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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
分かたれし者デオマイア II
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164. 女官と宦官

 スコトスはサイ大師からだと言う書状を俺に直接渡したがったが、武装したダラルロートが抜刀さえちらつかせて頑として拒否した。俺と同じ程度の大きさの蛙に見えるスコトスの動きは俺が目で追い切れないほど速いのだが、ダラルロートも互角か更に速い。

 戦いと言うよりは戯れ合いに見えたし、気付いた事があったので手を出しかねた。スコトスが雄だったなら唆された通りに殺していたと思う。


「魔力反応がありますよねえ」

「サイ大師が初対面の相手からの信頼を失うような術を仕込む訳がないだろう、ダラルロート」

「箱入り娘への手紙に恋慕や印象操作の術を仕込む実例など幾らでも横行しておりましょうに、スコトス」

「宦官は物の見方が捻くれていていけない」

「宮女どもよりはましな人間性を留めていると考えておりますがねえ」


 書状を抱えた蛙が一歩踏み込もうとすれば、ダラルロートが足蹴にする勢いで追い払う。上へ跳び上がれば詠唱破棄(ノーキャスト)された理力術で形成された斥力障壁がスコトスを阻む。平べったくなって窓をすり抜ける事はできても、反発する力である斥力を前にしては突破できないらしい。覚えておこう。


「……二人とも忙しい所悪いが、疑問があってな。サイ大師との婚姻と言う事は、彼は宦官ではないのか?」


 アディケオの使徒を悪し様に言う言葉がアディケオの宦官だ。アガソスを滅ぼす前、アガソニアンがアディケオの使徒相手に言い放つのを聞いた事がある。

 ミラーソードは使徒になった時の契約で宦官勤めを免じられていたし、そもそもスライムだから雄と雌の区別がない。無性だ。俺はと言えば雌なので宦官にはされんだろう。しかし、俺の知っているサイ大師はどう考えてもミーセオニーズの男だ。母以外の雄には触れられたくない。


「サイ大師だからな」

「サイ大師ですからねえ」


 二人は牽制を繰り返しながらもそんな返事を遣した。右手で抜き放った剣で斬り殺そうとさえするダラルロート。左手が空のままなのは二刀流が手数の為に犠牲にする命中精度低下を嫌ったか? 或いは殺す気がないだけか。隙あらば俺のいる寝台に接近したいスコトスが見せる軽業は大した曲芸だ。垂直の壁を平然と足場のように使って跳ねて来る。


「誰もサイ大師の正確な年齢を知らないのさ、デオマイア姫。ミーセオ悪国が成立した時、既に皇帝家を守護していたとは言われている」

「第一使徒だけはただの一度も代替わりしておりませんからねえ。舞踏の稽古不足ですよ、スコトス」


 どう見ても容赦なく連打した理力術で不可視の拳を叩き込んだダラルロートが涼やかな声で言い、スコトスが手を緩めた書状を念動力で掴むようにして奪い取った。スコトスはふらついたまま影へと下がる。勝負あったようで、スコトスは影の中で蛙の腹を見せて降参の姿勢を示している。


「伝令働きをこなせないとはとんだ不覚だ。サイ大師に何と言われる事か」

「日々の研鑽を怠るからそうなるのです。第二使徒に留まりたいならば、私とデオマイア様が空き待ちをしている事を忘れるべきではありませんな。

 それにしてもリンミの大君として申し上げるなら、サイ大師の如き年齢不詳の老術師よりも真っ当な縁談を調えたい所ですがねえ。何故、サイ大師なのです?」


 ダラルロートは降参態勢のスコトスを斬りたげに見下ろしている。理力術で触れぬままに保持する奪った書状を開こうとはしない。


「そもそもはミラーソードがサイ大師を嫁に欲しいとほざいたと聞いたぞ」

「では、書状の宛先はミラーソード様であるべきですねえ。デオマイア様に縁談の釣書をお見せするのはまだ早過ぎます」


 ……俺の睡眠が妨害されたそもそもの原因はミラーソードか。

 ミラーソードめ、本当に求婚していたとは。イクタス・バーナバと婚姻した事も不快だったが、一体どれだけ節操がないのだ? 俺の分かたれた半身とは思えん。断じて思いたくない。俺はミラーソードじゃない。ミラーソードが望んだ婚姻など要らぬ。


「ダラルロート、俺は」

「皆まで仰らずとも御心は心得ております、デオマイア様。

 貴公子から貢がせるだけ貢がせた上で捨てる練習は、いつ始めても早過ぎると言う事はございません。私がきちんと指南を致しますよ」

「……そうか、わかった」


 ダラルロートはこんなに頼りになる腹心だっただろうか? 元々化け物だったのを殺してからは更に本格的な化け物じみていたが、俺をスコトスから庇って立つ大君の頼もしさに感動さえしている。


「サイ大師が何十年か振りに書いたと仰った恋文を宦官に握り潰されたなどと、恐ろしくて報告したくない。勘弁してくれないかい、ダラルロート」

「それはそれは。稽古を怠けたスコトスがしくじった、と私直々にお知らせするのはさぞ愉しかったでしょうにねえ。生憎と留守を任せるに足る者が一人としておりません。私自身が分裂でもしない事には手が回りませんよ。命拾いしたのではないですか、スコトス?」


