172. カーリーと使徒
アディケオの第二使徒と第四使徒との面会の場に選ばれたのはアガソス風の一室だった。ダラルロート曰く、座布団の上に正座するミーセオ様式の部屋だと有事の際 立ち上がりに一挙動遅れるのだそうな。スコトスがいるので距離を置いて椅子に座るアガソス様式の方がよいと言われた。本来なら第三使徒のミラーソードよりも第二使徒のスコトスの方が位階は上なので上座になるべきだが、俺はミラーソードではなく姫君のデオマイアなので客に対して上座で問題ないと言う。……雌だからか? 礼法は学び直す必要がありそうだぞ。ダラルロートがくれたスライムは俺の膝の上だ。
俺の機嫌はいい。長椅子の隣にカーリーがいるからな。ダラルロートとワバルロートは護衛然として両脇に立っている。ダラルロートが俺の側、ダラルロートを若くして迫力を薄めたような黒髪のワバルロートはカーリーの側だ。ワバルロートと並べると、年経たダラルロートは認識欺瞞の上からでも重苦しい雰囲気に見える。
「よく呼んでくれた、デミ」
「来てくれて嬉しいよ、カーリー」
愛称で呼び合うと言うのはいいな! とてもいい。
金一色の髪を晒した彼は兜だけは脱ぎ、黒塗りの板金鎧を着込んでいる。死者めいた白さの肌は変わりない。記憶にあるよりはカーリーの声が淡々としていないような……? 声の調子のせいか僅かばかり若いようにも思える。長椅子に座ってこそいるが手には戦槌の柄がある。どう見ても使徒相手に殴り掛かりかねないのだが、いいのかダラルロートよ。制止しないと言う事はいいのだろうが大丈夫なのか。
「ダラルロートに約束させられてさ。使徒と直接話すのはカーリーと大君に任せる事になる。姫を演じろとは正直、無茶振りだと思う」
「任せるがいい、デミ。化け蛙二匹など捻り潰してくれる」
「捻り潰すのは使徒に粗相があった場合のみにして頂けますよねえ」
「何らかの挑発があるものと予測はしている」
挑発されずともやるのではないのか、カーリー。内心でこそ思ったが、俺は口には出さなかった。化け蛙が二匹揃って入室して来たからな。左手に鞄のようなものを下げ、赤くて黒い斑模様でダラルロートほども大きい蛙が今日のスコトス。杖を持ち、呪符や腕輪を着けている以外は裸に近い青緑色の蛙はジャオ・ハン。今日のスコトスよりは背が低い。二匹とも雌だが、俺から見るとかなり肉厚で重そうな印象だ。
「デオマイア姫の好意で面会に応じてくれたと聞かされたが、何にしても有り難い。追い出したいダラルロートに毎日殺されそうだったよ」
「これは、これは。東部戦線の英雄、暗黒騎士ミラーソード様ですね。デオマイア姫と御一緒とは嬉しい事です。お初に御目に掛かります。サイ大師の六番弟子で召喚術師のジャオ・ハンと申します」
「今日はデオマイアの保護者として同席する」
「スコトスが館内を徘徊するから精霊に襲われたのでしょうに。ジャオ・ハンもスコトスを諌めて欲しかったですねえ」
「何度言ってもスコトス姉様は聞き入れて下さいませんのよ、ダラルロート兄様」
挨拶を交わしているのがジャオ・ハンしかいない気はしたのだが、俺は沈黙を守った。おそらく顔は作り笑いを浮かべている。隣にカーリーがいるのでもう少し自然だろうか。
「この場はデオマイア姫への用件とやらを聞いて差し上げようと言う場ですよ。直接でなければ言わないと頑なに言い張ってくれた以上、文句はございませんよねえジャオ・ハン?」
ダラルロートの口振りはあまり友好的ではないが、ジャオ・ハンに対してはまだ抑制されていると感じる。ジャオ・ハンの声音はおっとりとしているが、蛙の口はだいぶ大きい。気を抜いたら丸呑みにされかねない。
「帝国よりデオマイア姫への内々の打診なのですよ。書面を残す事はできませんし、直接お伝えしなくては使者として出向いて来た意味がありません」
「だからと言って何日 我が館に居座っていたのですかねえ」
「ほほほ、温かい長雨がとても心地よかったのです」
ジャオ・ハンとダラルロートが交わす言葉に内心首を傾げる。書面を残す事ができない、と言っている以上はサイ大師からの恋文とやらとは別件だ。何を言い出すのやら。スコトスは武官役らしく茶を呑んでいる。器毎だ。化け蛙の茶の作法は知らん。
「ミーセオ帝国に亡命なさいませんか、デオマイア姫」
ジャオ・ハンが幻術か何かを使ったなとは解った。俺は聞こえなかった振りをして無反応を通す。声が聞こえる範囲を個人にまで絞ったのだろう。俺の膝の上にいるスライムが不快げに震えた。
「ミラーソード様に聞こえるように言い直しなさい、ジャオ・ハン」
