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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
夏の都のミラーソード I
187/502

186. 使い魔

 神域で眠った後、早朝の夏の宮殿へ戻った俺は女王の寝室を訪ねた。寝台の側に立つ先客の耳にだけ届くよう、幻術で声の届く範囲を操作して声を掛ける。


「マカリオス、女王の容態はどうか」

「婿殿」


 マカリオスの声も女王には聞こえぬように抑えてやる。エムブレポの寝台には天蓋がない。朽ちる事のないよう変成術で変質させられた大きな葉を布めいて用い、丁寧に結合されて造られた掛け布に包まれた女王は一見して静かに眠っている。


「苦痛を訴えてはいなかったか」

「いいや。だが昨晩の女王は食が細かったように思う」

「よかろう。俺が診る」


 邪視と六眼で年経た女の体内を診る。俺の眼は欺けんぞ。治癒術を惜しみなく行使し、女王の肉体に残っていた古傷も含めて癒してやる。術干渉を感じて目覚めそうになった女王は妻が寝かし付けてくれた。

 俺は幾つか毒物を拵えた。悪属性だった当時の俺よりも効きは鈍っているが、鎮痛剤や鎮静剤として用いる分には問題はなかろう。飲み易いように甘みのある水薬として創り、一回分の容量毎の小瓶に分けて封じ込める。用法は女王とマカリオスの意識に妻が刷り込むのを感じた。手慣れたものだ。俺の心術では妻やダラルロートほど自然には行えない。どうしても幾許かの強引さが伴う。


 女王の腹部の奥深くには腐敗の種子だったものが在る。既に変質し、女王の肉体の一部として繋がり息衝いているようだ。眠っている為か意志は感じられないが、父親として言い聞かせておくとしよう。


「我が子よ。あまり母体を虐めずに生まれて来ておくれ」

「婿殿の子には聞こえているのだろうか」

「さてな。だが人の子よりは早く心を持つだろうよ」


 無事に生まれる事ができたとしても、我が子が母親と共に過ごせる時間は長くはない。温かな血肉の揺り篭の中にいる間しか母と触れ合えぬやもしれぬと思えば不憫でならない。

 女王には美味いものを食べさせてやりたいな。ダラルロートが夏の宮殿に来たら頼み事をするとしよう。俺は素材を創造する事はできるが、調理技術は大君が囲っている料理人に劣る。


 右手に一枚の透けた板を創り出す。少し絵を描いてみよう。それほど時間は費やさない。板は硝子よりは遥かに軽く、落としても割れる事はない。厚みは俺の人差し指の関節一つ分ほどもある。

 苦痛の原因らしきものを治癒術と変成術で一通り取り除き、改めて眠っている女王の顔を眺めた。肌にはやや赤みがある。銀の髪はよく手入れされているが、注視すると弱りも見て取れる。髪については少しばかり嘘を吐き、今少し若かった頃の美しさを表現してやろう。(しわ)黒子(ほくろ)は取り除くまい。女王の老いを示してはいるが、俺の子の母と思えば愛おしい。……となると、こうか。


「描けていると思うか」

「……ファエドラ」


 マカリオスに俺が変成術で描いた女王の絵を見せてみた。昨晩、俺の手から腐敗の種子を受け取った際の姿を板の中に描き出した。新たな板を創り出し、眠っている女王の姿をある程度忠実に写し取る事もした。髪は少しばかり手を加えたがね。


「女王の姿を子に教える為に絵を何枚か遺し、像を造ろうと思う」

「婿殿にはそのような魔術も扱えるのだな」

「ああ。愛を語らうには俺達に残された時間は多くないが、子の為に想い出を遺してやる事はできるだろう」


 板の中に描き出した絵を見つめるマカリオスの六眼からすれば、似ていないと言う事はないようだな。人としての情らしきものを見せる直立した竜めいた使徒には複製が必要だろうかね。


「愛しているよ、女王」


 俺から女王への贈り物は聖金で創ったコインにした。表には穏やかな表情で眠る女王の顔を彫り込み、裏には魔性じみた俺の姿と大母の聖句を刻んだ。銀の鱗を生やしているマカリオスと並んでいると俺が異物なのではなく鱗のない者どもが弱々しいのだとさえ思えるが、白い鱗に覆われ六眼を開かれた姿形は人からは随分と離れたものだとは認識している。

 女王に供せよと果実や肉塊を創造して陽銀の側仕えに預け、俺は女王の寝室を後にした。マカリオスは俺の子の母をよく護るだろうよ。女王への愛情を感じさせられる眼と声だった。




 そのまま俺は私室に絵を描いた板を持ち帰り、彫像の素材を何種類か創造した。女王の美しさを表現してやるには金と宝玉類と石材のどれが良いだろうな? ちょうど意見を訊くのに適任な男が訪ねて来る時間だ。


「おはようございます、ミラー様」

「おはよう、ダラルロート。今朝は幾つか話がある」

「何なりと仰せ付け下さい、我が主よ」


 頭から爪先まで一糸たりとも乱さないダラルロートに会うと一日が始まるのだなと実感するよ。会うと何やら安堵する。


「女王に請われて腐敗の種子を与えた。既に種子は女王の肉体に繋がっていたよ。いつ出産するかはまだ解らないが、常人よりは早く生まれるはずだ。産まれれば十三人目の子だそうだ」

