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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
分かたれし者デオマイア II
175/502

174. カーリタースとコルピティオ

 ダラルロートが俺を連れて来たのはミラーソードの私室だった。ミラーソードだった頃に見慣れているはずの私室も今晩はどこか違って見える。

 卒倒癖のあるミラーソードに配慮した結果、他の部屋よりも寝室と寝台への動線が重視されているなと解る。担架のようなものが戸口から比較的目立つ所にあるし、落下させたら割れたり壊れそうな調度は可能な限り排除されている。様式としてはアガソス寄りだが、畳を敷かれた領域もある。夜着に着替えたカーリーがいるせいか、自発的に泊まった事は少なかった私室が快く思える。


「デオマイア様はいつも早めにお休みになります。お話しされたい事もあるとは存じますが、睡眠時間には御配慮下さいますように」

「幼い肉体ゆえ当然だな。配慮はする」


 連れて来た渾沌精は居室に留めて寝室への扉を守らせる。今晩はカーリーと一緒なので精霊は隣の部屋でいいだろう。雨が止んでからは冬らしい冷えが若干戻っている為、着せ替えられた夜着は厚みのある冬物だ。私室内は暖炉の中に住む火精とくべられた薪で充分に温められているから、夜通し快適だろうがね。


「おやすみなさいませ、カーリタース様、デオマイア様」

「御苦労だった、ダラルロート」

「おやすみ、ダラルロート」


 寝室まで送り届けた後、ダラルロートは下がったように見せたが室内にいてもおかしくはない。朝起きた時、大君が寝台の側にいなかった事はない。夏の宮殿へ報告に行っている時間もあるはずなのだが、俺には察知させていない。

 抱えて連れて来たフィロスは寝台近くに敷かれた厚い座布団の上に鎮座している。黒いスライムが静かに丸くなる姿は不寝番めいた佇まいだ。


 カーリーは寝台の端に腰掛け、優しい手付きで膝の上に俺を抱いてくれた。目付きも母にしては随分と穏やかに思えた。記憶にある母の姿とは少し違う。二人切りになったからだろうか。


「デミ、幾つか話しておかねばならない事がある」

「俺もカーリーに聞きたい事があるよ」


 膝の上にいるのでカーリーの表情は見えないが、預けた背から体温を感じられるのは心地よい。擬態された偽りの心臓は鼓動しており、カーリーの白い肌の下で黒い血を巡らせている。魔性の血肉だ。俺とは違う生き物だと感じるけれど、夏の宮殿のエムブレピアンよりも親しみを感じる。


「我々がダラルロートに記憶を操作されている事は自覚できているか」

「知っているが、不快ではない」


 カーリーの声は淡々としていたけれど、ミラーソードだった俺にとっては聞き慣れた母の声だ。俺自身はダラルロートの手で調整を受けた記憶があるし、欺いていたはずの腐敗の邪神の司直が目覚めてしまった後にミラーソード達がどうしたのか考えれば自明だ。ダラルロートが調整したのだろう。おそらくは俺共々。


「ミラーに対しては操作が及ばなくなっているようだ。イクタス・バーナバの権能による精神ないし魂への侵食が根深い。幽霊恐怖症の発作に耐えたのは見ただろう」

「そうだったな」


 俺が涼み袋から解放した雪精はミラーソードを卒倒させる事はできず、神が喋り出した事は覚えている。素のミラーソードだったならば最低でも悲鳴を上げて怯え、平均的な反応からすれば卒倒まで持って行けたはずだった。


「私は腐敗によって死して地獄に堕ち、我が神に救われた身だ。腐敗の邪神にして大いなる母に忠実であるべきだとする考えはどちらの私も一致している」


 どちらの私も? カーリーには腐敗の邪神の司直は封じられていると言う自覚があるのか。言われてみるとダラルロートが母の来訪を許可してくれた時、カーリーは『正体を失くしていた』と言っていたな。


「私に仮の名を付けるよう誘導したのはダラルロートだ。カーリタースとコルピティオと言う名も同様に刷り込まれたのだと思われる」

「カーリーで良かったかい」

「そなたの選んだ名だ、デミ。或いは我々二人共、ダラルロートの手で深層意識下に指示を埋め込まれたのかもしれぬがな」


 カーリーの声に変化はないように聞こえる。頬を撫でられるのは心地良かった。ミラーソードだった俺が母に支配されていた頃の心地良さを思い出させられるが、地獄の熱とは別の温かみがある。