 よろしくない情景を想像してしまった俺は身を震わせた。スライムの本性を現して喋るダラルロートが分裂する様を。ミラーソードが最初に生み出した分体のダラルロートは人型をしているが、黒いスライムになれるし意識を失う事もない。何が嫌って、ダラルロートがやろうとしたらできそうなのが嫌だ。大君は何を仕出かすか解らない。


「諦めて叱責を受ける事ですよ、スコトス。私に追い払われる者がデオマイア様に敵うべくもない」


 黒い蛙が悔しげに啼き、平たくなって滑るように窓の外へと消えた。剣を鞘に納めて窓辺に寄ったダラルロートは何やら術を施した後、振り返って脈打つように輝く渾沌精を眩しげに見た。精霊はただ存在するだけでも正属性のスコトスの動きを悪くする程度の働きはしていたよ。中立のダラルロートに対しては悪さをしない。


「随分と高位の精霊を召喚なさいましたねえ」

「こんな奴でもまだ幾らか使い勝手がいい部類の精霊でな。

 あまり透けてはいないが、素のミラーソードなら卒倒すると思うか?」

「恐怖で身動きはできなくなるでしょうねえ。ミラーソード様は半透明か透明かを主観で判断なさいます。精霊らしきもの、と不確定に認識すれば透けた布であろうと何にでも怯えますよ」

「ならいい、適任だ」


 室内にダラルロートがいるだろうとは思っていたが、武装している様子からしても休んではいないように思える。休ませずにいて警護など続けられるのか、と魔術師として気に掛けはする。睡眠は魔力の手っ取り早い回復手段だ。


「俺はある程度の精霊を配置してやれる。放置しても一月(ひとつき)は現界できる。

 夏の宮殿では拝まれて鬱陶しいか、送還されるか、支配権を持って行かれるかするばかりで使い物にならなかったがね。ダラルロートに護って貰うにしても交代で休むべきだとは思う」


 渾沌精が本来棲んでいる世界、渾沌の海の輝きだと言う複雑な光を放つ渾沌精だけが室内を照らしている。ダラルロートが俺を見下ろす顔は鉄面皮で、何を考えているやら測り難い。


「それとも、いっそ一緒に寝た方がいいのかね。

 ダラルロートよ。俺はミラーソードなのかミラーソードではないのか、ダラルロートにとってはどちらなのだ?」

「我が主の望まれる方ですよ、デオマイア様」


 ダラルロートが左手を俺に向けた。鎧として仕立てられた衣の下で何かが蠢き、左腕が収まっているべき袖が不自然に歪む。ダラルロート自身は苦痛に耐える様子があるものの、悲鳴は上げない。肩から先が空になった左袖が垂れ下がり、そいつは寝台へと這い出して来た。


「明確な知性は持っておりません。私との間で弱い共感が可能なだけです」

「よく解らぬ芸当を俺の知らぬ間に覚えるよな、ダラルロート。どこで何をすれば覚えられるのだ?」

「源泉に浸って得たものを持ち帰り、日々研鑽した賜物ですよ」


 ダラルロートが左腕を犠牲にして生み出したのは黒いスライムだった。元が腕一つなのでそれほど大きなものではないが、知性を持っていないと言われた割には俺を求めるように摺り寄って来た。


「望むのなら身を任せてやったのだがね。スコトスが雌なのは視て解ったが、ダラルロートは雌が嫌いなのか?」

「デオマイア様はお母君以外の男性をお望みではありますまいよ」

「宦官のダラルロートは例外かもしれんぞ」


 黒い瞳が揺れているように見えるのは渾沌精の光だ。ダラルロート自身の感慨ではない。黒いスライムは寝具や夜着を溶かすような事はせず、ただ俺に寄り添っている。ダラルロートだと思えば拒みはしない。


「まあ、いいさ。俺も雄は嫌いだ。ダラルロートが雌を好かないのは残念だがね。

 書状だのの扱いは任せるゆえ、大君も少しは休んでくれよ」

「デオマイア様は眠りたいだけお休みになって下さい。睡眠を中断されてしまったのは防護が及ばなかった私の責任です」

「そなたの責任ではない。俺が無防備だったのだよ」


 ダラルロートに防げなかったのだぞ。俺かミラーソードでなければ厳しかろうさ。俺は室内に三種類ほどの防護結界を張り巡らせ、大君の館を徘徊するよう命じた幾らかの精霊を召喚してもやった。


「流石に眠い。昼まで起きないかもしれん」

「おやすみなさいませ、デオマイア様」

「おやすみ、ダラルロート」


 欠伸を噛み殺しながら布団を被って寝入った振りをすれば、ダラルロートが掛け布団を直してくれたようだった。愛玩動物めいて与えられたスライムはぺとりと俺に寄り添っているだけだ。

 ミラーソードが肉体を許したならダラルロートは寝台に上がって来ただろう。俺に対しては小さなスライムをくれた。ダラルロートにとっての俺はミラーソードではないと言われたようにも思うし、俺はミラーソードだと言われたようにも思える。はぐらかされたように思えるし、答えをくれたようにも思える。どっちなんだ。


 ミラーソードからダラルロートを奪い取るにはどうしたものだろうな? ダラルロートさえ押さえられれば父を斬り殺してくれて、母に手を出し易くなると思う。愛しい母と結婚する為には努力しなくてはならない、とゼナイダが言っていた。俺の努力の方向性は正しいのだろうか。間違っているのだろうか。寄り添うスライムは答えてはくれなかったが、頬に触れられるのは心地よかった。

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