153. デオマイアの渇望
煉獄の神に祈れと言ったゼナイダは他にも大量の助言をくれた。
「デオマイア様は努力すればお母さんと結婚できるのだ」
「努力? 今のままではダメだと?」
「たくさん努力して未来を求めなければ掴めない結末なのだ」
母と結婚できる未来も存在すると言うのなら努力とやらをする意志がない訳ではない。俺はゼナイダに話をさせた。
「お母さんの根本的な価値観は名を喪って堕ちた聖騎士であり、暗黒騎士なのだ。悪属性であり、腐敗の邪神を信仰し、ミラーを助けてくれる者ならば近付き易くなる。でも、近付き易いだけでは足りない」
「煉獄の神に祈れと言うのはよく解らぬが、やれと言うならやろう。属性はどうすればいい?」
「エムブレピアン神族としてお生まれになったデオマイア様は属性転向が極めて難しい。狂った中庸から転向できる手段は少ない。
悪しき神々に恩寵を注いで貰い、ミラーのように悪寄りの中庸として振舞えるようになればお母さんの嫌悪感を減らせる。デオマイア様は善寄りだから寝てばかりいるのだ。煉獄の神様の属性は正しき悪だ。デオマイア様がお祈りするにはいい神様だと思う」
俺は簡単には母の属性である狂った悪にはなれないのだそうだ。俺自身は悪に親しみを感じるのだが、善が心を引く力も同時に感じている。どちらへ振れるかはその日の気分次第。寝てばかりいるのは善のせいだと言われたよ。では勤勉さは悪の賜物なのだろうか?
「母にとっての番は親父だろう。親父を押し退けてまでは母を奪えまい」
「腐敗の邪神の神子は排除しなくてもいい。
結婚したいだけなら一番目の妻の座はまだ空いている。ミラーのお母さんは男性で、お父さんは無性だ」
「なるほど?」
ゼナイダの言い分に首を傾げはしたが、納得できなくもなかった。母の妻の座は空いている、とは実に不思議な言い回しに聞こえた。
「デオマイア様は小姑なり、お祖父さんと会話できるようになった方がいい。
ゼナイダは鏡の剣の中にいる人と会話できる術具を造る事をお勧めする」
「……鏡の剣の中にいる母と話す上で必要ではあるな」
ゼナイダの言葉には具体的な行動を促す助言が多く、俺はゼナイダが必要だと言った術具を片っ端から全て造った。
「涼み袋も造ろう、デオマイア様」
「涼み袋だと? 俺にはけしからぬおぞましき手合いを詰める事などできないぞ」
「愛らしいデオマイア様のお造りになる涼み袋の中身はかわいい精霊でいいのだ。
低級の雪精がウサギさんなのだ。氷のように透けていてミラーなら驚くよ」
「良かろう、造ってやる。魔性封じの筒なり指輪を袋で拵えればよい」
ゼナイダの助言に従って俺は自作した涼み袋を携帯し、袋の紐を素早く解く練習を繰り返した。なに、中身が精霊だと知っていれば恐ろしいものではない。むしろ強力な武器だ。ミラーソードを一撃で卒倒させ、全ての抵抗と耐性を剥ぎ取る事ができる。一方的に倒してしまえばやりたい放題できる、と言う空想は非常に愉快だった。俺は精霊神の子だから精霊が透明なのは苦にしないのだ、と言われれば涼み袋が頼もしく思えた。涼み袋を造ってから俺の気は晴れ、一日のうち四分の三は動き回るようになった。
「ダラルロートとじいやとエファは味方に付けるべきなのだ」
「具体的にはどうすればいい?」
「じいやに関してはゼナイダに譲って欲しいのだ」
「いいだろう、アステールはゼナイダの領分だ。ダラルロートとエファについては?」
「デオマイア様が助力して下さるならゼナイダも助けよう。
ダラルロートはミラーに忠実だ。ミラーの役に立てば評価してくれる。少し困らせるくらいの方が懐には入り易い性格ではある。
エファはデオマイア様の婿の一人としてイクタス・バーナバに約束されているのだ」
ダラルロートはいいとして、エファに関しては障害を感じた。俺が母と結婚する上で約束された婿とやらは邪魔なのではないのか? ゼナイダの六つの眼は俺の思考を見透かしたようだ。
「心配要らないのだ、デオマイア様。デオマイア様は夫を何人でも持てるのだよ?
