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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
イクタス・バーナバの夫ミラーソード I
146/502

145. エムブレポの男女

 娘が遣した出迎えのせいで俺の心身に問題は起きたが、旅程は消化している。

 かつてはアガソス領内のティリンス地方だった面影のない密林を真っ直ぐに貫いた道を抜けると、イクタス・バーナバは再び神力を振るった。狂土エムブレポの領土に馬車の通行が可能な道を切り拓く神力には、二度目であっても感嘆した。

 俺にもこのような振る舞いができたなら、さぞ俺好みの国を弄り回し易かろうに。神格として土地と結び付いた土着神に成り上がる俺の姿はまだ想像できないが、妻の振るう力を眺めていると物欲しくはなる。命を喰らって力を増大させ、神格を得る事は母に望まれてはいる。


「首都以外に拠点と言うか大き目の集落はないのか?」

「エムブレポの八部族で定住していると言えるのは夏の都と王族を護る陽銀と、我等が女神に確固たる信仰を捧げる陰銀のみ。他の六部族は絶えず移動し、闘争と外征を繰り返している」


 マカリオスに訊ねてみるとそんな返事を貰った。強大な季節の権能の一つである夏の権能を持つイクタス・バーナバの版図は一年を通じて常夏だ。ミーセオの随行員も冬だったミーセオ側のティリンス地方からの環境の変化のせいか体調不良を訴える者が出ているようだ。顔合わせの際に双頭の印を与えた官僚だな、と気付いた俺はだんまりを決め込んだがね。

 彼らは暑さにやられたのではなく、エムブレポと繋がったイクタス・バーナバの神力に()てられているのだ。妻に気に入られた者が時間をかけて充分に心が分かれれば魂を半分に引き裂かれ、子種とされる。父が交わした取引で俺がされたようにな。大使スダ・ロンは当然解っていように、心身に異常を来たした者をまともに治療しようとはしないのを見て黙認と受け取った。


「エムブレポの民の暮らし振りは遊牧民に近いのです。

 イクタス・バーナバが持つ大漁の小権能により略奪の手腕に優れ、他国から男を盗み出しては子を成す精霊神信仰の国と言うのが周辺国からの評価です」

「大漁の加護とは漁が上手く行くようになる加護だとばかり思っていたが、略奪も上手くなるのか?」

「夫を略奪できない女は子種を他の女の夫に依存する事になる」


 スダ・ロンを交えたマカリオスとの会話に、俺の中にいるアステールが対応に困っているような感触はある。正しき悪と狂った中庸の会話は正しく善なる者の倫理観にとっては辛いものかな。俺は中立にして中庸のスライムなので話された内容そのものは何とも思わなかった。アステールが嫌がっているのなら善良ではないのだな、と感じるまでだ。


「マカリオスのようなエムブレピアンの男は貴重だと聞いていた。妻が複数いたりするのか?」

「夫を持たぬ女は全て妻のようなものだ」


 複数どころの騒ぎではなかった。マカリオスは夫を持たない女の全てと言った。娘への愛情がそいつは如何なものかと反論の声を上げるものだから、控え目な表現に直して訊ねた。


「……全てか。エファの半身や俺の娘も含んで全てか?」

「彼女らが充分に成熟し、夫を定めず我が身を望まれるならば」

「ミラー」


 マカリオスの答えが母はお気に召さなかったようだ。すっと歩み寄って来たかと思えば「殺そうか」とでも言いたげな声の母である。乏しい感情の変化から殺意をすぐさま読み取れるのは俺と四天王くらいのものだろうがね。母を野放しにしたらマカリオスを殺しかねない。俺の見る所、単純な暴力なら腐敗の邪神に仕える暗黒騎士たる母の方が有利だ。母は強く美しいが、制止せねば誰彼構わず殺そうとするし殺せる数も尋常ではない。


「母よ、俺の半身にして娘で母と父にとっては孫だぞ。

 必要とあらば好みの男を幾らでも隷従させるだろうよ。心配する事かね」

「……そうさな。我々の孫娘ならばできるであろうな」


 全知を持つエファにマカリオスの生存は重要だと言われている。娘の能力を半ば以上は推測できているはずの俺の言葉は母を納得させられたようだ。しかし安心するのは早かったかもしれない。


