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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
イクタス・バーナバの夫ミラーソード II
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157. 大君の箴言

 母の真名の取り扱いに関する記憶操作はダラルロートが処置した。大母の命令を歪め、次に目覚めた時には名前の事を深く考えさせないように仕組んでくれた。いつまた大母が遣わした司直としての意識を取り戻すかは解らないと言われたが、母を愛している事に変わりはない。

 諦めや降参と言った概念が辞書に載っていなさそうな母の事だ、何度でも意識を取り戻すのだろう。騙しているのは俺の方だ。アディケオの第三使徒として欺き、魂洗いを重ねて母を癒し切って見せる。


 愛しい娘もどうにかしてやらねばならん。人型に戻り、父とダラルロートが話し合うのを横目に寝台を見る。並んで寝かされている母とデオマイアは両方とも愛している。術と異能を叩き付けあって屈服させた後でなかったなら、微笑ましい光景だっただろうに。


「ダラちゃんの意見を訊いてもいい? 記憶を探査して思う所あったみたいよね」

「ええ。我々はデオマイア様の劣等感を解消して差し上げるべきでしょう」


 ダラルロートが俺に向き直り、懐から閉じられたままの扇を手に取った。意味する所は『その話は私の気分を害するぞ』ではない。多くの場合はただ下げられている扇の玉飾りが握り込まれている為、ミーセオの礼法においては異なる意味になる。『私の話が目上の貴人の気分を害すると知っているが、言わせて貰う』だ。時と場合によっては斬首さえ覚悟した箴言(しんげん)の構えではないか? どうした、ダラルロート。


「ミラー様、イクタス・バーナバの手からデオマイア様を取り上げなさいませ」

「大君の意見ならば聞くゆえ、そのような決死の覚悟などせんでよい。俺も気付いている事はある」


 ダラルロートの言いたい事は俺も予想できている。俺の半身はエムブレポで随分な暮らし振りだったようだからな。永続化した隠身で衆目の目から隠れている時点でおかしいとは思ったさ。

 ダラルロートが摘み上げたのはデオマイアから抜き取られた装飾品の一つだ。粘土を捏ねて造ったような魚とも蛙ともつかない奇妙な何か。もしかすると蟻かもしれない。


「装飾品の造形は彼女の歪んでしまった精神の表れです。

 ミラー様とお父君の手で急造された中でも最も出来の悪い粘土塊だの金属片よりも遥かに粗悪だ」

「ダラちゃんの審美眼が厳し過ぎるのよ。ミーセオの皇帝より厳しいじゃないか」

「私が厳しいのではなく、当代の皇帝の目がよろしくないのです」


 万事に対してダラルロートの審美眼は厳し過ぎるとは思うが、娘の造った粘土細工が粗悪なのは間違いない。ダラルロート自身は陶芸を嗜んでおり、陶器類に対しては特に厳しい。箸置き一つに対してさえ一切の妥協を認めない厳格さだ。真っ先に槍玉に挙げて来たのは当然だろう。


「着衣もよろしくありません。縫い合わせた雑巾ですよねえ?」

「娘には裁縫や仕立ての知識と経験がないようだ。変成術では上手く創れまい」


 もちろんダラルロートが糾弾したのは装飾品だけではない。娘が着ている長衣は一見すると何の変哲もないが、触れてみると布の質の悪さに気付く。覆っている幻術を意志力で破れば、仕立ての悪い継ぎ接ぎめいた形状をしていると露見する。ダラルロートが雑巾呼ばわりするのは遠慮がなさ過ぎるとも思うが、事実ではあろう。


「デオマイア様は変成術の劣化について強く劣等感を感じておられる」

「俺と父の変成術が強過ぎるのであって、デオマイアも弱くはなかろうにな」


 変成術による物品創造は術者に知識と経験を要求する。術者がよく知らないものは上手に創造できない。糸と布の初歩的な扱いさえ知らぬ変成術師が服を創れば雑巾にもなろう。

 俺と父の強さは変成術に対する習熟によるものだけではない。誰から覚えたのか知れない多量の職業経験を有しており、やろうと思えば農家だの酪農家が務まる。肉ならば小は(うずら)から大は牛まで創造できる。俺は調理済みの料理を創造する事を好み、父は肉を創って自身の手で調理する事を好むと言う違いはあるがね。錬金術や調合の心得の有無も影響が大きい。


「夏の宮殿の住人はデオマイア様の精神の荒廃に対して手を打てていません。

 イクタス・バーナバの対処にも相当な問題があったと言わせて頂きます」


 ダラルロートの黒い瞳が俺を見据えている。土着神の聖域の真っ只中にいながらにして妻に直言して来る大君の気概は大したものだと褒めてやりたい。アディケオの御前でもそうだったか。イクタス・バーナバは沈黙しているが、聞いてはいる。


