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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
夏の都のミラーソード I
186/502

185. 神域の寝物語

 夏の宮殿の最奥部からは妻の神域へ赴く事ができる。今日は何やら妻に気を遣わせた場面が多かったと自覚はしている。夫として精一杯、可愛がらなくてはなるまいよ。体格差は相変わらずの鼠と山の如しだがね。

 小さな泉めいた神域への入口へと身を沈めれば、たちまち俺は魚の群れに変えられる。リンミ湖よりも遥かに膨大な水量のある神域を泳ぐと全身を清められ、洗われる思いがする。寝心地のよい砂場、乗って遊ぶのに楽しい水流、温い水と甘い餌のある明るい方面。群れは思い思いにあちらこちらへと散って行き、少しずつ小さくなる魚の群れから選ばれて妻に会う魚は毎回顔触れが代わる。妻は異能の組み合わせを変えて俺との交わりを重ねているのだな、と理解してはいる。


 妻との交合そのものを不快に思った事はない。スライムから魚へと変質しつつある疑いを持ってはいるがね、気分はいい。神域の外で理由もなく泳ぎたくなってしまい、着衣のまま転移して地底湖へ飛び込んだ時は「何を考えてるのさ」と呆れ気味の父に説教された。水の中は心地よいのだから仕方ないではないか。池では足りない。妻の神域が最善だが、湖くらいの大きさの水場を俺の寝室にしたい。心地よい水の中で眠りたい。


 交合を終えた魚の身を導くように穏やかで心地よい水流がやって来て、誘われるままに泳ぎ出した。こうして少し離れると神魚の威容がよく解る。美しい妻の姿に満足感を覚える。

 神魚の巨躯をちっぽけな魚の視点で眺める事にも慣れて来た。夏の大神として信仰される妻はエムブレポ以外の国々が夏の間はより一層強くなるのだと聞いた。今は多くの国が冬なので全力ではないと聞かされれば、夏になったら体格差が開く気しかしない。

 季節の大権能を持つ他の三柱との関係を寝物語に聞かされた夜もあった。妻は春の大神との仲がよく、早く夏を終わらせろと毎年言って来る秋の大神との仲はあまりよろしくない。冬の大神と妻とは互いを敵視している。冬の大神は冬の間は停戦すると言う暗黙の了解を乱す妻が気に入らず、妻は妻で可憐な春の大神会いたさにかまけて降雪の義務を怠りかねない冬の大神を好ましく思っていない。春の大神はさほど強い神ではないとも聞いたが、冬の大神と夏の大神の両方に好ましく思われる程度には交渉に長けているのだな。上手く振舞っている神だと思う。


 四季の大権能を持つ精霊神の中では妻が一番殴り合いに強いと自称された。

 話を聞く限りでは冬の大神も相当に強そうだ。季節を無視して積雪と雪崩を好き勝手に起こされては戦争どころではないし、凍っているせいで水神としてのアディケオの力は及ばないと聞かされてはなあ。


「アディケオの力が及ばぬ権能は少なくないぞ、治水の君を奉じるミラーソードよ」

「そうなのか?」

「そうとも。凍った水である雪に対しては手出しができぬし、底なしの陥穽(かんせい)には際限なく水を飲み干されてしまう。水神と言えども海神らに対しては強くは出られぬ。水を弾く物質や性質を司る神の権能とは更に相性が悪くなる」

「へえ」


 妻はどこか楽しげにアディケオでも頭の上がらない権能について教えてくれた。俺の上司も何やら苦労はしているようだ。

 底なしの陥穽(かんせい)とは崩落の大君スカンダロンだよな? 水攻めしても煉獄に水を吸われたら際限がないだろうな。母はスカンダロンをアディケオの従属神だろうと言っていたが、水よりも陥穽(かんせい)の方が強いのか? じゃあサイ大師はどんな化け物なんだ。俺、サイ大師に娘はやりたくないぞ。


「上から目線に蛙目線と言ってな。醜きアディケオは下手(したて)に出て見せる事に慣れておる。相性の悪い神に対しては焼け(ただ)れた瘡蓋(かさぶた)を被り、下位の神格を演じる事を恥と考えない。大母とノモスケファーラに対しても同様であろう」

「婆ちゃんとノモスケファーラか」


 腐敗、堕落、増殖、創造と大権能を四つ持つ祖母は疑う余地なく強い。俺は常に祖母の与えてくれた恩寵に浴しており、愛されていると感じられる。

 遠く北方に版図を拡げるバシレイア神国の土着神、規律神ノモスケファーラの持つ五つの権能は下手をすると祖母よりも強大だ。規律、支配、剛力、大地、賢察。どれもこれも複合発達権能だ。名を喪う前、地獄に堕ちる以前の母が第一使徒として仕えていた女神だとは知っている。


「ノモスケファーラの大権能は規律と支配が強い正属性、賢察が善属性。よって正しく善なる神だとは知っていよう」

「賢察は善なのだな?」

「そう強くはないが善を帯びている。何しろ、暴力による解決を悪とは看做さないノモスケファーラが真に善であるか問えるほど強い神は他におらぬ。規律神にして支配神自身が『己は善である』と主張して規定する以上、ノモスケファーラは善神なのだよ」

