184. 鏡護りとの遊び
とっぷりと陽の沈んだ後も昼ほどの明るさで灯る光が照らし出す夏の宮殿の一角。
煉獄から現世に戻った俺はスダ・ロンの監視をアステールと両親に任せ、約束通りにエファと遊んでやっていた。エファと陽銀の部族の戦士達が弓術の腕前を披露できるよう、射的の的を出してやるのだ。
ただ静止しているだけの的では眺める俺が面白くないだろう? 余興として宙をある程度の速さで右から左へと飛ぶ的を拵えた。射手は的が飛来するのを待ち、高速で飛ぶ的を射抜こうとするのだ。見事中心を打ち抜けたならば、射手には俺からささやかな景品を与えている。初回は聖金の腕輪で、二回目は首飾りだ。既に腕輪と首飾りを揃えた者には何が望みかを聞いて創ってやる。肉を望まれれば牛を一頭丸焼きにしたに等しい肉を与え、財貨を望むならば宝玉をやる。
俺にとっては遊びだが、戦士達は真剣だ。神王めいた眼球のない六眼と白い鱗を持つ俺からの褒美が是非とも欲しいそうで、昼も夜も弓術の訓練に打ち込んでいるとマカリオスに聞かされた。第一使徒自らの参戦は御遠慮頂いている。初めて開催した時、手斧を投げて的を砕きやがったのでな。景品として牛の丸焼きを二頭分進呈はしたが、出入り禁止みたいなものだ。弓で勝負しろ、弓で。
「ほう、見事だ」
今もまた一人、的の中心を射抜いた射手が現れた。喜色を隠さず俺の前に跪くエムブレピアンの女戦士に腕輪を授けてやる。聖金で拵えた腕輪は腐敗する事がない。射手には名を訊ね、腕輪に刻み込んでやる。勝ち取った者が俺の不興を買った時、一回ならば目溢ししてやるつもりで渡している。
「夏の宮殿に上がる戦士は皆よく鍛えられている。よき眼と技で我が妻に仕え、王族を守って欲しい」
「喜んで、ミラーソード様」
陽銀の部族は他の部族よりは男が多いとは言え、銀の鱗を生やした女戦士達が相当に目立つ。アステールに言わせると他国では考え難い男女比率だそうだ。
射的会は宮殿の住人好みの催しのようで、賞品を勝ち取った射手は大いに自慢しているそうな。宮殿の住人達は性に対して相当に奔放で、何かしら盛り上がると確実に性的な方向に行くのが困った点ではある。豪腕の女達にエファが拉致されかけていた事もあったよ。
俺の守護者たる鏡護りエファは余興も含めた射的会のチャンピオンだ。陽銀の部族の誰一人として弓の腕前でエファに勝る者はいない。成績二位にいつもゼナイダがいるので、エムブレポ側の面目も保ってやってはいる……と思う。
エファは的が一つでは百発百中もいい所でな。物足りなさそうにしていたので六つの的を一斉に放った所、全ての的を乱射で射落とされた事さえあった。中心を射抜いた的が五つだった事をエファは「手元が狂ったのだ」とぼやいていたが、敵に回してはならない技量を見せ付けられた。同じ条件でゼナイダにやらせた所、ゼナイダが中心を射抜いた的は三つだったものの全てを射落としてはいた。二人が夏殺しから受け継いだ弓術の腕前はよく解ったとも。実戦では元素術の魔装によって更に威力が引き上げられる。
敵視されたなら俺は一撃で殺されるだろう。夏殺しとは神をも討ち得る家系だ。鏡護りと夏狩人に分割されようとも本質は引き継がれている。時として人民は多少強いだけの個体を英雄だの勇者と呼んで持て囃すが、夏殺しは真の意味での勇者の血統だった。神威によって定命の者を寄せ付けぬと驕る神に痛撃を与え得る存在。格上との戦いに特化した者。人の身で神を狩る術に至り得る者。俺の妻は初代の夏殺しの発生から根絶に至るまで約五百年を要した。
「エファをそんな目で見てどうしたのだ、ミラー」
「エファのような強い命がもっと欲しいのだ。どうしたものかと思ってな」
的を正確に射抜く射手、と言うだけでは俺の食欲はぴくりともしていない。エムブレピアンなのは解っていたが、男なのか女さえ既に頭に残ってはいない。出入り禁止にしておいて何だが、マカリオスのように手斧を投げる者が一人くらいはいてもいいではないか。記憶と印象に訴えて来る個人がいない。
拉致されかけていた所を回収して以来、エファは的を射る時以外は俺の側から離れようとしない。俺とアステールがいればあっさりとアステールの脇へ行くがね。
「ミラーは使徒や勇者を食べたい?」
「神族でもいいのだろうとは思う。デオマイアやサイ大師くらい旨そうな命で、喰ってしまっても構わぬ者はうろついていないものかな」
エファの赤毛を指先で梳くようにして触れ、幼さの残る顔立ちを眺める。エファの姿形は成長させない方がいいのだろうな。長じて夏殺しそっくりになってしまったなら愛せる自信がない。鏡護りだと思えばこそ、こうして近しく触れ合える。
「高位の使徒は基本的に国を護っているのだ。あまり外には出て来ない」
「そうらしいな。外征を繰り返していた生前の母は例外的な存在だと聞いた」
「使徒が留守でも分霊や王族が直々に戦える神様はそう多くはないのだよ、ミラー。
契印を移動させられない神様の方が多いのだから、一所懸命にはなる」
「その言い方だと移動させられる奴もいるのか?」
「いるよ。興味があるならヤン・グァンに訊くといい。神様の事にはリンミで一番詳しいだろう」
「いるのか……ふむ」
神にも色々とおるものだな。だが、移動する神ならば遭遇さえできれば護りも薄いのではないのか? 俺が取って食えないだろうか?