「ミラー。そなたが使徒を好むのは神子(みこ)の血ゆえ避けられぬのかも知れぬが、妻の第一使徒には手を出すべきではない」

「ちょっと待って! 待って、お母さん!? 僕のせいなの?」

「俺は使徒なら全て喰いたいと言う訳ではないぞ、母よ」


 母の言い出した言葉に俺は目を瞬かせたが、狂魚の目に映る面頬の下の母の顔には常の薄い感情しかなかった。常夏のエムブレポで黒塗りの板金鎧を着込んで汗一つない暗黒騎士に冗談を言っている雰囲気はない。堪りかねたように叫ぶ父の声をマカリオスは聞けていない。

 俺自身は己の言葉に説得力を感じていない。ダラルロートとアステールは使徒だったし、エファは成り行きが独特だったとは言えアガソニアン神族だ。神絡みが好物なのだろうと言われれば否定はできない。分霊の一つでよいからサイ大師を喰えまいかな、と食欲を感じてはいる。俺と同じだけの強者を喰えたなら大きく成長できると思う。スダ・ロンを見遣れば微笑みを崩さないものの、俺の心の内が読めているのではないかなと感じさせられた。要はアディケオへの裏切りでない形ならいいのだ。


「この男がそなたの好みなのは私も理解している」

「母よ、妻の第一使徒に手を出すほど俺は飢えておらん」


 多少の飢えを感じているのが本当の所だがね。母に対して進めている魂洗いの秘儀は魔力を大量に使う。命をもっと喰らって魔力に充てたいと言う渇望は感じている。マカリオスが好みかそうでないかと聞かれたら好みなのは間違いあるまいよ。サイ大師と言うこの上なく旨そうな命に較べれば軽くとも、妻の第一使徒を務める強者の命だ。関心はあるさ、だが自制するつもりだった。


「我が女神が捧げよと命じるならば婿殿に身を捧げるのも名誉な事だろう」

「妻よ、頼むから命じないでやってくれるな?」


 六つの眼で俺を見るマカリオスの方が乗り気に聞こえて俺は正直な所、自制が揺らぐのを感じた。マカリオスの命を啜り喰らったなら俺は一時満たされるだろうが、並みの第一使徒の命ではもう満足できない気もしているのだ。ならば喰わずに妻の配下のままにしておくべきだと理性は言う。欲望は両肩の烙印を疼かせる。価値の高い命だと。


「陽銀はイクタス・バーナバに仕え、エムブレポと我が夫を護って欲しい」

「女神の意志こそが我等 陽銀の意志」


 無警告に俺の肉体で妻が言葉を発しても第一使徒には解るものらしい。お願いだからそうしてくれ。エファが死なせてはならないと言った命を喰ってしまっては、何らかの不味い未来へ向かう事になるだろう。


「そうしてくれい。俺は今、父親としてデオマイアの機嫌を取ってやる事を考えなくちゃならんのだ」

「そうよ、お祖父ちゃんは初孫の顔が見たいのよ。お母さんもそうでしょ?」

「デオマイアについては私も関心がある。我が神の恩寵が薄れていると言うのならば私が信仰により繋がりを強めてやれるだろう」


 ……うん? 母の眼に感情があるぞ。飢えとは違う、何か不味い感じのが……。名を喪った聖騎士は大母の敬虔な信徒だ。狂信者の眼差しが遠くを見ている。


「そうだな、母と俺が一緒に祈ったらよくなるかもな」

「我が子よ、そなたがデオマイアと共に改悛の祈りを望むのなら施術してやろう」


 話がおかしな方向に転がってしまったぞ。娘は大丈夫かね? 母に改悛の祈りを捧げられて接吻を受けると狂った悪への属性転向を起こす。妻の狂った中庸とは隣接しているので悪でも問題は少なかろうが、娘は属性転向できるのかね。熱心な様子を見ると俺への感情云々よりも母の暴走が不安だ。面頬の下には薄い笑いが見える。


「我が子の半身ならば私を愛してはくれようからな」

「……そうね、お母さん大好きではあると思うのよ。今日まで長距離転移してお家に会いに来なかったのが謎ではあるけれど……」


 そうなのだ。俺達はエムブレポ入りを上司に禁じられてしまっていたが、娘が俺と同等の術師ならば俺達の住む家へ長距離転移できるはずなのだ。真実を知っているはずの妻は口を(つぐ)んでいる。なあ、愛しい娘よ。腹の内には何を貯め込んでいる? 父としては少々恐ろしい。

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