「何だかなあ。暴力神に法律を決めさせていいのかよ」


 俺としては疑問でならないが、現世の殆どの民にノモスケファーラの定める法は信頼されているそうな。


「我が夫に解り易いよう一例を挙げようか。

 ノモスケファーラは規律の小権能として基準を司っている。バシレイアの鋳造する貨幣は悪銭が極端に少ない故、金貨を扱い慣れない我が民が好む程度には信頼されている。貨幣への信頼でさえもノモスケファーラへ捧げられる信仰の一部となるのだ。強さは推し量ってくれような、ミラーソード」

「……そういや、剛力の小権能に財力が含まれていたな」

「その通りだ、財力の小権能の影響もあろう。ノモスケファーラは広く親しまれるミーセオ貨幣を駆逐し、所有する金山と銀山から産出した金銀で鋳造した貨幣を支配的に流通させる事も目論んでおるよ」


 産出。大地の大権能に含まれる小権能に産出があったな。鉱石もあった。金銀の出処は権能だな。

 ……父が追い詰められて世代交代を選んだのは仕方なかったのかね。まともに戦えるとは思えねえぞ、ノモスケファーラ。やり方が賢い。悪銭の多いミーセオ貨幣よりも悪銭の殆どないバシレイア貨幣が好まれるのは当然ではないか。皇帝との取引でさえ精銭の中に悪銭が紛れ込んで来る国だぞ、ミーセオ帝国は。俺とてもバシレイア金貨で払えると言ってくれるならバシレイア金貨で支払って欲しいくらいだ。


「我が夫が真摯にノモスケファーラを害そうと考えているのならば」


 その声を聴いた時、妻の六つの眼が俺を視ていた。妻の全身が見て取れるほどに高く運ばれた水流の中で確かに自覚できた。


「ノモスケファーラは極めて強大だ。

 イクタス・バーナバはバシレイアに夏を訪れさせぬ程度の助力はできようが、ノモスケファーラは夏の助けがなくとも民を食べさせる力を持っている」


 妻の声はただ事実を述べているのだと解ったよ。


「アディケオはバシレイアに雨を降らせず、渇水を引き起こす事はできよう。賢察によって()るノモスケファーラは乾いた大地でも育つ穀物の種を蒔き、地の底に隠した水を引き揚げるだろう。或いはアディケオは水害を見舞うやもしれぬが、ノモスケファーラは均した大地の一部を犠牲にして被害を押さえ込むだろう」


 アディケオが俺の為にそこまでしてくれるかな、とは思う。ミーセオ帝国の為であればやるだろうか。


「大母が神力を振るえばバシレイアの穀物の蓄えと畑を全て腐敗させる事さえ不可能ではあるまい。ミラーソードがノモスケファーラと戦うならば、それしきの助力は当然得られよう」

「そこまでやってもバシレイアは滅亡しないんだな?」


 妻に問い返したのは確信があったからだ。妻の答えも確信に満ちていた。


「ノモスケファーラはあらゆる手段を尽くして己へ捧げられる信奉の減少を最小限に抑え、むしろ版図を広げる契機としかねない」

「とんでもねえな、ノモスケファーラ」


 正直な感想だよ。信奉者の命を救うよりも、いかに次に繋ぐ形で命を消費するかを決断できる神格だと値踏みされている。(いくさ)に強い妻が言うのだ、夫として信頼する。


「我が夫には大母の敵視する神についてよく知って欲しい。

 己の民からの裏切りを経験し、厳しく契印を磨き上げた律する賢母ノモスケファーラは決して攻略の容易な神ではない」


 魚の神が俺に囁き掛けた。忘れぬようにと刻み付けられた。


 規律の大権能。規律、律法、原則、法則、規則、準則、基準、規制。

 支配の大権能。支配、統制、抑制、制御、制止、制動、制圧、掣肘。

 剛力の大権能。剛力、筋力、権力、財力、迫力、努力、力学、無双。

 大地の大権能。大地、豊穣、農耕、堅固、鉱石、産出、繁栄、均し。

 賢察の大権能。賢察、見識、判定、洞察、分別、突破、物心、慎み。


 小さな呻きを漏らしたと思う。ノモスケファーラの大権能を構成する小権能には欠点が見当たらない。何だよ、剛力の大権能の筋力・権力・財力って。更に努力までさせる。支配の大権能は力尽くで支配する気 満々に見える。決して力だけの暴力神ではなく、規律と賢察から知恵も備えている。

 アディケオの不正の大権能に含まれる醜悪、アガシアの愛の大権能に含まれる渇愛と言ったものがないように思える。或いはまだ知られていない小権能として隠されているのだろうか。夏の大神である俺の妻が知らない小権能など存在するのかね?