「ダラルロート兄様には聞かれましたね? ミラーソード様は我々を生きて返しては下さらない恐れがあるのですけれど」
「そうですか、では心証を悪化させるのは私の役目ですな。
ミラーソード様、ジャオ・ハンは『ミーセオ帝国に亡命なさいませんか』とデオマイア様に申しましたよ」
ダラルロートはいっそ愉しげに言った。帝国に対してはカーリタースではなく、大ミラーソードとミラーソードで通すのだな。
「デオマイアはリンミニアとエムブレポの姫だ。帝国に帰順させる事はない」
「ミラーソード様の仰る通りです」
亡命を提案して来たジャオ・ハンに対してカーリーは即答し、ダラルロートが母をミラーソードと呼びながら追従した。俺は沈黙を守る。
「デオマイア姫。アディケオであればイクタス・バーナバが直々に産み落とした子であろうとも、不正の権能によって救って下さいますよ。双頭の異能が権能に繋がれている状態を解消可能です。姫君がイクタス・バーナバと不仲でいらっしゃる事を我らが不正神は御存知ですよ」
何やら魅力的な提案ではあるが、神直々に手を下さねばならんのだろう? そのくらいは俺でも解るぞ。イクタス・バーナバは心術に長けている。アディケオの方が強いにしても心術に関してイクタス・バーナバよりも上かね? それとも不正神らしく権能によって何らかの不正を働くのか。
「アディケオが要求する代償は何です、スコトス? 返答次第ではミラーソード様の手でこの場で誅殺される事は警告致しましょう」
「アディケオが直々にお救いになるからには相応の契約内容になる」
ダラルロートはスコトスに発言を促したが、スコトスはジャオ・ハンに主導権を与えているようだ。
「帝国としてはエムブレポの有する過剰戦力に対して考慮せざるを得ないのです。
デオマイア姫の御心次第では周辺諸国に対して侵略戦争を始めかねませんよね?」
俺の心次第? はて、何の事だろう。ダラルロートは友好的ではない雰囲気を見せているし、カーリーは感情を感じさせない声で言う。
「我が子は帝国を裏切りはしない。帝国が裏切らない限りにおいてだが」
「デオマイア姫を帝国に預けて下されば皇帝は南方に対して安堵できましょう」
ジャオ・ハンの口調はおっとりとしてはいるが、主張する所は『俺を人質に寄越せ』だな。正直に言うと隣にいるのが怖い。母がいつ怒気と共に闘気と瘴気を放つか知れたものではない。スコトスが口を開く。
「源泉への立ち入りを今制限されれば最も困るのは誰かな」
「使徒を七名喪失する覚悟の上で言っておろうな」
「おお、怖い。ミラーソードの母御ならできかねないのが恐ろしい」
「私はできぬ事は言わぬ」
そうだ、母はできない事は言わない。八人いるアディケオの使徒のうち七人は即日にでも処理する気だろう。除外された一人は第一使徒だろうな。……まさか第三使徒のミラーソードを除いた七人を指してはおるまい。
「魂洗い以外に我が子が帝国に尽くしたくなるような恩賞なり、報償の話であれば聞き易いのだがな」
「デオマイア姫への提案は姫君にとって間違いなく有益ですよ」
ジャオ・ハンの答えはカーリーにとって有益とは看做されなかったようで、暗黒騎士は威圧的に立ち上がった。意外と行儀よく椅子に座る蛙二匹を睥睨し、戦槌の柄に手を掛けたまま宣告した。
「血族の離散は私が許さぬ」
カーリーの表情は俺からは見えない。恐ろしげな表情には違いあるまいし、ジャオ・ハンとスコトスから目を逸らさないようにダラルロートから言い付けられているのだ。見上げればダラルロートに減点されるだろう。膝の上にいるスライムに手を引かれた感触を覚え、撫でてやる。もちろん膝の上も見てはならない。
「使者を傷付ける事は好ましくはない、そうだなワバルロートにダラルロート」
「はい、大ミラーソード様」
「スコトスに関してはこの場で討ち取っても差し支えないと思いますがねえ。
空いた第二使徒の座にデオマイア様を就けて下されば解決ですよ。ミラーソード様の一族が揃って帝国に忠実であった方が誰にとってもよいのですからね。そうですよねえジャオ・ハン。
デオマイア様に相応しい待遇を用意されるならまだしも亡命などと笑止の限りでございます、ミラーソード様」
「大君はこう申しているがどうして欲しい、ジャオ・ハン」
ジャオ・ハンも相当に強い個人なのだとは思う。第四使徒だとは言うが、スコトスと入れ替わってもおかしくない印象は受ける。それとも侮られるよう隠し切っているスコトスの方が、隠れ上手である事を求められる隠れる君の御所の住人としては格上なのか。
「あくまでも内々の打診ですので……」