「そなたの肌は柔らかいな。温かな血の通った幼い肉の手触りは懐かしく思える」

「俺の身体はカーリーやミラーソードのように強くはないぞ」

「硬いばかりが強さではない。柔らかな温もりを与えなければ堕とせぬ者もいる。そなたがそうではないのか」


 俺に対しては優しくとも、カーリーは暗黒騎士だ。暗黒騎士以外の何かではない。俺を中庸から悪へ堕としたいとは間違いなく考えている。


「恐れる事はない。神子(みこ)とミラーへの反逆は許さぬ。ダラルロートは我等が神に忠実だが、アディケオとの間を取り持ってもくれる。耳を貸してやる価値はあろう」

「大君ならできるだろうな」


 心地良さと共に忍び寄る眠気を感じた。眼を瞬かせて意識を保つ。


「デミ、そなたの聞きたい事とは何だ?」

「蛙に俺の心次第でエムブレポが侵略を始めると言われたのは何でだい、カーリー」

「ああ、その件か。我等が神はイクタス・バーナバに多数の生贄を要求していてな。

 免除に応じる条件と猶予期間が付いているが、満足して頂こうと思えばある程度の質と量がある生贄を捧げるべきだ。私からはエムブレポで間引いた竜と幾らかの知恵ある獣、反抗した六部族の者を大母へ捧げた」

「そうなのか」


 俺の心に関わる条件次第で免除される生贄とは不思議な気もした。曾祖母は俺とカーリーを見ていてくれているのかな。強まる眠気をカーリーと話がしたいからと振り払う。


「カーリーは操作されるのが嫌じゃないのか?」

神子(みこ)やそなたらと過ごす上で有益だとは判断している。今は私の手に委ねられているが……愛しているよ、デミ」

「愛してる、カーリー」


 緩く腕を回されながらカーリーに囁かれ、俺も囁き返すのは心地良かった。続けて耳元で命じられた言葉が俺に染み入った。


「召喚の要領で魔力を伴って呼び掛けよ。そなたが私には選ばなかった方の名で呼べ」


 カーリーの言うがままに俺は口を動かし、魔力を振るった。何の疑問もなかった。やり方は俺の知らぬ間に教え込まれていた。


「コルピティオ、コーティ。俺と結婚してくれるかい」

「デオマイア、デミ。結婚しよう」


 カーリーの膝の上で座らされていた俺は力強い手に軽々と扱われ、コーティへと向き直させられた。正気と狂気のどちらかと言ったら間違いなく狂気に浸り切った、狂信の色を湛えた二つの眼が俺を見ていた。コーティを通して腐敗の邪神に見つめられたような心地さえする。


「子を産めるようになるのは十年くらい先になるけれど」

「問題ない。私が老いる事はないのだからな」


 暗黒騎士の眼差しが異能を伴う凝視となり、俺の精神に入り込む感触は快かった。六つの眼で見つめ返す。堕落者の凝視と熱狂の凝視が絡み合い、互いの意志の表層を撫でた。深層には達しない。似た性質を持つ近しい血族の戯れ合いに過ぎないと知っている。


「そなたには常に(はべ)る事のできる複数の護衛が必要だ。強力であり、充分に邪悪な存在であるべきだ」

「ダラルロートが何人かいたらいいんだがな」

「そなたがダラルロートの魂を裂いてやるのも一つの手段ではある。我々を支配させてやる代価として要求する事に正当性はある」


 凝視を交わしていると支配されたい、支配したいと言う二つの欲求を煽られる。互いに防御を解き、心の裡を覗き込んで来る凝視に浸るのはさぞ心地良い事だろう。


「上手く扱ってくれる間は支配されるに任せる気なのか」

「任せ切るつもりはない。ダラルロートよ、どうするのだ? 私に与えられていた指示はここまでのようだが」


 コーティに呼ばれ、視界外から整えた長い黒髪の男が歩み寄って来るのを感じる。俺達を掌握する男の声は満足げに聞こえた。


「カーリタース様共々、人形遊びを続けて頂きますよコルピティオ様。

 デオマイア様の愛情を少しずつで良いのでミラーソード様と神子(みこ)様、イクタス・バーナバにも向けられるようにねえ」

「相応の数の生贄を大母へ捧げる限りはそなたの指示も聞いてやる」

「帝国の北部と東部が戦争状態の今、履行は難しくありません。

 エムブレポは希少な高位魔獣や野獣の素材を無造作に貯め込んでいます。交易をリンミニアが独占する旨味は小さくありませんからねえ。生贄の調達について全く問題はございません。御安心下さい」