エファもお母さんもみんな愛せばいい。エムブレポの強き女は夫を力の及ぶ限り何人でも囲えるのだ」
「俺は二人を囲っておけるほど強いかね」
「エファはデオマイア様に愛を求めている。応えてくれる愛を持つ人を。
お母さんが欲しいから力を貸せと言って愛せばいい。エファとゼナイダが共に全知の異能を使えば望ましい未来を掴み易くなる。イクタス・バーナバに選ばれたデオマイア様こそが全知を掌握できる立場にいるのだよ?」
赤毛に縁取られた六つの眼はそう言って俺を唆した。神の操り人形の言う事だ。神の意向を受けてはいるのだろうが、俺にとって有益そうな提案と助言には聞こえた。
母の無事を煉獄の神に祈り、術具の作成を進め、勧められるままに戦術級精霊の配備と言った作業にも取り組んだ。
だが、その日はやって来た。俺が独自に創った琥珀の館の一室を模した部屋に神の第一使徒と第二使徒が揃ってやって来て、第二使徒の方が偉そうにしている。
「デオマイア、ミラーソードとイクタス・バーナバの愛娘よ」
ゼナイダの顔をしたゼナイダではない者が口を開くのは面白くない光景だ。マカリオスも控えており、俺が害意を持てば止めに入って来るだろう。鬱陶しい事だ。
「ミラーソードがイクタス・バーナバとの婚姻を受諾してくれた」
神として語るゼナイダは喜色満面とでも言うべき面構えだった。
ミラーソードは何をしているのだ? 俺と違って両親と引き離された神の虜にはならなかったと言うのに、婚姻だと? 何を馬鹿な事をしているのか。それとも俺は喜ぶべきなのだろうか、同じ穴に落ちて来た犠牲者を。崩落の大君スカンダロンとは嫌いな奴を落とし穴に突き落としてくれそうな名前ではある。俺が煉獄の神に祈っていたのは母の無事なのだがな。
「そうか」
俺は冷める自己を認識していた。俺は子で、ミラーソードは夫だと言うのならば、同じ落とし穴と言うよりは隣の独房だと考えた方がいいのではないか。リンミの聖火堂の地下のように、満たされし聖釜のスープを肉体に直結されて生かされる生贄の如きもの。
「ミラーソードは愚かな選択をしてくれたものだ」
術の行使に関する禁止が解かれた後も、神が俺に禁じている行為はまだある。記憶操作されているらしく、神が接近している時にしか認識できない。俺の奥深くで封をされた蓋を開け、憎しみと妬みが這い出して来るのを感じている。
ゼナイダの眼を使う神に視られるのは実に不快だ。ティリンスに対する全知が俺にとって有益でなかったなら、前任者同様に殺してやろうものを。肉体と精神は制圧されてしまっている。神に魂を握られた俺には恐怖症を喚起されずとも抗えない。不快でしかない。神の喜色を翳らせてなお不快だ。
「デオマイア、スカンダロンならばまだいい。腐敗の邪神にだけは触れるな」
「祈ろうとすると眠たくなる。毎回ゼナイダの膝で寝かされているのは貴様の仕業だ」
「触れれば魂を持って行かれる。デオマイアが魂洗いを充分に受けるまでは触れようとしてはいけない。デオマイアを護るイクタス・バーナバも永遠に禁じはしない。理解して欲しい」
「魂洗いとは何だ」
魂洗いとはミラーソードがアディケオに赦された秘儀だそうだ。欠けた魂を癒す手段であり、残り僅か十分の一しか魂がない母の魂を癒す為に必要なのだと言う。煉獄に降りなければ秘儀を執り行う事はできず、ミラーソードは隠れる君の御所から煉獄へ出向いていたのだとも聞かされた。
「ミラーがアディケオに忠誠を誓いながらイクタス・バーナバの夫になった理由だ」
ゼナイダ自身の声でゼナイダが教えてくれた。
「ミラーはアディケオにエムブレポの掌握を求められている。ミラーがアディケオを裏切ればミラーと一緒にいる皆が煉獄へ連れ去られ、惨い罰で長く苦しめられる事になる。デオマイア様の愛するお母さんも例外ではない」
「……ミラーソードの愚か者め。俺を売り渡しただけでは飽き足らず、またしてもろくでもない契約を交わしやがって」
どうやらゼナイダが煉獄の神に祈れと勧めて来た理由とは、煉獄の神の慈悲と寛恕を願ってやれと言う事なのかね。母の為ならば致し方あるまいが、ミラーソードは危険な綱渡りをしている自覚があるのだろうか。
「もうじきだ。イクタス・バーナバを受け入れてくれたミラーソードは夏の都にやって来る。デオマイアも愛されればいい」
「愛で憎しみは消えはせんぞ」
「ミラーソードとエファは愛娘の孤独を癒してはくれよう」
俺が欲しいものはミラーソードでもエファでもないがな。陰気な嘆息を吐き出す。過程として必要ならば踏み台にでも何でもしてやろう。ゼナイダが求めた努力とはおそらくそうした忍耐なり雌伏だ。
「俺は母と結婚したいんだよ」
「イクタス・バーナバとゼナイダは愛娘の渇望を否定はしない」
俺は望みを叶えられるだろうか。精霊導師デオマイアと言う雌の器に閉じ込められ、神に鎖で繋がれる身ではあるが、繋ぐ神は放任の意向を示してはいる。俺はミラーソードの一番大切なものを奪ってやりたい。強く美しい暗黒騎士の母を。