表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
イクタス・バーナバの夫ミラーソード II
161/502

160. イクタス・バーナバの神域

 神学の初歩が教える所として、神々は神域と呼ばれる独自の領域に居を構えている。神域から現世へ契印を降ろし、神の血を引き継ぐ王族が契印と契約する事で現世の土地に根付くとされている。契印を埋め込まれた土地は神が持つ権能によって繁栄する。版図の拡大には敬虔な信仰が必要だと説かれている。神々は捧げられた信仰に応えて更なる権能を振るい、信奉者に恩寵を与えてくれる。


 とは言われているのだが、俺は隠れる(きみ)の御所なり夏の都と言った聖域に立ち入った事はあっても神域は初めてだ。イクタス・バーナバに呼ばれて神域に入り込んだ時、俺は人型の擬態でもスライムでもなかった。魚の群れに変わってしまった。


「なんだこれ!? 俺が魚になってるのはどう言う事だ、妻よ?」


 色()()りで種類も違うような奇妙な魚の群れとして俺の意思のままに神域の水の中を動けるのだが、どうにも勝手が違う。

 招かれるままに泳いでいると、群れの中から魚の一部が住み良さそうな暗闇や温かい水場を見つけては好き勝手に止まってしまう。黒や赤黒い魚は冷たい水底の泥や岩陰の暗闇を好み、明るく多色の色合いの魚は温かい水と水草の生えた浅い水場を好んだ。水流に乗って回遊を楽しみに行ってしまった連中もいる。魚は俺の知識やら技能、更に言えば注がれている恩寵じゃないのかね、と気付いた頃には少数の魚が神前に至っていた。


 イクタス・バーナバの本体は夢の中で会っていた分霊とは存在感と規模が全く違った。頭が二つあって尾はない銀色の魚ではあるらしい。俺が見ている銀色の眩い壁はどうやら鱗の一枚らしいぞ、と気付いてようやく途方もない巨大さを認識した。

 どうするよ俺、体格差が接吻してやれるかどうか案じるどころの差ではないぞ。蚯蚓(みみず)と山が結婚するくらい無茶なのではないのか。いや、蚯蚓(みみず)よりはもう少し大きいか? 神を直に眺めた俺は、どうやら大きさの差は信仰してくれている者の数と信仰心の強さの差らしいぞと察した。俺は神格を持っていないから信仰を受け止めるやり方を知らんのだがね。いずれにしても国家一つを繁栄させている土着神の総身を前にしては、俺の大きさなど虫けらに等しかった。



 ともあれようやく会えたのだ、複数の魚になっている身体で妻の鱗に触れ、擦ってみた。体格差はあまりにも凄まじかったが、妻が喜んでくれている事は確かに感じられた。


 妻と初めて交わった時の記憶を改めて書き留めようとすると何やら気恥ずかしい。

 俺は複数匹の魚だったし、妻は一匹の完成された巨大な神魚だった。増殖の異能の化身となっている魚が妻に求められたものを注ぎ、導かれるままに選ばれた魚が交わった。

 女神たる妻に対して雄として振舞ったのは確かなのだが、あれで良かったのかを自問すると全く解らない。体格差がもう少しまともだったなら実感できたのかもしれないが、俺だけが神と交わる快感を味わってしまったのではないのかと疑っている。少なくとも、同格の神であれば与え得るものを妻に与えられたはずはない。



 交わった後は神威と属性そのものの水の中を漂うように泳ぎ、妻と話をした。妻は現世では俺に話せずにいた事を少しずつではあったが伝えてくれた。俺の祖母、異界の腐敗の邪神は妻に対して魂泥棒の咎で怒り、脅していた。


「何してくれてるんだよ、婆ちゃん。俺は魂を割られた事に関しては妻に怒ってはおらんぞ、むしろ感謝している。許してやってくれんかね?」

「デオマイアが怒っているのだよ。大母は曾孫の訴えを聞き付けてイクタス・バーナバを脅したのだ」


 妻に打ち明けられた事実は魚になって泳ぐ俺の頭を痛めさせた。

 欠けた魂で生まれたデオマイアは生後から不平不満を強く感じていたそうだ。妻は幾つかの術の行使を禁じて夏の宮殿に留めようとしたが、娘がアディケオと腐敗の邪神こと大母に対して祈ったのを二柱に聞き付けられた。


 神々が交わした交信を俺に解る概念に落とし込まれて伝えられた所によれば、大母はデオマイアと俺の両方を見ていたようだ。両親と引き離されて怒りと恨みを募らせる曾孫のデオマイア。愛の異能の呪縛から解放され、幸福げに両親と共に過ごしていた孫の俺。

 デオマイアの様子しか見ていなかったなら、大母は妻に対してもっと情け容赦なく滅する勢いで接していたはずだそうな。妻に見せられた概念で覗いた俺の祖母は想像よりも遥かに攻撃的に妻を脅す、途方もない大きさのスライムだった。性格的には母に近いのではないのか?


