171. デオマイアの呼び声
母から貰った手紙に対しての返信を書く為には母の手紙を百回は読みたかったのだが、ダラルロートが許してくれなかった。もっと要領よく書けと指導されてしまった。
「デオマイア様。お母君への返信で失敗しても大事にはなりますまいが、要領は学んで頂かなくてはなりません。次のお手紙もおそらくは同様の物量で届きますよ」
「ダラルロートよ。母は手持ち無沙汰なのだろうか?」
「いいえ、六部族に対する脅迫に出て回っておられますからお忙しいですよ。
彼には元々、ノモスケファーラの聖騎士であった頃に監視対象への手紙を書く習慣があったようです。夏の宮殿へ報告に伺うとデオマイア様の暮らし振りについて非常に細やかな質問を受けますからねえ」
母の仕事が脅迫で、趣味と言うより職務とも思える手紙が監視対象に対して? 俺の監視好きはやはり母の気質だな? ダラルロートが何をしていたかについて記録を残したく思い、術式を思い付いた時などの為にと称して作らせた白紙の備忘録に日記のようなものを書いてはいる。表向きは俺がリンミで何をして過ごしたかの記録で、実際にはダラルロートを観察した記録だ。
「そうなのか」
右からも左からも流す事にした。触らぬ聖騎士に祟りなしだ、多分。次の手紙が届く前に返信を書こう。俺はそうするべきだ。返信を書くに当たってダラルロートの指導は厳しく、俺は一人称を修正させられたし、敬体で書くように何度も修正を指示された。一文字でも書き損じがあると何度でも清書をやり直させられた。母への愛しか書き綴っていないので苦痛ではなかったがね。
「お母君の性格からすれば、デオマイア様からの返信は琥珀の館の私室内で厳重に保管される事になるでしょう。五年や十年ではなく、二十年から三十年は紙が朽ちるまで保管されるとお考えなさい」
「解った、紙が朽ちぬように魔力付与しよう」
届いた手紙に対しては既に防火と防汚と不朽を付与済みだ。燃える事も汚れる事も朽ちる事もない。綴じられた本に対して付与したのでミラーソードらの手紙にも保護が及んでしまったが、別に構うまい。俺は母からの手紙を絶対に失くさないからな。盗まれたり奪われたりせぬよう厳重に守護できる宝箱も拵えなくてはならない。次に届くであろう手紙は母からの手紙に対しての執着心を更に満足させてくれるだろう。
書き上げた手紙はダラルロートが夏の宮殿へ届けてくれた。母宛の分しか書かなかったが、ゼナイダからの助言もあった事であるし母にさえ返信すればいいだろう。随分と雰囲気は変わってしまったが、書きたい事は書けたので満足している。カーリーから返事を貰えたらきっと喜べるだろう。その日の夜はダラルロートがくれたスライムを抱いて快く眠れた。
それにしても、俺が晴れさせたリンミは結構危ない所だったらしいぞ。呪文書と祈祷書を積み上げて俺用の呪文書に記す術式を整理している間、ダラルロートは大君代行ワバルロートと魔女シャンディを相手に何やら報告を受けていた。
河の堤防が決壊しかけていた箇所が見つかり、臨時の土木工事をするのだと話が聞こえて来た。不自然に弱っていて補修が必要なのだそうな。
「大君、ジャオ・ハン様からお話がありました。未認可の転移陣が幾つかリンミ市内に設置されているようです。弱っていた堤防の付近で不審な地下道が発見されてもいます」
「対応なさい」
ダラルロートはワバルロートに手を貸してやる気はないようだ。俺に対する注意を払いながら、ワバルロートに対しては取り付く島もない。俺に付きっ切りでいてくれるのは仕事だからだろうか? リンミの大君もダラルロートの仕事のはずなのだが。
「使徒様は雨が好きだからって長居してるわよね。晴れたんだしそろそろ帰らないの?」
「デオマイア姫様にお目に掛かる前に戻ったら大目玉を喰らうと主張され、まだ御滞在中です」
スコトスとジャオ・ハンはまだ大君の館に滞在している。ダラルロートが直々に世話を焼いてくれるのは、スコトスとジャオ・ハンに妙な事を吹き込まれたくないからだとは聞かされている。
「俺が会ってやれば帰るのかね」