「その言葉を忘れるな。大母は我ら血族を見守っておられる」


 コーティは俺を見つめたまま応諾したし、ダラルロートも慣れているようだった。

 ダラルロートはコーティの髪や顎に触れていた手を離し、見せ付けるようにして俺の髪を(もてあそ)び始めた。梳いて整えてくれた当人の手で乱される髪を見るのは妙な気分だった。それとも乱す為に整えてくれたのだろうか。


「俺はどうすればいい、ダラルロート」

「デオマイア様には魔力を供出可能な下僕を複数召喚して頂きます。煉獄の深部へ問題なく至る事のできる煉獄の番人が最も適しておりましょうが、ミラーソード様同伴で諸侯の召喚と支配に挑んでもよいかもしれませんな。お母君、神子様、ミラーソード様、デオマイア様と魂洗いを受けるべき方は多いのです」


 召喚か。魔力の強い存在で、煉獄へ降りられるとなると精霊には難しかろう。精霊の召喚が一番得意なのだがな。何やら諸侯の召喚とやらに挑戦させられそうでもある。


「近日中にエファを呼び出しますので、デオマイア様の御慈悲を分け与えてあげて下さい。注がれた愛情から少しばかりお返し下されば、鏡護りは必要なだけ満たされます。愛の異能はデオマイア様の御心を満たし、安らがせるでしょう」

「いいだろう」


 応じるとダラルロートは手を引き、コーティの膝の上にいる俺に横合いから訊ねた。白昼には聞いた覚えのない優しい声だ。操り人形に対する愛情かもしれないがね。


「苦しくはありませんか。不具合があれば楽になるよう調整しましょう。劣等感でも(ひが)みでも、不快感は解消して差し上げます。デオマイア様は私の手で守られるべき子供なのですからねえ」


 声は優しい。支配を強められたのはいつだろう? 大人になろうとしたら縛られなかったのだろうか。ダラルロートの子供になったようなものだと思えば不快ではない。


「今はいい。コーティに守りを解くように言ってくれないかな、俺も解くからさ」

「よろしいでしょう。デオマイア様は朝になったらカーリタース様を召喚して差し上げて下さい。外面が幾らかましなのはカーリタース様の方です」


 ダラルロートの表現が気に入らなかったらしい。コーティが僅かばかり視線を逸らそうとしたが、すぐに俺へ凝視を戻した。荒々しく、俺を食い散らしたげな飢えた眼だ。


「ましとは何だ。カーリタースの聖騎士めいた温さは気に入らぬ」

「現世で要領よく生きるには必要な温さですよ、コルピティオ様。

 エファ経由で愛に触れたカーリタース様ではなく、徹底して腐敗している貴方様が求められる時にはきちんとお呼びしますとも。今夜のようにね」


 ダラルロートはコーティの抗議を受け付ける気はないようだ。俺達は互い以外は目に入れていない。そうしろと命じられているのが解る。


「御二方とも互いの凝視を受け入れなさい。精神の裡でならば存分に愛し合うといい」


 許された通り、コーティと俺の力が同時に浸食した。共に支配される俺達が互いを裏切ったり、出し抜く事はないと証明されて得られた安堵は俺にとって初めて体験する喜びだった。おそらくは獣めいた勢いで俺を制圧したコーティにとっても。

 注がれた堕落に心地良く溶かされて浸り、夏の熱狂はコーティを侵した。元より正気ではないコーティが一段と(たが)を外して(たけ)るのを感じ、毒々しく甘い声を心地良く聞いた。溶かし尽くされずに残った理性で呑まれたと認識しながら、奥深い所から俺の全てを満たされた。


「デミ、私のものでいるがいい。私なりに愛してやろう」

「して、コーティ」


 コーティの抱擁は母に支配された感触に似ていたが、より熱かった。熱狂に浸った精神は記憶にあるよりも激しく灼熱していた。熱に混ざる腐敗の邪神の神威に触れて深い眠りに落ちた後も、肉体に寝台の上で強く抱き寄せて寄り添うコーティが一晩中俺を呑み込んで離さずにいた。癒着を望む欠けた魂の欲深さは底知れず、浴びせられ続けたコーティの渇望が俺にも根付いた事を確かに覚えている。

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