175. 魚の溜息
ミラーソードのターン
俺は暗黒騎士ミラーソード。妻と交わって以来、バシレイアンに擬態する全身に白い鱗が生えるわ眼は二つから六つに増えるわの有様で、正直な所 着る服に困っている。鱗の外側には擬態の一部としての衣服を作れないし、魔力強化した衣服でも鱗に擦られて痛むのが早い。リンミニアの支配者でエムブレポの掌握作業中と言う建前の裏で繕い物に追われている。着る服がなくなる前には仕立てて付与を済ませないと不味い。
「なあ、ダラルロート。そなたばかり愛娘に好かれておらんか?」
「彼女は元々、ミラー様だった当時から私には気を許されていたではないですか。失点の有無の差ですよ、未だ父親とは認められていらっしゃらないミラーソード様」
家庭内で問題があり、妻と父と俺を嫌ってしまった娘の療養を配下の一人の手に任せていた。妻が魚、父は鏡、俺はスライムと言う環境で、神族に生まれた娘の心境が複雑な事になったのは致し方なかったのではないのかね。ついでに言うなら娘から見て祖母は暗黒騎士で、曾祖母は腐敗の邪神だ。
「母の事は俺達もカーリタースなりコルピティオと呼んでいいのか?」
「ミラーソード様は変わらず母と呼べばよろしいのですよ。彼らは二人共に自身を腐敗の邪神の司直だと考えています」
「お母さんはお母さんって事よね」
俺と鏡の剣に宿る父が夏の宮殿でダラルロートの報告を聞いているのは、娘と母の事だ。昨日、俺からは離れて暮らしていた娘から誰か一人貸して欲しいと呼び声がしてさ。大君の館に来ているアディケオの使徒二人を帰らせたいんだと。俺が行くと言ったらダラルロートに止められ、母を行かせた結果を報告されている。
「ミラーグレートソードじゃ嫌だったらしいからな」
「……ミラーは名前を付けようとしない方がいいよ。ネーミングセンスが酷過ぎる。他の人に任せなさい」
「拒否されて当然でしょう」
グレートミラーソードにすべきなのか、とも訊いたが語順の問題ではないと一蹴された。そんなに不味いかね、俺のネーミングセンスとやらは。母の名前として適切だったと思うのだがな。まあ、カーリタースとコルピティオでもいいだろう。娘はカーリーとコーティと呼んでいるそうだ。
「母は司直としての自覚を持っているのだろう? 二人を同じ寝室で寝かせて大丈夫だったのかよ?」
「より凶暴性の強いコルピティオ様でも、一晩デオマイア様を抱き寄せるだけに留めてお休みになりましたよ。カーリタース様の方が幾許か力加減はお優しいでしょうがねえ」
「そうね。二人ともダラちゃんに言い含められてるからあいつそのままよりは甘い」
「ならいい……のか?」
溜息混じりに追認する。ダラルロートも危ない橋を渡ってくれたものだ。渡り切れると確信していなければしなかったろうがね。
「今後、デオマイアは俺の娘として接して良いのだな」
「彼女自身の選択として子供でいる事を望まれましたからねえ。充分な数の護衛が揃うまでは私が直々にお仕えします。私は不要と申し渡される程度の陣容を整えたいですな」
「大君より使い勝手のいい者などそうそうおるまいがな」
ダラルロートは返して欲しいのが正直な所なのだが、こうして報告に来てくれるだけでも良しとすべきだろう。生後間もないにも関わらず引き手の多い娘を護ってくれる者は置かねばならないし、俺達も嫌われたままでは不味い。
「妻よ、当面は現状維持でダラルロートに任せて貰うぞ」
「デオマイア自身の意志による選択だった事はイクタス・バーナバも見ていた」
俺の口を使ったのは憐憫を漂わせる女の声。妻のイクタス・バーナバだ。
俺が滞在しているエムブレポは夏の大神イクタス・バーナバを奉じている為、版図内は全域が常夏だ。エムブレポの外はまだ冬のはずだが、俺自身は夏の宮殿から遠出できていない。
「まだ暫くお時間を頂きますが、結果は出して御覧に入れましょう」
「仔細は大君に委ねる」
娘の話は一区切りついたと見計らい、俺は盛大に溜息を吐いて見せた。スダ・ロンとアステールの前では抑えてはいるが、本音としては溜息しか出ない。
「なあ、ダラルロート。俺はどうやらそなた抜きで王様稼業に手を染めなくちゃならんらしいぞ。俺向きの仕事じゃねえよ」
「アステールとスダ・ロンを積極的にお使いなさい。二人とも一国を支えるに足る能力は有しています」
「言われんでもとっくに使っているが……」
「活用方法を指南して差し上げなくてはなりませんかねえ?」
毎日毎日、引っ切り無しに面会させられて忙しいんだよ! ミーセオ帝国の大使スダ・ロンと大使が直轄する使節団を扱き使ってやってはいるが、エムブレポの宮殿にはそもそもミーセオ流の統治の基本となる記録類が殆ど存在しない。法律は口伝が中心、裁判は陽銀の部族の独占、戸籍簿は存在しない、貨幣は発行せず経済は物々交換が主体。妻へ奉納はすれども税は取っていない。官僚どもが仕事をする為の前提がエムブレポには存在しないのだ。
そんな国の王なんぞやりたかなかったのだが、エムブレピアンは誰も彼も神域から戻った俺を神王の再来だと言って崇めやがった。妻も妻で、俺を神王だと明言こそしないが崇めるエムブレピアン達を一言も止めはしなかった。
夜な夜な神域に呼ばれ続けているうちに鱗の艶と輝きが増す一方。俺はもうスライムではなく、魚なのではないのか? 妻は俺に恩寵を注いでくれたが、夏の権能は適正がないらしく何度妻と交わっても宿らなかった。娘には宿っているので、生れ付き邪神に呪われている幽霊恐怖症が不味い訳ではないらしい。怪しいのは精霊術に対する適正がない事だ。季節の権能は精霊との関わりが強いそうだからな。
「ミラーソード様 御自身の気分は如何ですか」
「目に眼球がないのは未だに慣れねえ。視力はいいが視え過ぎるし、そなたに貰った邪視を封じる眼鏡も効かぬ」
妻との初夜以来、俺の眼球は六つとも行方不明だが視力には困っていない。鏡を見ると眼の形をした切れ込み六つに光が灯っているだけなんだよ。眼のせいで全知の劣化版めいた神の視点を有してしまい、ここ二日だけで四回は卒倒する機会があった。俺は何やら透けた精霊など見たくない。お化けと何ら変わらんではないか! この国の王は俺に向いた仕事ではないぞ、妻よ!