「お会いになっても引き続き居座ると思われます。アディケオの意向はデオマイア様の確保でしょうからな」
ワバルロートは魔性の血統を受け継いでいて常人よりは強いらしいが、使徒を務めている化け蛙どもよりは力負けする。暗殺者と言うクラスはそれほど正面切っての戦いに向いてはいないとも聞いている。ヤン・グァンは戦いよりも知識に重点を置いた司教だ。シャンディはリンミでこそ最高幹部の一人として振る舞っているが、魔術師としてまだ未熟。ダラルロートを補助する戦力として数えられる水準には達していない。
「俺の確保なあ。ミラーソード、誰か一人貸してくれんか? 蛙が二匹けろけろ大君の館で啼いているのを帰らせたい」
母が一番嬉しいが、さて誰を遣すかな。組み上げた心術の術式を使ってミラーソードに呼び掛けてみた。遠方にいようともよく知っている対象であれば聞こえるように組み上げた。
「デオマイアだな!? 誰がいい、俺が行こうか? いや俺でいいな、俺が行く」
ワバルロートが帯剣していた鏡の剣からミラーソードの泡を食ったような声が響く。ダラルロートはワバルロートの腰から刀身が鏡面処理された剣を無造作に抜き、常と変わらぬ声音で諌めた。
「ミラーソード様とお父君以外でお願いします。御二方はまだ早いですよ」
「大君、やらかしてくれた父はともかく俺はそんなに信用ないのかよ!?」
「あのような様で娘に接した後でよくもほざけますよねえ」
「ちょっと大君、ミラーソード様は何やらかしたのよ。
大君は大君でデオマイア様を泣かせた事は報告してるんでしょうね?」
ダラルロートの喋り方が主君に対するものではない気がしてならない。ミラーソードめ、反逆されかけているのではなかろうな? シャンディの抗議にはミラーソードとダラルロートの二人が揃って黙殺の構えでいる。
「やらかしたと言うなら孫娘の前で正体を失くしていた私もではないのか、ダラルロートよ」
「お母君の件は多分に不可抗力ですので。デオマイア様はお会いになりたいでしょうからねえ」
母の声がして、ダラルロートも母の来訪を拒んではいない? ダラルロートが何やら目で促して来る。
「デミ、カーリーに会いたいな」
母の手紙への返信を書きながら、女児らしい声の出し方を練習させられた時間は俺に報いてくれるだろうか。
「ミラー、大君の館へ送れ」
「転移妨害結界の範囲外へお願いします。ミラー様の召喚術への熟練はデオマイア様を大きく下回りますのでねえ」
母に会えるぞ! ダラルロートが許してくれて母がやって来るのなら確定だ!
「デミ? カーリー? ……母よ、デオマイアからの手紙を見せてくれねえ?」
「僕にも見せて、お母さん」
「エファも読みたいのだ、お母さん」
「孫娘との約束を違える気はない」
「減るもんじゃないでしょ、お母さん」
「神子よ、間違いなく私への信頼が損なわれる」
ダラルロートの采配でな。母への返信は母以外には見せないように、と念押しして届けてくれたのだ。母以外の者は俺の返信を読んでいないようだし、見せる気もないようだ。それでいい。
「ワバルロートは暗黒騎士殿を迎えなさい。シャンディ嬢はスコトスとジャオ・ハンに面会に応じるかどうか打診なさい」
「はい」
「報告書は直接渡さないと握り潰されてる訳よね? いいわ、行って来る」
「シャンディは深く追及しなくていい!」
鏡の剣からはミラーソードの落ち着きのない声。外見が六眼と白鱗に変容しても声を聞く限りでは精神の方はさほど変わってはいないと見える。ワバルロートは鞘を大君に差し出してから迅速に、シャンディは文句を言いながらも俺の研究室から出て行った。
腹心を追い払ったダラルロートが俺に目線の高さを合わせて来た。膝の上に座って静かにしていたスライムも何やら俺の手を握って来る。
「幾つかお約束して頂きたい事がございます、デオマイア様」
「良かろう、言ってくれ。守る努力はしよう」
ダラルロートに約束させられた事はそれほど多くはなかったが、さて俺は守れるだろうかね。スコトスに揚げ足を取られぬようにはせねばなるまいよ。