先すべきではないのか? エムブレポ兵に追い立てられて逃げたミーセオ兵の督戦は面倒な仕事だったぞ」


 現にリンミと夏の都の間には交易用の転移陣を設置済みだ。リンミニアとエムブレポには血縁関係があるからなあ。

 結局は兵力として欲しい訳じゃなくて、帝国の南方に対する不安を拭いたいから人質を大量に寄越せって話なのかね。


「そもそも欲しいのは陽銀の部族の男だと理解していいのか?

 5人に1人が魔法を扱える血統だ。500人に1人しか魔法使いが見つからないし、異能持ちも多くはない帝国からしたら高価な貢物なんだろ」


 帝国に敵対していると看做される一線がどこにあるんだか解らんのはおっかねえがな。サイ大師の勘気に触れたら妻と大母の力を借りてでも殴り合いはするが、話を纏められるならそうした方がいい。アディケオの第三使徒として『エムブレポ兵千の正当な戦力評価はミーセオ兵一万に匹敵するよな』と言わずにいる程度には配慮している。


「少なくとも派兵中のエムブレポ兵に子供ができた場合、どちらの国の子供なのかは事前に取り決めておくべきだよな? 帝国側の使節として義務は果たすが、妻に不利過ぎる条項はイクタス・バーナバの夫として受け入れ難い」

「エムブレポの女が産んだ子はエムブレポの子として育てるのが我々の掟だ」

「女が、とは言ってくれているのだから交渉のしようはあると思うしよ」


 マカリオスは陽銀の長だからな。エムブレポ国内の裁判を取り仕切る陽銀の部族の元締めが言うんだから、そうなんだろ。


「サイ大師は俺に女性を紹介できると言っていたよなあ、スダ・ロン。

 素直に縁談を何件か持ち込んだ方がいいんじゃねえか? 陽銀の部族の者には六眼か鱗のどちらかはあるだろうがね」


 そうした方が名ばかりの同盟関係にはならんと思うのだがな。名実共にあった方が良かろうに。六眼や鱗が嫌だと言うなら、そもそも同盟できる間柄ではないのだろう。


「マカリオスもどうなんだ? ミーセオから嫁を貰ってくれと言われたら陽銀の男のうち何人が夫になれる? 嫁に出した女の産んだ子をミーセオの子として扱う事はできるか?」


 文化が違う二国間だから難しいのかもしれんがね。デオマイアを欲しがるサイ大師にしても俺から人質を取りたい訳だろ。


「縁談についてはこの場では即答できかねます。持ち帰り、検討させて頂ければ」

「女に所有されていない陽銀の男となると多くはない。部族を離れた女についても本来ならば子共々に連れ戻す」

「でも連れ戻しちゃうときっと(いくさ)なのだ、マカリオス」

「だろうな。ミーセオ帝国の使節の代表として、我々はまだ随分と話し合うべき事がありそうだとは思っているよ」


 リンミにいるデオマイアとエファがダラルロートに勉強をさせられている間、提案するだけはしてみた。デオマイアの誤答を粘着質な声音で正すダラルロートを鳥の目を介して眺めるとリンミに行きたくていかん。

 サイ大師の思惑に少しでも掠ってはいるのかね? 欲しがった人質を諦めない性格なのだとしたら厄介な事だ。スダ・ロンは曖昧に微笑んでいて、俺に答え合わせをしてくれる気がなさそうな事だけは解ったよ。


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