おっとりした声を聞くと、俺のものではないような不快感がじわりと滲むのを感じた。何だ? 心術干渉か? 打ち合わせ通り、スライムに載せていた左手で印を作るとダラルロートがすぐさま反応した。
「何らかの敵対的な術の接触がございましたよ、ミラーソード様」
「スコトス、貴様か? 我が鉄槌から容易く逃れられるとは思うな」
「万事を我々からの干渉だと決め付けて貰っては困る。イクタス・バーナバの方が疑わしいのではないのか」
「我が子の妻はデオマイアには直に触れぬ」
カーリーは断言した。俺を繋いでいる神が俺に対して精神的な接触ができないはずはないのだがな。双頭の異能は権能と強く結び付けられている。
「アディケオと帝国に要らぬ誤解はして欲しくないゆえ使者方に申し上げるが、スコトスには長く務めて貰った方が私としては有り難いのだぞ。幼い肉体を権能によって成長させればデオマイアの寿命は相応に縮む。愛しい孫娘が使徒の職責を担わされる日など三十年は先でよい」
どうやら嘘は言っていないぞ。母は嘘が上手ではない。頭から爪先まで本気で言っている様子だ。
「ダラルロートにもそのように言い含めてやってくれ、ミラーソード」
「嫌ですねえ、スコトス。手紙配達人としてさえ耄碌したと言うのに。ミラーソード様は自発的に引退するのがスコトスの為だと仰っているに過ぎませんよ」
「ミラーソード様。お言葉ながらエムブレピアンの寿命は四十年ほどと言われております。使徒になって頂けるのなら不老化するのはもう少し若い頃の方がよろしいのではないですか」
「誰の娘だと思っているのだ? たかが若さを保つ為に神の選別など要るまい。デオマイアに必要なのは人としての生だ。ましてや子供として愛されるべき時間を帝国の下らぬ都合で奪わせはしない」
母は使徒二匹を相手に全く退く気を見せなかった。スコトスの在任期間に関して多少、スコトスに配慮して見せた程度か。
「それほど不安ならば尚更にミーセオ帝国は外敵との戦いに励むべきではないのか。南部の和睦後もまだ東部と北部が安定せぬのは戦力が貧弱なのではないのか? ミーセオの正規軍がプロバトンの奴隷兵団よりも弱い事実は恥ずべき事だ」
「戦力が足りないのだ、ミラーソード。貴公なり使徒のミラーソード、或いはデオマイア姫が手を貸してくれるのならましにはなるはずだ」
「生憎と私も孫娘と共に療養中の身でな」
……うん? カーリーが何やら嘘っぽい事を言い出したぞ。心にもない事を言っている感じが強い。
「ミラーは魂洗いが進むまでは前線への支援要請に応じる気がないそうだ。
スコトスが帝国への支援を望むのならば、我々が孫娘の魂洗いを進めるのに手を貸してくれた方がよいのではないのか。借りができたのなら我々としても応えてはやろう。大師への借りを返す邪魔を帝国がするとは何とも困った事態だ」
「魂洗いの役に立てるほど魔力が強いのはサイ大師とジャオ・ハンくらいだ、ミラーソード」
「協力してくれる気があるのなら御所へお帰りなさい。居座られるのは大君としての執務の邪魔でいけません」
ダラルロートの言葉には虚言の色こそ全くないが、ずっと俺に付きっ切りでワバルロートが青い顔をしていたぞ? 大嘘だ、嘘吐きがいる。
「デオマイア。そなたはまだ幼い」
母が俺を見下ろしているのが解るので見上げたいのだが、ダラルロートに減点されるかどうか。見上げたいな、蛙二匹など見飽きたよ。けれど一点でも減点されると俺はダラルロートに約束された褒美を貰えないのだ。
「大人に庇われて温室で過ごすべき年齢のそなたを人質になど差し出しはしない」
「ミラーソード様の仰せの通りでございます」
……俺は引き裂かれたミラーソードだった者だ。本当に子供として扱われていいのだろうか? 大人の肉体になってカーリーの魂洗いなり、仕事を手伝うべきではないのか? アディケオの使徒だった者としての意識で思わなくはないが、カーリーとダラルロートにそうして貰えるのなら目一杯愛されたい。ミラーソードに幼生だった時期などない。俺にはある。ならば俺の方が幸福なのかもしれないではないか。
「あくまでも今回の訪問の目的はデオマイア姫との顔繋ぎですので、成果を上げる事を期待されてはおりませんけれどね……」
けろりと蛙らしい啼き声を上げてジャオ・ハンは俺に言った。
「十数年後でもよろしいので帝国にお力添えを頂きたいとは切実に願っているのですよ、デオマイア姫。アディケオが姫君の呪縛を断つ力を有している事だけでも御記憶頂ければ幸いです」
面会はジャオ・ハンの言葉でほぼ終わりだった。ダラルロートはスコトスに対して邪険に振舞ったし、カーリーが椅子に座り直す事も無かった。今日、カーリーが来てくれたのは俺にとって幸いだったのだとは何となく感じたよ。