「デオマイア様は喜びや快感を覚えた経験が不自然に少な過ぎます。

 生後から不平と不満、恨みと憎しみの塊ではまともな美的感覚を持てませんよ。

 アガシアに攫われた私でさえ、親元で情緒を養った期間は存在すると言うのに」


 ダラルロートはまだ幾らでも言いたい事があるようだ。目線で先を促す。アガシアに攫われた云々の下りに興味はあるが、今訊ねる事ではあるまい。


「デオマイア様は強大な術師です。変成術の不出来さに固執し、ミラー様に対して(ひが)んでいるのが不可解なほどの実力ですよ。私であれば先手を取れない場合、デオマイア様に抗う術はありません」

「そうね、耐性が甘いから容易く殺せるにしても強い術師だ。

 取引の結果として手放した事を恨まれてはいようが、孫娘を殺したくはない」


 大君なら術師を相手に先手を取れない状況になど身を置くまいがね。ダラルロートは機敏だ。騎士や術師に対して機先を制するなど茶の湯を沸かすように容易い事だろう。

 父が分体に宿っている場合、殺したくないと遠慮していたら倒されてしまうだろう。魔力はデオマイアの方が二人よりも明白に上だった。


「変成術に関してミラー様と比較されるから劣等感を感じているに過ぎません。

 召喚術師としての技量はアディケオの第四使徒ジャオ・ハンを上回ります。ジャオ・ハンは召喚術を専攻した年経た化け蛙ですが、召喚術の技量で0歳児に劣ると知ったら卒倒しかねません。デオマイア様であれば、召喚術を極めていると公称するサイ大師が施した転移妨害結界さえも破れるのではないですかねえ?」

「どのサイ大師が張った結界かにもよるだろうが、大半の結界は破れるだろう」


 アディケオの使徒には手を出せなかったから、俺はまだ術を極めた召喚術師を喰った事がない。サイ大師を喰いたく思っていた理由は召喚術師としての技量欲しさでもあった。娘の召喚術師としての技量は通常の術師が到達できる限界点を恩寵によって超越している。サイ大師に与えられた魔石がなければ煉獄へ降りられない俺よりは上として、娘に何ができるかまでは解らない。俺は召喚術師としては凡庸だ。


「ミラー様の態度も父親としては落第点なのですがねえ」


 大君が蛙めいた眼で俺を見る。妻ではなく、俺自身をだ。玉飾りを握り込んでいる扇で殴られそうな気迫がある。どうやら完全に内心を見透かされていたらしいぞ。


「涎めいて食欲を滴らせながら同化したいと言い寄られたデオマイア様の心証は相当に悪いでしょうねえ」

「大君とて娘が命喰らいの異能にクるのは解るだろう? デオマイアはあんまりにも旨そうだ。引き離されて不幸せならまた一つに戻ればいいではないか」

「操り糸で垂れ下げられた餌を全て口にしていては、次の正月までさえも生きられますまい」


 俺の自己弁護を大君は受け付けてくれなかった。視線の厳しさが増す。馬鹿扱いされているのは解るので少々肩を落とし、反省の意を示す。


「ミラー様の未熟さは私とアステールが尻を叩き直す事もできましょうが、神に対しては残念ながら不可能です。私の力では及びません」

「愛娘がアディケオと腐敗の邪神の手には渡らぬと確信が持てるまではこうせざるを得なかったのだ、リンミの大君」


 ダラルロートに対して妻がようやく口を開いた。声には強さがない。


「アディケオに身柄を差し出したくはなく、腐敗の邪神に魂を奪われたくもないと言う御心を推し量るとしても不可解な点はまだ残ります。何故ゼナイダの口を装い、デオマイア様にスカンダロンへの信仰を勧めたのでしょう? 属性は一致しませんよねえ」


 ……スカンダロンだと? 俺が隠れる(きみ)の御所で幻視した娘は崩落の大君スカンダロンに祈っていたと言うのか。


「妻よ、真意を訊ねても?」

「デオマイアとミラーソードに必要なのだよ。

 神ならぬ者達に多くを語り、知らせ過ぎてはならない事を許してはくれまいか」

「お話しになりたくないと仰るのであれば致し方ありませんがねえ。

 一時的にでもデオマイア様の養育権の移動をお認め頂きたい。夏の宮殿に留まり、記憶操作の破れる頻度が高まっている恐れがあるお母君と結託された場合、私には発生する災害の規模を想定できかねます」


 ダラルロートの直訴に対し、妻は考えている様子がある。俺には心の内を明かしてくれぬ事を寂しくも思ったがね。


「デオマイア様には健全な精神を養い直す時間と環境が必要です。

 元が素直で頭のよろしくないミラーソードとは思えないほど(こじ)らせているのは、明らかに御身による潜在意識に対する操作ですよねえ。否定はなさいませんな、イクタス・バーナバよ?」


