152. デオマイアとゼナイダ
俺の怒りを鎮めて以来、マカリオスは俺の側から殆ど離れなくなった。
俺は継続してエムブレポの食べ物と飲み物を拒み、占術で覗いた両親と共に過ごしているミラーソードの食卓を真似てみる事もした。5歳相当だと言う幼子の肉体では何を創っても食べ切れはしなかったし創った後には虚しさが募ったが、持て余した料理にマカリオスが手を出して来た。
「デオマイア様がお捨てになるのなら頂きたい」
「親父の手料理ほどには手を掛けていないぞ」
俺はミーセオ料理もどきだのアガソス料理まがいの中途半端な代物ばかり変成術で創っていたが、だいたい五人前か六人前は創っていた。幼子の雌に食べ切れる量ではないし、俺が食べたい物よりは味が濃いように感じて余しがちであった。
創り出せるものの質が明らかに落ちていたのも気に入らない点で、調理に手間を掛ける事で補う必要性は認めざるを得なかった。挽いた黒胡椒ひとつ取ってさえミラーソードが創ったものに及ばない。不快だったよ。どうしてミラーソードばかり。
残飯処理係としてのマカリオスは有能だったと認めよう。何をどれだけ創っても平らげたからな。創った後の虚しさが僅かばかり紛れるようになった。
「俺は不満なんだ、マカリオス。腐敗の邪神の恩寵が強ければもっと旨いものを創れる。血が薄れたのか祈りが足りないのか。変成術に恩恵をくれぬ神など崇めてどうするのだ」
「我等が女神が恩恵を与えるのは召喚術と精霊術と心術に対してだ」
「知っている。夏と双頭の恩寵は狂うほど注がれた。
俺は中立だったのに、今や狂った中庸だ。堕落に拠らない狂属性化など嘆かわしいとは思わないか」
「デオマイア様は我等が女神に選ばれたのだ。誇りに思って欲しい」
食後にはマカリオスと言葉を交わす機会ができた。息子を殺してやったはずなのだが、マカリオスは辛抱強く俺が受け答えに応じる範囲を広げて行ったように思う。第一使徒ともなればさぞ神に忠実な操り人形なのだろうと冷めた目で見ていた。
その日、珍しく俺の側から外れていたマカリオスが新しい操り人形を連れて来た。
「……エファ?」
「エファではない。ゼナイダなのだ、デオマイア様」
赤毛の少女は俺の知っていた少年に似ていたが、雌になっていた上にゼナイダと名乗った。マカリオスを六つの眼で睨めば説明はした。
「ゼナイダは我等が女神が怨敵の子の魂を手ずから引き裂いてお産みになった。
夏殺しの力を受け継いだ夏殺しの敵。夏殺しを殺す者、夏狩人だ」
「ミラーソードはエファの魂まで捧げたのか」
「ゼナイダはいい気分だよ? エピスタタはもうゼナイダとエファを縛れない、覗けない。ミラーソードを愛せ、憎しみを煽れと命じては来ない」
ミラーソードは俺が考えていたよりも鬼畜だった。己の魂を半分引き裂いて生贄にしたのだ、夏殺しに押し付けられたエファの魂を半分捧げるなど当然やると考えるべきだったのだろうか。
俺の中に未だ燻っているエファへの愛情は誰に向ければいいのだろう? ゼナイダは外見をエファに似せられてはいるが、六つの眼を見開いたエムブレピアンの雌だ。引き裂かれたもう半分のエファはミラーソードが握っているのだろう。ミラーソードばかりが何もかも持って行く。
「エピスタタを殺してくれるなら誰にだって喝采を送ってやるよ。誰だっていい。エピスタタ当人の自殺でも喜べる自信がある」
「ゼナイダが殺しに行く。その為に産んで貰ったのだから」
俺はゼナイダに対してさほどの関心を持たなかった。第二使徒の空席を埋めると聞いた時も感慨はなかった。ちょうど空席だったからな程度のものだ。ゼナイダが使者として出掛けた時もどうとは思っていなかった。俺は幼子の肉体を倦怠感に任せて寝台に沈め、一日のうち四分の三は眠って暮らした。
エピスタタをアステールが殺したと聞かされた日、俺は特に感動も何もなかった。
アステールが決着を付けてくれたのなら夏狩人など要らなかったのではないのか、と思わなくもなかった程度だ。もっと喜べると期待していたのだが、使徒ども以外とは会話せずに隠身して暮らすようになってから感情の起伏が薄れたように思う。母のようになりつつあるのかもしれないと思えばいっそ快かった。
「じいやがゼナイダとエファの分を背負ってしまった」
「アステールが無抵抗のエピスタタを斬り殺した下りだけはいい報せだ」
自作した寝台で寝転がり、眠気に身を任せる。俺はゼナイダのように少女まで成長させられるつもりはない。俺が無聊を託っているのは性的に成熟したと看做されたら妊娠させられる狂土の宮殿だ。雌として扱われる事に耐えられる気がせず、権能による成長は拒んだ。俺よりも後に産み落とされたゼナイダの方が年長の姿形をしているし、性的に成熟したと看做される頃合に達してしまっている。
「ゼナイダは誰を夫にする気なのだ?」
ゼナイダは気落ちしている様子だったが、俺は興味の向いた事だけ訊ねた。エムブレピアンの雄は少ない。雌は雄を奪い合い、他国から略奪し、或いは契約を交わして共有し、そうする力のない女は雄を借りるだけで済ませるなどする。俺はどうする気もない。雌として求められたら全員を殺してやる気でいる。
「ゼナイダはミラーとじいやが欲しい」
「へえ」
ゼナイダの肉体を鑑定すれば肉体年齢としてはエファと同程度、20前のようだ。ミラーソードの擬態は20代半ば、アステールの外見は初老だが182歳だと知っている。
「デオマイア様は誰が欲しいのだ?」
ゼナイダにミラーソードとアステールが欲しいと言われた後だ。俺は返答に困った。実の所一人だけ欲しい男性はいるが、俺が求めていいものかとも思う。
「デオマイア様はお母さんが欲しいのではないのかな」
「……否定はしない」
ゼナイダには言い当てられたがね。そうさ、俺は契りを避けられないのなら母に抱かれたい。母は男性だ。今の俺は雌だ。可能か不可能かで言ったら可能なんだろう。エムブレポに法などあってないようなものだ。倦怠感が強く、俺はやる気がなかった。なかったのだが。
「デオマイア様、ミーセオ帝国の使節と一緒にミラー達が来るのだよ。
お母さんも一緒なのだ。けれど難儀な事があるので、デオマイア様はお母さんの無事をお祈りする事をお勧めする」
「……祈れと? どの神に対してだ?」
ゼナイダは言った。ティリンス全土に対する全知を有する夏狩人の未来視であり、予言だった。
「崩落の大君スカンダロン。煉獄の神様なのだよ」