「簡単に狩れるような神様ならとっくに討たれて契印を統合されているのだ」
「で、あろうな」
浅知恵を見透かしたように言われ、俺は小さく息を吐いた。寿命の為にももっとでかくなりたいのだが、手頃な獲物が見当たらない。手当たり次第に命を狩って喰らうべきなのだろうか? 質の低い命であっても大量に集めればそれなりの糧にはなってくれた。
「もし神様になれるとして、ミラーはどんな神様になりたいのだ?」
「む?」
「何を与えて信仰を集める? 信奉者には何を求める? どんな使徒が欲しい?」
エファが身体を預けながらそんな事を訊いて来た。答えを用意していなかった俺はすぐには答えられず、暫く考えた。答え易い問いは一つしかなかった。
「ダラルロートみたいな仕事を丸投げできる使徒がいいな。俺は何か創るのが好きなのであって、仕事をしたい訳ではない」
「ダラルロートの無駄遣いだとアディケオの嘆く声が聞こえる気がするのだ」
「仕方あるまいよ! 俺の本音などこんなものだ。神になって選ぶなら第一使徒はダラルロートだな」
そうでもせねば大君には報いてやれぬと思う。それとも、どんな神になるとも知れぬ俺の使徒など嫌がるだろうか。
「信奉者は美味い食材なり料理と酒の研究でもしておれば良いわ。新作を俺に捧げるのは義務付けよう。代わりに祝福してやるんだ」
「平和的なだけの神様はとっくに取って食われた後だと思わないのかい、ミラー。戦う力も持たせないと神様として生き残れないのだよ?」
「戦いなあ」
俺、そこまで争いが好きと言う訳ではないのだと思うぞ? 軍事力が欲しいのは相応の軍事力があれば煩わしい事が減り、俺が創造なり付与にじっくり取り組めるだろうなと思うからに過ぎない。
今もエファと一頻り遊んだら、次は妻の待つ神域に赴かねばならない。魔力は死力を振り絞ったと言うほどではないが、相応に注いでいる。井戸利用料が投じた魔力の八割と言う煉獄の税は重い。
「よし、解った。歯向かったら貴様の飯が全て腐るぞ、とでも脅す事にしよう」
「お祖母ちゃんの権能に頼る代価をどうやって払うのだ、ミラー。腐敗と創造の大権能はとても強力だけれど、代償も高いのだよ?」
「……であろうな。下手に神になどなった日には、婆ちゃんとアディケオと妻の力を借り、エファから愛も借りられる今の俺より弱体化する気がしてならん」
「そうなのだよ」
エファにはあっさりと肯定されてしまった。何だろう、俺は頭が悪いと詰られながら、適当に右からも左からも流して生きた方が楽なんだろうか? エファを鱗の生えた手で撫でてやれば、より一層密着して来る。
「ミラーの敵はリンミニアの敵、ミラーの敵はじいやの敵なのだよ。エファがちゃんと護ってあげる」
鱗が生えていようとお構いなしに擦り寄られるのは不快ではない。随分と姿が変わってしまった俺だが、恐れ気なく接してくれる者しかいないエムブレポと煉獄にしか出入りしておらんからなあ。アディケイアに転移したら摘み出されかねない化け物なんじゃなかろうかな?
「頼りにはしている、エファ。そなたの強さは知っている」
何しろ抵抗できずに殺されたからな。
そう見ようとすれば若かった頃のエピスタタに見えるであろうエファの顔を眺める。
「ダラルロートが手を借りたがっていた。近いうちに呼び出しがあるだろう」
「ミラーもエファと一緒に来るといいのだ」
肌に触れさせた烙印の翼から注いでいた堕落に酔ったのだろう。赤毛に縁取られた焦点の合っていない目が俺を見ている。
「俺はまだ嫌われているだろう」
「ミラーでなければいいのだ。子供になる事を選んだデミはお父さんにも会いたがっているよ」
面妖な答えに俺は思案してしまった。エファは俺に何をさせる気だ?
「方法はダラルロートに訊いてみるといい。大君はいい思案を持っている」
「ダラルロートなら考えはあろうな」
何しろ俺自身の知性は信頼性が下降する一方だからな。
「ミラーは妹や弟が生まれるよりは前にデミとの関係を改善すべきなのだ」
……何だと? 女王が俺の子をいつ産むか解らんのにそんな時間制限付きか。ダラルロートとは明朝にでも算段を話し合わねばならんな。眼球のない六眼でエファの心を覗き込み制圧しながら、芯の部分では何をすべきか思案し始めていた。