「ミラーはお面か何か被ったらどうよ」
「変成術で変身されては如何でしょう」
……何だと? 父と大君はあっさりと言ってくれた。
「そんな事でいいのか」
「そのお姿の方がエムブレポを統治する上で楽になるとは思いますが、見たくもない精霊を目にして卒倒なさるのは不本意でいらっしゃるでしょう」
「そうなんだよ、解ってくれるか大君」
早速術で化けてみようとした俺だが、妻の言葉で意志が鈍った。
「イクタス・バーナバとしては夫には今の美しい姿でいて欲しい」
「妻にとってはそうか、ならいい」
くるりと旋回したと言うべきか。俺の個人的な問題は解決しないのだが、毎回妻に庇われて見た目上は卒倒していない。設定条件を満たした事で起動した首飾りの長距離転移で山の中にある自宅へ転移させられ、一頻り発作に苦しんだ後すごすごと夏の宮殿へ帰って来るのを何回繰り返したのか……十一回か、十二回か。首飾りは僅かばかりではあるが改良したよ。妻に言われて撤回はしたものの、溜息が漏れる。
「変身を許されないならば、視野を制限する仮面を造られた方がよろしいでしょうな」
「そうでしょ。僕も付与を手伝ってあげるよ」
「スダ・ロンに邪魔されそうで嫌だな」
俺自身の白い鱗に覆われた腕を眺める。エムブレピアン達の言う事には、彼ら自身が生やす銀の鱗とは様子の違う白く輝く鱗は神王の証なんだそうだ。
本物の神王ならば夏の異能を授かれるはずだし、精霊を使役できなくてはおかしいだろうと言おうとしたら涼み袋をちらつかせたスダ・ロンに声を出せなくされたしよ。微笑みを崩さないあの男はミーセオの大使なんかじゃない、アディケオの第一使徒サイ大師で崩落の大君スカンダロンの分霊だ。俺は神王ではないと言うのに、帝国に都合がいいからと演じさせる気 満々だ。いい性格してやがる。
「まあ、よい。貸し出した母は返してくれような」
「お借りしたいのですがねえ」
「週に一回か十日に一回くらいで勘弁してくれ。母の手を借りないと六部族を恭順させるのは骨だろうよ」
妻は恐怖症の発作を起こした俺を倒れぬ程度に支えてはくれるが、十全に戦えるほど自由な行動を許してくれる訳ではない。好ましくない精霊を見せ付けられて恐怖症の発作を起こしてしまったら、両肩の烙印が勝手に戦ってくれるのに任せるしかなくなってしまう。そしてエムブレピアンの集団は殆ど例外なく精霊を使役している。俺、何度でも主張するがエムブレポの王には向いていないと思う。
「そうよ、僕はお母さんが外泊するなんて聞いてなかったんだからね」
「お知らせしたら同行しようとなさったでしょう?」
「当たり前じゃないか」
今、鏡の剣の柄には飾りが二つしか括られていない。魂護りの護符は母が携帯しているからだ。一欠片を盗まれただけでも砕け散りかねない小さな魂だった状態からは脱したものの、依然として母の単独行動は好ましくない。昨晩はできなかった魂洗いを今晩はしたい。
「御二方はまだ嫌われております。デオマイア様が自然に愛せるようになるまではお待ち下さい」
「俺に対して手伝いを寄越せとは呼び掛けてくれたではないか、ダラルロート」
「憎悪が嫌悪に後退した程度ですよ。嫌われたまま、猫撫で声で欲しい物を強請られているに過ぎません」
俺はそっと溜息を吐いた。間違いなくダラルロートの教育の成果ではないか。
「……解ったよ。大君に任せるし、娘への贈り物は仕上がり次第に送るし、母が手紙を書きたがるのも邪魔はせぬ」
「そのようになさって下されば幸いです」
俺が娘に会わせて貰えるのはいつだろうな? 祖母が妻に向けている怒りを和らげてくれるように祈りつつ、偽物の神王は妻の国で仕事をしなけりゃならんのだ。溜息しか出て来ないぞ。
ミラーソードが変容しているのは次の二つの強化版
狂魚の鱗 : イクタス・バーナバの祝福による強靭な銀の鱗 防御+X
六眼 : 六つ開いた眼により 視覚++ 凝視++
↓
神王の鱗 : 白く輝く鱗はイクタス・バーナバの夫の証 防御増大
神王の六眼 : 眼球のない目の形をした六つの光 視覚+++++ 凝視+++++ 明察/エムブレポ