 攻防一体かつ矛盾のない複合権能で強くない訳がなかろう。強大なる規律神として崇められるのも道理だよ。何しろ神そのものが道理の権化のようなものだ。


「ミラーソード。バシレイアは遠い」


 妻の声は俺を宥め、撫でるように包み込んでくれた。


「ノモスケファーラは喪われた第一使徒に関心を持ってはいようが、神子(みこ)が生存している事を()っている。負け(いくさ)を繰り返す愚かさと賢察が無縁である事はむしろ幸いだ。損失を意に介さず試され続ければ、我が夫とイクタス・バーナバとても敗北しよう」

「……損失を覚悟してでもやる利が大きいと判断されたら不味い訳だな」

「当面はそのような事態にはなるまいと理解している。ノモスケファーラ自身は危険と冒険を好まぬ」


 どうやら母の気質は神の加護や意向以前の問題で、当人の資質らしいぞ。時として俺の母とは思えないまでの気概に満ちている。もっと多く受け継ぎたかったな。


「当座はどうすればいい? 帝国との同盟を締結できるように動けばいいのかい」

「イクタス・バーナバの豪雨の小権能はアディケオの有する水の大権能にとって明確に下位の小権能だ。精霊を押し出して戦えば(いくさ)に負ける事はないとしても、国境を接する事になったミーセオ帝国とは対等な同盟関係を結ぶ事が望ましい」


 妻が強調したのは“対等な”同盟関係と言う点だ。何しろアディケオは不正、悪、欺瞞、虚偽、隠蔽、醜悪の側面を持つ不正神だ。不平等条約を結びたがるだろうとは理解している。デオマイアを欲しがっているのも、エムブレポを平等な同盟関係を結んだ同盟国ではなく従属国にしたい思惑の表れだ。


「そうよな。アディケオとて妻との(いくさ)を望んではおられぬと願っている」


 アディケオが水の大権能によって優位ではあっても、妻の国の兵は強い。

 双頭の大権能は(いくさ)に適した権能だ。精鋭兵が生やしている銀の鱗は下手な鎧よりも頑強に身を守り、密林の中では一対五でさえも優位を保って戦えるほど強い。六眼の発する凝視は帝国兵に抗える強さではない。一般兵は容易く熱狂させられ、続々と射殺されながら命を投げ捨てるようにして戦うだろう。エムブレポを率いる女王は代替わりするが、兵の強さは当面変わるまい。


「身重の女王を守ってやってくれ。俺は種子を受け入れてくれた(つがい)を愛しく思う」

「ファエドラは可愛い娘だ。イクタス・バーナバが万色の大海へ旅立たせる」


 女王の死は免れぬのだな。妻の確約に寂しく思う。

 そうだ、生きているうちに女王の姿を留める像を創ってやろう。俺は女王の名前と姿を忘れてしまうかもしれないが、像を目にすれば思い出せるように。遺される子が男であれ女であれ、気丈に微笑んで見せた母の姿を知る事ができるように。

既出の神々の大権能と小権能の簡単なまとめ

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美しくたおやかなるアガシア【正善】大権能 : 愛と美

愛の大権能 : 愛, 善, 復元, 癒し, 哀れみ, 渇愛.

美の大権能 : 美, 正気, 豊かさ, 勤め, 節度.

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その身の醜悪を覆い隠すアディケオ【正悪】大権能 : 不正と水と統治

不正の大権能 : 不正, 悪, 欺瞞, 虚偽, 隠蔽, 醜悪.

水の大権能 : 水, 癒し, 湧水, 醸造, 循環, 水運, 治水, 水害, 魂洗い.

統治の大権能 : 統治, 正気, 運営, 組織, 合議, 決定, 自律.

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双頭の狂魚神イクタス・バーナバ【狂中庸】大権能 : 夏と双頭

夏の大権能 : 夏, 密林, 熱気, 生育, 促進, 熱狂.

双頭の大権能 : 双頭, 狂気, 魚, 大漁, 豪雨.

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崩落の大君スカンダロン【正悪】既知の小権能 : 魂洗いと陥穽

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律する賢母ノモスケファーラ【正善】大権能 : 規律と支配と剛力と大地と賢察

規律の大権能 : 規律, 律法, 原則, 法則, 規則, 準則, 基準, 規制.

支配の大権能 : 支配, 統制, 抑制, 制御, 制止, 制動, 制圧, 掣肘.

剛力の大権能 : 剛力, 筋力, 権力, 財力, 迫力, 努力, 力学, 無双.

大地の大権能 : 大地, 豊穣, 農耕, 堅固, 鉱石, 産出, 繁栄, 均し

賢察の大権能 : 賢察, 見識, 判定, 洞察, 分別, 突破, 物心, 慎み.

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腐敗の邪神にして大いなる母【狂悪】大権能 : 腐敗と堕落と増殖と創造

腐敗の大権能 : 腐敗, 悪, 毒, 病, 酸, 衰亡, 融合, 発酵, 醸造, 剥奪.

堕落の大権能 : 堕落, 狂気, 貪り, 飢え, 嫉み, 怒り, 憎しみ, 楽しみ, 溺れ.

増殖の大権能 : 増殖, 誕生, 再生, 繁殖, 分裂, 交合, 懐妊, 出産, 安産, 多産, 繁栄.

創造の大権能 : 創造, 創生, 創世, 創成, 創意, 発生, 開始, 閃き.

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