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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
イクタス・バーナバの夫ミラーソード I
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149. 半身の証明

「母は恐ろしい」

「そうか」

「そっかあ」


 娘は強力な防御占術で隠れているが、認識欺瞞ではあっても感情を隠そうとはしていない。強度から見て大儀式を執り行って作成した術具の魔力だろうと装飾品を視れば、デオマイアは自作したらしい護符や呪符を携帯しているようだ。俺が着けているのと似たような首飾りもある。おそらく効果も同じだろう。お化けを見て恐怖症の発作を起こした時、長距離転移を起動して撤退する。発動可能な状態にあるようだ。

 アステールが知識を遣すので身体を動かしてみた。抱き上げてやろうとする俺にデオマイアは抵抗せず、ぎこちなくはあったが身を預けて来た。細い首だなと思ったし、触れれば見た目以上に肌が柔らかい。デオマイアにだけ聞こえるように囁いてやる。


「怖いものは仕方あるまい。俺とて母が恐ろしい事はある」

「愛していように」

「娘も愛してはいるだろう? 祖母としてか、母としてかは瑣末な事だ」


 夏殺しのクソッタレをアステールが殺す前の俺はこれほど弱々しかっただろうか。

 内心では首を傾げていた。イクタス・バーナバによって魂を引き裂かれた時、俺は夏殺しに強いられた隷従下で荒れていた。双頭の印により、紐付きだったエファの愛の異能でエファを愛する俺と憎悪を募らせる俺とを分けられた。俺は夏殺しに対する愛を欠落させられたミラーソードとなり、連れて行かれた魂はデオマイアになっている。

 当時の俺がこうも母に対して怯えるほど弱かったとは思えないのだが、こうして触れても俺の同族だと言う気がしない。デオマイアはスライムではない。エファが言っていたように別の種族なのだなと認識すれば寂しく思えた。


「母を宥める力にはなろう。大母に祈り、狂った悪に属性転向できるなら母の機嫌はすぐに直ると思うぞ」

「そうよ、転向が無理でもかーちゃんに祈って見せたら機嫌なんてすぐ直るよ」

「腐敗の邪神への信仰を薄れさせた俺に対して怒っている事は知っている。見ての通り、ダラルロートの占術は覚えていたのでな」


 占術は、と娘は言った。では失ったものがある訳だな。退魔術の他にもなくしてしまった力があるのかもしれない。太守だったダラルロートを喰らう前の俺と父は占術に強くなく、欺瞞への耐性を持っていなかった。

 ダラルロートの占術の腕は大した物で、認識欺瞞によって自身や他者を護り、害意や脅威の存在を察知し、未来や過去を占いで知り、過去を調べる占術の応用発展で直接会った事のない者を詳細鑑定する事もできる。当人が覚えていない誕生日を調べる事もできると聞いた。占いと言われると弱そうに思えるかもしれないが、使い手が勘所を心得ているなら占術は相当に強力な魔術系統だ。奪った経験に基いて術を真似る事はできても、扱い方と言う点で俺はダラルロートに及ばない。


「俺の属性転向は難しかろう。信仰もな……。だが夏狩人の宿敵は俺の敵だ」

「狙わせているのは俺だな」

「父の宿る鏡の剣を狙えば母が許してくれまいよ」


 可愛らしいにも関わらず低く発される声で処刑人の存在を示唆され、探査の手を広げる。分体を殺しても俺が吸収して蘇生させるとは分かっていようから、必然的に狙いは俺だ。今の俺でも夏殺しには瞬殺されるのかどうかなど、実際に試したいとは思わない。試せばおそらく殺される。宿敵に対する夏殺しの強さは異常だ。夏狩人と名を改められていても力としては夏殺しのものだ。


「イクタス・バーナバが夫にしてしまった以上、殺す事はできまいがな」


 はぁ、と小さく嘆息する娘に対して湧いた感情が、染み出しそうだった敵意を吹き消してくれた。


「……死霊術さえ……扱えたなら俺を乗っ取ってやっただろうに」

「母の真似事は止せ」


 恐怖症のせいで全く死霊術を扱えないのは娘も俺と同じらしい。デオマイアはその単語を口にする為に震えを隠せず、俺自身も脱力しそうになる肉体を沈黙している妻に支えて貰った。

 俺は今初めて、祖母が俺達に力と共に授けてくれやがった幽霊恐怖症に感謝したかもしれない。発作の度に味わう恐怖と無力感は、おそらく実際に発作に見舞われた者にしか理解できないのだ。魂を掌握し、死者を亡者に変える魔術系統に対して俺は適性がない。魂を護る為にも必要な系統なのだがね。