 大母は妻からの神格の剥奪を脅迫した上で要求したそうな。盗み出した魂を娘だと主張するのならば、イクタス・バーナバは孫と婚姻した上で曾孫の魂を欠けのないものにして見せろ。さすれば許してやらん事もないと。言い回しは俺の翻訳であって、実際に大母が口を開いたならもっと重々しい口調なのではないかと思う。或いは父と同程度に緩く軽い感じだろうか?

 大母は俺に神託を下しつつ、魂洗いが可能なアディケオにも恫喝紛いの事をしてくれていたらしい。……どうしよう、俺の祖母が上司を脅迫していたなんて知りたくなかったぞ。条件を付けた上で魂洗いの秘儀を赦してくれたアディケオだが、粘ったら譲歩してくれたのだろうか。


 ともあれ妻は俺に対して求婚し、俺が受け入れた事で大母からの脅迫は幾らか和らいだらしい。魂泥棒から一応の孫の嫁と言う扱いになった感じだが、大母は曾孫からの訴えも軽視してはいなかった。大母はデオマイアから許される事も要求していると言う。デオマイアの魂を完全な一つにし、デオマイアからも母として認められたなら赦してやろうと言うのが妻に突き付けられた課題であり脅しだった。

 もしもデオマイアが娘として一つの魂となる事なく命を落としたり、イクタス・バーナバを母として認めぬままに地獄へとやって来たなら、生贄を三百万捧げるか滅ぼされるか選ばせてやるとまで申し渡している。そんな話なら俺にも直接伝えてくれよ、祖母よ! どうして神域に俺が来るまでは話すななんて制限をしてくれたかな。


「契印が力を持つ間、神域は神そのものに等しい。ミラーソードがイクタス・バーナバの中へ踏み込む意思があるか大母は試したのだよ。愛されているかどうかを」

「愛しているよ、妻よ。俺はスライムだが、魚になるのもそう悪い心地はしない」

「ミラーソードは寛容だ。変容を耐え難く思うものの方が多い」


 失敗した際に課されると言う三百万もの生贄は流石に厳しかろう。母は戦争に行って貰ったら二万殺して来たが、毎日二万殺して全てを生贄にしても百五十日掛かるではないか。……大した数ではないように思えたのはきっと気のせいだ。俺は魂洗いの進んでいない母を前線になど出したくないが、妻と娘の事を許して貰う為にならば母に頼るだろうか。情を交わした妻を殺されたくないのだと。


「妻よ、俺の婆ちゃんはどんだけ強いのだ?」

「強大な大権能を四つ持ち地獄に強い関わりを持つのが大母だ。

 大権能を二つしか持たないイクタス・バーナバの力が及ぶ存在ではない。

 大権能を三つ持ち、ミーセオ帝国を守護するアディケオよりも力は上だ」


 妻の答える所は明白だった。俺の祖母は強過ぎる。どう転んでも暴力が通用する相手ではない。どうやら俺達夫婦は死に物狂いでデオマイアの機嫌を取らねばならんらしいが、現状では俺と妻は嫌われてしまっている。


「アディケオはリンミでデオマイアへの干渉を試みるだろう。

 デオマイアの祈りを聞いていたし、大母にもイクタス・バーナバを試せと唆されているからだ」


 ダラルロートが立ち向かうと言う試練は相当に危険なのではないか? しかもダラルロートだ、アディケオ寄りの態度になるんじゃないのかね? 生贄を三百万はどう考えても厳しいのでデオマイアには機嫌を直して欲しい。祖母が要求する通り、魂洗いもしてやらねばならん。



 現世ではでかくなった図体を不自由に思う事さえあったが、神を前にしては俺はあまりにも小さかった。井戸の中で暮らす蛙が「近頃は俺の家が狭くなった」と嘆いていたのだ。

 井戸から頭を覗かせてみれば、神が何やら争いをしていた。お怒りのスライムな俺の祖母。祖母からとばっちりを喰らったらしい半身が焼け爛れた俺の上司。対峙する妻は最も小さく弱い魚の女神だ。俺は井戸の中に戻るべきだろうか。それとも井戸の外に出るべきだろうか。快適だった頃の井戸が恋しいのは確かだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