「ミラー様の家臣としては喜ばしい報せですな。イクタス・バーナバとの間の御子は如何でしょう?」

「産み落とす事はできるが、ファエドラの子と共に育てられるならそうしたい」

「初耳だぞ、妻よ? もう懐妊してくれていたのか」


 俺は訊かずにいたのだが、訊いた方がよい質問だったのだろうか。妻はダラルロート相手に特に隠す様子もなく既に子は産めると答えた。


「ミラーソードとイクタス・バーナバの子はよき子になるだろう」

「喜んでくれているなら嬉しいよ、妻よ」


 俺の口で語る妻の声には喜色を感じられる。ダラルロートの黒い瞳に促され、幾つかの相談事をした。絵を見せれば彫像の素材は石を勧められたし、女王に美味いものを食べさせてやりたいと言えば料理を大君の館から運び入れさせる段取りをするとも約束してくれた。古い在庫の属性転向毒については頼むのを止めた。万色の大海へ送り出したい妻の意向を尊重するとしよう。


「そうか、もう産めるとなると急ぐべきなのかね。ダラルロート、エファはいつ欲しい?」

「貸して頂けるのであればいつでも連れ帰ります」

「そうか。エファには俺も一緒に来てはどうかと言われたのだがな……」


 俺の頭で考え付いた案を幾つかダラルロートに(はか)ってみた。案自体は却下を喰らったものの、分体としてダラルロートをもう一人創れたら捗らねえかなと口にすると大君は興味を持った。


「実行した場合、魂はどうなるのでしょうねえ?」

「さてな。母が本体と分体の二人いた時は、分体を多く出した事が理由の弱体化以外は問題が起きていた風ではなかった。魂を分けたなら母の魂は破滅しかねなかったが、平気そうだったからな。できるとしても魂の大きさがどうなのかは解らん」

「お母君が二人表出していた事と、二体目の同一人格の分体を出せるかどうかは別の問題として考えるべきかもしれませんねえ」


 思い付きの元は母を磔にしていた時の事だ。俺はまだその時一体しか分体を操れず、分体には父が宿っていた。ノモスケファーラの遣した聖獣に母を襲われ、俺は二体目の分体の創り方を天啓めいて祖母に教えられた。

 磔にされた本体は母の意志が支配していたが、二体目の分体はもう一人別にいる母のように振舞った。二人目の母は魂を持っていたのだろうか? それとも母をよく真似た人形のようなものに過ぎないのか?


「考えても解らんのだから試してみようではないか」


 魔力付与した衣服を脱ぎ捨て、俺は白い鱗に覆われた裸身を晒した。ダラルロートは興味と関心を隠すでもなく無遠慮な視線で俺を眺めた。


「見事に全身が変異しておりますねえ。醜悪の権能に導かれたかのようなお姿だ」

「リンミの大君よ、我が夫の姿は美しいぞ」

「失礼致しました、イクタス・バーナバ。我が主の美的感覚はデオマイア様が受け継がれた感性を見る限り疑わしいものですから」


 妻の抗議に詫びを口にしては見せるが、ダラルロートは俺を何だと思っているんだ。

 周りに物の少ない空間に立ち、スライムとしての本性を現してやる。人の形を捨てれば六つの眼も鱗もなく、俺の血肉は黒一色の粘体と化した。鱗を脱いでみた感覚はすっきりして悪いものではない。

 血肉の一部を盛り上げて隆起させ、分離させる。さあ、リンミから来たダラルロートとは別にもう一人ダラルロートを創れるか試そうじゃないか。正確に言うと四人目か? 体内に取り込まれた烙印に支援させ、形を変えるよう命じてやる。


「来い、四人目のダラルロートよ」


 しかし俺の血肉は反応を示さない。烙印も引き出すべき人格が留守にしている為か空振りだ。手応えを感じられない。


「どうも無理らしいぞ、大君」

「私にとっては幸いな結果ですねえ。何人も存在して欲しくはありませんから」

「大君に拒否されたせいで失敗したのではあるまいな」

「まさか。我が主が真に望まれていらっしゃるならば、私の意志など捻じ伏せられておりましょう」

「どうだかなあ」


 何しろ大君だからな。俺の従属下などいつでも抜け出せるのではないのか? 背かれたくはないので俺なりに大切な配下として遇しはするがね。


「すると……あの時、俺の本体に宿っていたのは鏡の剣に隠れずに支配された俺の大部分で、分体に入った方が母の魂だったのかね?」

「現時点での仮説としてはそのようになりましょうか」

「ううむ。俺が幻魔闘士になってダラルロートっぽく振舞ったらデオマイアには露見するかね」

「ミラー様とデオマイア様が和解すべきなのですよ? 私の姿を借りて好意を受ける事に意味はないではありませんか」

「そうなんだよなあ」


 可能ならダラルロートを増やしてリンミと俺の傍の両方にいて貰おう、と言う目論見が成立しない事は解った。ダラルロートに化けるのも却下。


「では、俺にはなれるか?」


 そう声を掛けてみるが分体は反応しない。ふむ……?

 丸くなっている分離した俺の血肉はそのまま残して鱗の生えた人型に戻った。動かそうと思えば俺の意に従って血肉は蠢く。触手を生やせるし、手招きすればすりすりと親しげに這い寄っても来る。


「ダラルロートよ、どうするのがいいと思う?」

「使い魔のように使われるのがいいかもしれませんねえ」

「使い魔か。俺は使った事がないぞ。どうすればいい?」


 大君は俺に使い魔とは何か教えてくれたし、どうやって勘気に触れずに娘と会うべきか助言もくれた。俺は大君の提案を採用し、エファと共に使い魔をリンミへ向かわせる事にした。

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