 聞き間違いかな。大君が今、俺を呼び捨てにしたような。


「最初からミラーソードに喰わせる為にお産みになりましたか、双頭の狂魚神よ?」


 ……どうやら聞き間違いではない。俺はダラルロートの上司のはずなのだが、そんなに出来が悪いだろうか。旨そうな命は全て喰うと思われているような気がする。


「ダラちゃんはリンミニアンの勇者だわ」


 鏡の剣から響く父の独白めいた言葉には賛同してもいいと思ったよ。俺の中のアステールは沈黙を守っているが、ダラルロートを見ている感触はある。


「デオマイアを吸収すればミラーソードが大幅に強大化するのは事実だ」


 ―――我が夫が望む事も、ほんの一押しで実行する事も、知っていたよ。


「デオマイア様の有様は故意ですよねえ?」

「必要な事だった。イクタス・バーナバは大母よりは弱い。力の及ばぬ事もある」


 妻は強い神威をダラルロートに向けようとしない。抑えている。それでもダラルロートが強いられている精神的な消耗は大きいようだ。認識欺瞞の緩みが視えたぞ、と思えばダラルロートは堕落から強引に力を引き出した。緩みは繕われ、神に対峙する大君としての威厳を保つ。


「要は鬱屈しているデオマイアに気晴らしをさせろと理解していいのだな?」

「失敗した場合には大惨事を招く療養を気晴らしなどと言う軽い語彙で誤魔化されては困ります。敢えて申し上げるならば、ミラー様とイクタス・バーナバには関わって頂きたくない案件です」


 俺、妻共々に娘の療養から追い払われそうだぞ。


「イクタス・バーナバは多くを語れない」

「ええ、よろしいでしょう。お許しは頂いたと判断しデオマイア様を連れ出します」

「なあ大君、どこに連れて行く気だ?」


 俺の質問はどうやら完全に失言だったらしい。ダラルロートから向けられる視線に、認識欺瞞皆無で悪ではない者を蔑む色と阿呆を放擲したそうな色合いが同時に混ざったぞ!? 俺の大君は容赦がなさ過ぎる。


「……そんなに不味い事を聞いたかな」

「リンミに決まっておりましょう。私はリンミの大君ですからねえ。

 デオマイア様の御力でリンミに密林やら戦術級精霊が発生する可能性はございますが、このダラルロートがどうとでも致します」

「仔細は大君に任せる。予算と人員は好きに使え」


 言い切ったダラルロートは手にしていた閉じた扇を懐へ戻さず、左の袖に隠した。ミーセオの礼法の意味は『私が箴言(しんげん)した内容に対しての責任を負って行動する』だったはずだ。


 デオマイアが今のままでは不味い事は解る。夏の宮殿に置いていたらマカリオスに限らず誰を殺すか全く読めない。妻の接触を感じる。―――リンミの大君への感謝を口にできぬ非力な妻を許して欲しい、ミラーソード。


「リンミへ戻るなら娘と共に持ち帰ってくれるか。愛娘に服を誂えてやってくれ」

「僕らが用意していた贈り物は落ち着いてからの方が良さそうよね」


 俺は別れの前にデオマイアに与える衣服を仕立てる為の布地を幾つか変成術で拵えた。雑巾呼ばわりされた服をどうにかしてやりたかったが、深く考えずに仕立てるとダラルロートに貶されるのも解り切っていた。ミーセオの染めでは出せぬ色合いで強度も備えた俺特製の絹布だ。大君も文句はあるまい。


「必要な療養時間の見積もりは後程 御報告致します。

 早期にアステールに頼る事をお勧め致しますよ。ミラー様とお母君とスダ・ロンから目を離すのは相当に不安ですが、デオマイア様を抑えられそうなのは私かアステールしかおりません。エファを借りる必要がある場合は御相談に伺います」


 他にもダラルロートは母とスダ・ロンについて細々とした注意事項を言い残したが、デオマイアを連れて長距離転移でリンミへ帰ってしまった。


「なあ、父よ。スダ・ロンは今エファが見てくれてるんだよな?」

「そうよ。マカちゃんも付いてくれてるけど、欺瞞耐性のない人に期待し過ぎちゃダメよ。多分もうサイちゃんかスダちゃんか判んなくなってるからね」


 正直に言うとダラルロートがもう三人くらい欲しい。それともダラルロート同士で(いさか)いを始めてしまうだろうか。手下に頭の出来がよろしくないと真っ向言われる身だが、言い付けくらいは聞ける。俺は本性を現し、新たな分体となるべき血肉を切り離した。


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