 デオマイアの声は低いままだ。陰気な調子の娘をどう宥めたものかと考えていると、娘の唇が動いた。小さいがふっくらしていて軽く吸い付いてみたくなる。


「俺よ。解っていようが、今の俺は女だ。イクタス・バーナバは5歳ほどの肉体だと言っていた」

「可愛らしいと思うぞ、デオマイア。嫁にしたいくらいだ」

「ミラー、親子で結婚しようとするのはどうなの?」


 デオマイアが敵意を含んだ六つの眼で俺が腰に佩いている鏡の剣を見ようとしたのを感じた。俺が抱き抱えているので娘の視界には入らないがね。今まで反応らしい反応を見せなかったが、父の声が聞こえてはいるのだな。……俺の嫁になるよりも、親子で結婚しようとする事に異を唱えた父の方に敵意を向けた? では、デオマイアの目的は。甘い声を出す練習を娘はしなかったらしく、低い声ではあった。


「なあ、俺よ。娘の最初のねだりだ、聞いてくれまいか」

「俺の力が及ぶ限りは叶えよう」


 デオマイアの六つの青い眼は敵意を消し、俺を覗き込んで来た。マカリオスに凝視された時の感触に似ているようで違う。しゅるりと紐を解く音が聞こえた。デオマイアの小さな手が袋のようなものを緩く縛っていた紐を解いていた。


「俺さ、母と結婚したいんだ」

「そんなにお母さんが好きか、マザコンめ」


 毒付く父の声が聞こえた気はする。全ての抵抗と耐性を引き剥がされた上で卒倒するはずだった俺だが、イクタス・バーナバが肉体を掌握して支えてくれた。設定条件を満たされた首飾りが起動させた長距離転移は、妻がほんのひと睨みで打ち消してしまった。……俺の脱出用の首飾りは力不足らしいぞ。造り直そう。

 衝撃を受けたのはデオマイアが告げた望みそのものよりかは精霊のせいだ。デオマイアが袋から解放した、透き通った氷のような兎が小首を傾げて俺を見上げている。透けたものが飛び出して来たと認識した瞬間の心臓の跳ね方は兎の跳躍に匹敵したかもしれん。


「手製涼み袋の出来はどうだろう? 一撃で卒倒だったはずなのだがな」

「娘よ、我が夫も報復を用意してはいるぞ」


 イクタス・バーナバが俺の肉体で言い、発動を阻害せず術具の魔力を解放した。スライムが一匹、絹服の内側に仕込んでいた魔性封じの筒から解放されてぽよんと跳ねる。設定条件は首飾りと同じだ。お化けを見た時に自動的に起動する。殆ど無害に近い現住種族のスライムだ。妻はデオマイアの首を掴み、半透明のスライムを直視する事を強制した。


「いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 初めて娘の口から聞いた年相応の女児らしい声は、空気を切り裂くような甲高い悲鳴だった。叫びを上げ切った娘はくたりと意識を失い、俺と同様にデオマイアの首飾りによる長距離転移の発動を許さなかった妻の手で抱き直される。改良した首飾りは二つ必要らしい。

 俺はスライムが例外、娘は精霊が例外と言う違いこそあれ、確かに幽霊恐怖症を受け継いでいると知った俺の心の内は昏く黒い満足感で満たされている。これほど深く全身を普く満たす満足感はなかなか味わえまい。この雌は俺の半身なのだと確信し、愛しくて哀れで堪らなくなった。


「ミラー様、お眼に毒でしょう? 精霊を送還させて頂いてよろしいですかねえ」


 いつの間にか寄り添うように立っていたダラルロートがイクタス・バーナバに許しを求めれば、妻は精霊を摘み上げてデオマイアが持っていた袋に詰め直すと口を紐で縛り直した。娘が悪戯をした袋をダラルロートに下げ渡し、妻は言った。


「涼み袋と言うものだそうだが知っているか、リンミの大君」

「正直な所、実在した事に驚いております」

「デオマイアちゃんが精霊術で自作したんだね」


 ダラルロートと父の声にはどこか沈痛な響きがある。涼み袋は与太話で、二人の創作ではなかったのか? 亡者が詰まっている涼み袋も現世のどこかには存在すると言うのか?

 肉体こそ妻に支えられてはいたが、満足感はどこかへ去ってしまった。今はお化けの恐怖に追い駆け回されている。妻よ、素直に卒倒させてはくれないだろうか。そう願えば、ぽちゃんと音を立てて水の中へと放り込まれた気がした。

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